第29話 タイマン張ることになりました

 ローズマリー侯爵夫人……アイリーシュ・ローズマリーから喧嘩を挑まれたレストは、彼女が動きやすい服装に着替えている間、先んじて庭園にある鍛錬場に出た。

 ディーブルと二人でアイリーシュがやって来るのを待ちながら、途方に暮れたように青空を見上げる。


「えっと……どうして、こんなことになっているんでしたっけ……?」


「……奥様が申し訳ございません」


 鍛錬場に所在なく立ちながら、レストが心からの疑問を吐露した。

 ディーブルが非常に申し訳なさそうな顔で謝罪する。


「奥様はその……何というのでしょう、直情的と言いますか、まっすぐな気質と言いますか……魔法と拳でしか語れないタイプの人間らしくて……」


「えっと……脳筋ということですか?」


「……………………はい」


 ディーブルが懊悩した様子でレストの言葉を肯定した。

 ローズマリー侯爵夫人……アイリーシュ・ローズマリーは外見こそ美しい淑女、優しそうな若奥様といった風であったが、実際にはかなりの武闘派で通っているらしい。

 とんでもなく強く、王族の命を狙ってきた暗殺者の一団をたった一人で壊滅したこともあるそうだ。


「勘違いなさらないでください。奥様はレスト殿のことが嫌いとか追い出したいとかいうわけではなく、ただ拳で語り合いたいと思っているだけなのです。一切、悪意や害意はないのです」


「悪意はともかく、害意はどうでしょう? 殴られたら怪我すると思うんですけど?」


「……奥様は身体強化系統の魔法、治癒系統の魔法の達人です。遠距離魔法は不得手なようですが……接近戦であれば旦那様よりも、もしかすると騎士団長殿よりも強いかもしれません」


「騎士団長って……あのカトレイア侯爵ですよね? 嘘でしょう?」


 騎士団長であるカトレイア侯爵はとても有名人で、レストが平民として暮らしていた頃にもたびたび噂を聞いていた。

 隣国との小競り合いや蛮族との戦いで英雄的な働きをして、幾度となく国を救ってきた偉人である。

 武の頂点に立つカトレイア侯爵、魔法の頂点に立つローズマリー侯爵。両者はこの国を支えている『両翼』と称されていた。


「あの……俺ってもしかして、これから殺されるんですか?」


「ご、ご安心ください。奥様も本気で戦いはしないはずです。あくまでもレスト殿の実力を試したいだけで……」


「待たせましたね」


 凛とした女性の声が響きわたる。

 声の方に視線を向けると、乗馬服のような服に着替えたアイリーシュの姿があった。

 身体にピッタリと張り付くような上着とズボンに身を包んだことで、豊満な身体つきが浮き彫りになっている。


「「「…………」」」


 アイリーシュの後ろにはローズマリー侯爵家の面々……ヴィオラとプリムラ、アルバートが続いている。


「れ、レスト君! 頑張ってね……こんなことになっちゃってごめんなさい!」


「そ、その……怪我しないでくださいね! 応援していますから!」


 姉妹が駆け寄ってきて、レストに縋りついてきた。

 二人は心配そうに……そして、非常に申し訳なさそうな表情をしている。


「…………」


 アルバートはレストと目が合うや、すぐに視線をそらした。

 妻が暴走しているという自覚はあるようで、こちらはこちらで後ろめたそうな顔をしている。


「その……お母様には酷いことをしないでってお願いしてあるから。私達が何を言っても無駄なのよ。だから、嫌いにならないであげて欲しいんだけど……」


「……大丈夫です。大変なことにはなりましたけど、別に不快だとは思っていませんから」


 表情を曇らせているヴィオラにレストは首を振った。

 プリムラに対しても、安心させるように微笑みかけておく。


「娘に近づく男を警戒するのは当然です。ディーブル先生との対人戦闘訓練の成果を確認する良い機会ですし、胸を借りてお相手を務めさせていただきます」


「レスト君……」


「レスト様……」


 二人がすぐ間近から、潤んだ瞳で見上げてくる。

 フォローの言葉が嬉しかったのか、両腕に抱き着いてきた。


(……いや、近いんだけど)


 感極まったように見つめてくるのは構わないのだが……あまり密着しないでもらいたい。

 ここには姉妹の両親もいるのだ。

 二人の……特に父親であるアルバートの視線が痛い。


「そろそろ始めましょうか。貴女達も下がっていなさい」


 アイリーシュがレスト達に声をかけてくる。

 ヴィオラとプリムラが名残惜しそうに、レストの腕から離れていく。


「それでは……よろしくお願いします」


「ええ、こちらこそ……私の一人遊びにならないことを祈っているわ」


 アイリーシュが透明感のある美貌に笑みを浮かべる。

 引き込まれるような笑顔に何故か薄ら寒いものを感じながら、レストは数メートルの距離を取ってアイリーシュに向かい合った。


(ディーブル先生以外の人間と戦うのは初めてか……相手は王国最強の騎士団長よりも強いかもしれないって人。どうして、格上の相手とばっかり戦うことになるのかな?)


 この鍛錬場で誰かと決闘するのはこれが二度目。

 レストは覚悟を決めて、侯爵夫人である女性に向けて拳を構えた。


「それでは……始め!」


 アルバートが合図を出して、戦闘が開始する。


「え……?」


「まず一発」


 戦いが始まった途端、眼前にアイリーシュの美貌があった。

 うっすらと笑みを浮かべた顔に見蕩れてしまったのは一瞬のこと。


「フンッ!」


「なっ……!」


 次の瞬間、とんでもなく強烈な拳がレストの身体に突き刺さった。

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