第51話 名誉子爵家とお別れします


「…………嘘だ」


 父親が……ルーカス・エベルンが呆然とつぶやく。

 信じられないとばかりに瞳を見開いて、震える唇で言葉を紡ぐ。


「嘘だ、そんな、お前のような出来損ないが……」


「今度は貴方が出来損ないと言いましたね。侯爵家の跡継ぎに向かって」


「いや、それは……しかし……!」


「調べてみればいい。すでに婚約の手続きは済んでいる。すぐに結果は出るでしょう」


「…………」


 レストの態度に、偽りではないと気付いたのだろう。

 ルーカスがソファから崩れ落ちるようにして、床に倒れる。


「嘘……嘘……嘘……嘘……」


 部屋の隅では、リーザが壊れた玩具のように同じ言葉をつぶやきながら床に座り込んでいる。

 彼女の瞳は目の前の出来事を見ておらず、現実逃避しているようだった。


(思っていた以上の反応だな……そんなに俺が二人と結婚するのが信じられないのか?)


 あるいは、単にトドメの一撃になっただけだろうか?


 愛する息子、自慢の子供であったセドリックが王立学園の入学試験に落ちてしまった。

 馬鹿にしていたはずの出来損ないの息子であるレストが試験に合格して、本来であればセドリックが入学するはずだった学園に入る。

 そして、狙っていたローズマリー侯爵家の姉妹もレストの手に。


 犬扱いしていた子供に求めていた物を全て持っていかれてしまった。

 その逆転劇を受けて、完全に心が折れてしまったのだろう。


(…………ここまでだな)


 レストは小さく溜息を吐いた。

 思っていたほどの達成感はないが……それでも、長年身体にまとわりついていたおりを振り払ったように清々とした気持ちはある。

 ようやく、エベルン名誉子爵家との因縁が終わった。

 ないがしろにされた母親の無念を晴らして、虐げられていた四年間を清算したのだ。


(こいつらがしてきたことを考えると、これだけじゃ復讐が足りない気もするけど……まあ、いいさ。これくらいで見逃してやる)


 別に復讐がしたかったわけではないし、死体を蹴る趣味もない。

 これで終わりにしてやろう。


「念のために言っておきますが……貴方達は自分の親権を譲渡していますし、俺は今年で成人しています。許可は必要ない」


「…………」


「……嘘よ……嘘……」


「だから、貴方達とこれで関わることもないでしょう。どうぞお幸せに」


 レストが名誉子爵家を継ぐことはなくなったが、だからといって、子爵を叙爵する道が断たれたわけではない。

 セドリックが来年、王立学園に再度受験して宮廷魔術師を目指すという手段もあるし、別の方法で手柄を立てて褒美に爵位を授かるという手もあるのだから。


(ただ……どんなやり方を選んだにせよ、俺にはもう関係ないけどな)


「それでは、自分はこれで。失礼します」


「送っていきます。レスト殿」


 部屋に控えていた執事がルーカスに代わり、レストを先導してくれる。

 彼が開いてくれた扉をくぐり、廊下を歩いて玄関に向かう。


「……立派になられましたな。レスト殿」


 執事が振り返ることなく、ポツリと言う。


「彼女も……シフォンもきっと、草葉の陰で喜んでいることでしょう」


 シフォンというのは死んだ母親の名前である。

 この執事は母親の同僚であり、その縁で良くしてくれたのだ。


「彼女が旦那様に手籠めにされて、子を孕まされて追い出されて……多くの使用人が身を案じていました。旦那様の手前、何もできませんでしたが……」


「……構いませんよ。俺に食事や薬を恵んでくれたじゃないですか」


「……自分達の罪悪感から逃れるためですよ。貴方が虐げられるのを止めることはできなかった」


 執事は声に悲しみを混ぜて、言葉を続ける。


「私達を恨んでくれて構いません。どうか、侯爵家でお幸せに……」


「…………大袈裟です、本当に。そんなことよりも、俺が屋敷を出てからの話をしてください」


 レストは執事ととりとめのない話をして、何かあったら自分を頼って欲しい、世話になった使用人達にもそう伝えて欲しいと言い置いてから、エベルン名誉子爵家を後にした。

 そして、自分にとって鳥籠のような家だった屋敷に二度と戻ってくることはなかったのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る