第30話 侯爵夫人はゴリラでした


「これは……とんでもないな!」


 レストは咄嗟に両腕をクロスさせてアイリーシュの一撃を受け止めた。

【身体強化】【頑強】という肉体を強化させる二つの魔法を重ねがけしたにもかかわらず、とんでもない衝撃に襲われる。

 レストは堪らず吹き飛ばされて、後方に大きく下がることになった。


「へえ……反応は悪くないわね。出力と発動速度も申し分ない。その若さで二重奏デュオができるなんて感心したわ」


「ど、どうも……」


 アイリーシュは追撃してくることなく、腕を回している。

 並の戦士、魔術師であったのなら、最初の一撃で終わっていたことだろう。


(りょ、両腕の感覚がない……千切れてないよな?)


 防御に使った両腕は骨折こそしていないが、自分の意思で動かせないほど痺れている。

 強化系統の魔法を解くことなく、【治癒】を使用して腕のダメージを癒す。


「あら、三重奏トリオもできるのね。本当に大したものだわ」


「そちらこそ……どうして、【身体強化】だけでそこまで力を出せるんですか?」


 心からの疑問である。

 複数の魔法を並行して発動しているレストに対して、アイリーシュは【身体強化】だけしか使っていなかった。

【身体強化】はレストだって使っているが……明らかに、両者の間には隔絶した能力の差がある。


「生まれつき、魔法出力が高いのよ。こればかりは才能ね」


「……才能、ですか」


「その代わり……遠距離攻撃の魔法は苦手なんだけどね。何物も全てを手に入れることはできないということかしら?」


「…………」


 底無しの魔力を持っているレストであったが、一つの魔法に込められる魔力……すなわち、魔法出力の高さはそこまで高いとはいえない。

 別に低いわけでもないのだが……無限の魔力と一度見ただけで魔法をコピーできるという異色の才能に比べると、出力はどうしても平凡に見えてしまう。


(なるほど……確かに、全てを手に入れることはできないか)


「だったら……こういうのはどうでしょう?」


 レストは周囲に十数個の【火球】を出現させた。

 生み出した火の玉をまとめてアイリーシュに向けて放つ。


「ハアッ!」


「フフッ……良い攻撃ね。気に入ったわ」


 回避できないように場所とタイミングをずらして撃った火球であったが、アイリーシュは軽やかなステップとありえない身体能力で回避した。

 そして、スピードを緩めることなく、レストの懐に飛び込んでくる。


「【煙幕】」


 しかし、レストが白い煙を周囲に撒き散す。

 レストとアイリーシュ……二人の身体が白煙の中に消えて、文字通りに煙に巻いた。


「やるわね……!」


 アイリーシュが繰り出した拳が空を切る。

 レストは【知覚強化】の魔法によって、煙幕の中でもアイリーシュの動きが見えていた。

 そのまま、彼女の腹部に掌を押し当てる。


(このまま、叩き込む……!)


「【雷掌ショック】!」


「うっ……!」


 アイリーシュの身体が小さく痙攣した。

 発動したのは、電気ショックによって相手を殺すことなく鎮圧する魔法。ディーブルから教えてもらった対人戦闘用の技の一つである。


「痛いじゃないの。だけど……非殺傷用の魔法なんて舐めてくれるわね」


「…………!?」


 腹部に当てたレストの腕をアイリーシュが掴んだ。

 まともに喰らわせたはずなのに、動きを封じることができたのは一瞬だった。


「ヴィオラとプリムラというものがありながら、他の女の腹に手を当てるなんて悪い子……お仕置きよ!」


「うわあっ!」


 腕を掴んだままレストの身体を振り回し、そのまま投げ飛ばされる。

 レストは何度も地面をバウンドして、鍛錬場の端まで転がされてしまった。


「レスト君!」


「レスト様!」


「出てこないの! 私達の喧嘩はまだ終わってないわよ!」


 慌てて駆け寄ってこようとする娘達をアイリーシュが一喝する。

 アイリーシュが言うとおり、戦いはまだ終わっていなかった。

 レストが治癒魔法で身体を癒しながら、地面から立ち上がる。


「ムチャクチャですね……本当に……」


 こうして立ち上がることができたのは、ディーブルによる訓練の賜物である。

 多少なりとも人間相手の戦いに慣れていたおかげで、どうにか受け身を取ってダメージを最小限まで抑えることができたのだ。


(さっきの火球を全て避けられるのなら、いくら遠距離魔法を撃っても意味ないな……下手な鉄砲を撃ちまくって屋敷が炎上しても困るし……)


 そうなると、強化系統の魔法を重ね掛けして近接戦で応じるべきだろうか?

 勘弁してくれよとレストは表情を歪める。

 広範囲の上級魔法を使うことができたのなら話は別だが……残念ながら、ディーブルから教わっていなかった。

 ディーブルから習っている戦い方は一般的な魔法使いが使う火力重視の攻撃というよりも、弱い魔法を工夫して使う戦闘技術なのだから。


「その多彩な魔法を使った戦い方……ディーブルに師事しているのね?」


 アイリーシュが問いかけてくる。

 レストは回復に意識を向けながら頷いた。


「……はい、ディーブル先生には色々と教えてもらっています」


「彼は過去にも弟子を取っていたみたいだけど、誰も長続きしなかったようよ。厳しい人でしょう?」


「優しくはないですね。でも、強くなりたいのならそれくらいは当然です」


「うんうん、良い心がけね」


 アイリーシュが戦闘中とは思えないような穏やかな笑みを向けてくる。


「彼は魔法の使い方が絶妙に上手いのだけど、魔力量が少なくて上級魔法までは極めることができなかったのよ。貴方のようなデタラメな魔力の持ち主が彼の戦い方を修めたら、どんなふうに完成するのか見てみたいわ」


「……それはどうも」


 拳を握って、開く。

 会話をしているうちにダメージは完全に治癒できた。

 魔力はもちろん、最初の状態から少しも減っていない。


(これで振り出しに戻った……むしろ、多少なりともアイリーシュ奥様の魔力は減っている。俺が有利になっているとすら言ってもいい……)


 それなのに……何故だろう。

 少しも有利になった気がしない。

 むしろ、自分の方が追い詰められているような感覚を受けて、レストは背筋に汗をにじませる。


 毎日のようにディーブルと模擬戦をしており、制限なしの戦いであれば、勝てないまでも有利に戦うことができるようになっていた。

 それなのに……アイリーシュをあまりにも遠くに感じる。

 これが国の頂点に立っている戦力なのかと、改めて震撼させられた。


(強い……ディーブル先生よりも、もちろん俺よりも……!)


「レスト君!」


「レスト様!」


(それでも……諦めるわけにはいかないね。応援してくれてる子達がいるんだから)


 ヴィオラとプリムラが声を張り上げて、レストを応援してくれている。

 二人にみっともない姿は見せられない。

 胸を借りるつもりとは言ったが……全力を出し尽くさなければ。


(本気でいく……それこそ、殺すくらいのつもりで……!)


「ああ……覚悟が決まったようね。良い目よ。若い頃の夫によく似た、私の好きな瞳ね」


 アイリーシュは愉快そうに唇を三日月型に吊り上げる。


「来なさい。抱きしめてあげるわ」


きます……!」


【身体強化】

【頑強】

【加速】

【土装】


 四重奏カルテットの魔法発動。

 全身を土の鎧でコーティングして、クラウチングスタートのように構える。


「四重奏……すごいわ!」


発射ファイア!」


 アイリーシュが称賛の声を上げるのと同時に、地面を蹴って駆けだした。

 土の鎧をまとっているとは思えないスピード。大型バイクが百キロオーバーで突っ込むような勢いと重量。

 真っすぐに走っていき、そのまま乗馬服に身を包んだ胴体に体当たりするようにして拳を叩きこもうとする。


「…………!」


「うん、良いわね。普通に良い」


 だが……そんな攻撃が受け止められた。

 アイリーシュは【身体強化】に加えて、【頑強】の魔法を使って肉体を強化させたのだ。

【身体強化】だけでも手に負えないというのに、重複して肉体を固めたアイリーシュの前には、四重奏による一撃も通用しなかった。


「ご褒美よ。宣言通りに抱きしめてあげる」


「カハッ……!」


 アイリーシュの両腕がレストを抱きしめた。

 土の鎧がバキリと音を立てて砕け散って、サバ折りの形で身体を締めつけられる。


(腰……折れ……!)


 意識が遠ざかり、レストはそのまま気を失ってしまった。


 鍛錬場で行われた二度目の決闘。

 レストはまたしても敗北して、前回と同じように気絶してしまったのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る