第32話 嵐の前触れ


「もうっ! お母様なんて知りません!」


「レスト様の看病に戻りますっ!」


 ヴィオラとプリムラが大きな怒声を残して、談話室から出ていった。

 残された父母はしばし沈黙するが……やがてアルバートが口を開く。


「……随分と強引に押し通そうとするのだな。珍しい」


 レストに第三夫人以降の妻を付けるかどうか。

 子作りのみを目的とした愛人や妾を与えるかどうか。


 紛糾した話し合いの結果は平行線。

 ヴィオラとプリムラがレストと結婚することについては決定事項となったが、第三夫人や愛人、妾を娶ることについては保留となった。

 アイリーシュは姉妹が認めた女性以外を勝手にレストに嫁がせないということだけ、ひとまずの妥協案として認めさせられた。


「珍しいことなんてありませんわ。私は強引で酷い母親ですもの」


「そんなことはないだろう。お前がヴィオラやプリムラの意見を無視して、家の発展を優先させるなんて滅多にないことだ」


 アイリーシュは気の強い母親だったが……子供に対して、強く我を押しつけることはあまりしない。

 こう見えても、甘い母親なのだ。

 姉妹の夫となる男性に別の女をあてがおうとなんて、いつもならばしないはずだった。


「君の身体が不調なのと関係あるのかい?」


「……あら、見抜いていたんですね」


「夫だからな。隣国で何かあったのか?」


 先ほどのレストとアイリーシュの戦いで、アルバートは妻の身体に違和感を覚えていた。

 いつもよりも動きが鈍い、魔力の流れが滞っている……身体にどこか不調でもあるのではないかと思ったのだ。


「……どうやら、世界の情勢は刻一刻と動いているようです」


「…………?」


「すぐにどうにかなるというわけではありません。しかし……十年後か二十年後、いずれ隣国と我が国は戦争になるでしょう」


「何だと……?」


 あり得ない。

 この国と隣国…アイウッド王国とガイゼル帝国の仲は良好。

 長年の友好国であり、北方の蛮族を共通の敵としている同盟国だ。

 君主である皇帝も穏健な性格として知られており、周辺の国々から争いを無くす調停役を果たしている。


「それはあくまでも、当代の皇帝陛下が生きていればの話でしょう?」


「何……?」


「どうやら、皇帝陛下は病に冒されているようです。もって五年というところでしょうか」


「…………!」


「皇帝が亡くなれば、家督争いが発生することでしょう。次に皇帝になる人間が穏健な方とは限りませんことよ」


 もしも好戦的で戦争を好む人間が次の君主となれば、周辺諸国に宣戦布告をしてくるかもしれない。

 真っ先に狙われるのは北方の異民族が住んでいる草原だが、この国が標的とならない保証はなかった。


「直接の戦火が降りかからなかったとしても、帝国という重しが弱体化したことで他の国々が動き出す可能性もあります。我が国が帝国と同盟関係にあることで、戦争を仕掛けられることなく平穏を保っている国境線もあるのですから」


「我が国も安全とは言えないわけだな……」


「北の異民族も近年、怪しい動きを見せています。そして、我が国も国内に愚者どもが蔓延っている。あの馬鹿王子を担ぎ出そうとしている者がいるくらいですからね」


「内憂外患か……なるほどな。それで次世代のことを考えて、レスト君に愛人まで与えようとしたわけか……」


「戦争が十年、二十年で終わる保証はありませんもの。次世代の英雄は多い方がよろしいでしょう?」


「…………」


 アルバートは沈黙する。

 妻のやり方が必ずしも正しいとは思わないが……世界情勢がよろしくない方向に動いているのは間違いない。

 大陸を巻き込むような大きな嵐が近づいてきているのかもしれない。


(レスト君のような類まれな魔法の才が現れたのはその前兆。迫りくる乱世の中心に立つことになる異端児の登場…………なんて話は、いくら何でも考え過ぎだろうな)


 どこかの英雄譚ではあるまいし。

 アルバートはふと頭に浮かんだくだらない妄想を切って捨てて、ローズマリー侯爵家が歩むべき道程について考えるのであった。

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