第27話 ローズマリー侯爵は諦観する


 レストがローズマリー侯爵家にやってきて、数日が経った。


 試験勉強は順調に進んでいる。

 ヴィオラとプリムラが途中で妙な誘惑をしてきているものの、レストは強靭な精神力で魅惑を振り切って必要な知識を手に入れていった。

 幸い、数学などの問題は前世の知識で問題なく解くことができる。

 厄介なのは歴史などの暗記科目だったが、こればかりは何度も反復して脳に刻み込むしかない。

 レストは姉妹との勉強の時間だけではなく、生活の合間合間で借りた参考書をめくって必要な知識を叩きこんでいった。

 それなりに苦労はしそうだが……参考書があり、教えてくれる人がいて、前世の高校受験に比べると随分と楽なものになりそうである。


 戦闘訓練もまた順調。

 時間がかかると思われた魔法の修得が簡単に終わったため、その分だけ模擬戦にとれる時間が増えた。

 執事のディーブルと戦うことによって、順調に対人戦闘の経験を積んでいった。


 今のところ、問題はない。

 少なくとも……レストにとっては。


「…………娘がいない」


 ローズマリー侯爵家の屋敷。ダイニングにて。

 大きめの長テーブルにポツンと座って、アルバート・ローズマリーがつぶやいた。

 夕食の時間であり、アルバートの前には料理が並べられている。

 羊肉のソテーと魚のムニエル、サラダ、スープ……侯爵家の食事だけあって、いずれも手間のかかった高級そうな料理である。

 しかし、そんな美食に舌鼓を売っているはずのアルバートの表情は暗い。

 本来、この場にいるはずだった娘達の姿がないからだ。


「お嬢様達はレスト殿と食事を摂っています」


「ムウ……」


 横に控える執事のディーブルが口を開いた。アルバートが苦渋に満ちた表情になる。

 最近、アルバートの愛する娘……ヴィオラとプリムラはレストにつきっきり。用事がない限り、レストの傍を離れようとしなかった。

 おかげで、アルバートは一人で食事を摂ることが増えていた。

 溺愛している娘がよその男と親しくしているだけでも苦痛なのに、娘からないがしろにされているような状況がアルバートの心を苛んでいる。


「……いっそのこと、レスト様を食卓に招いては如何ですか? 彼がここにいれば、お嬢様達もダイニングで食事を摂るはずですが?」


「い、いや……それはできん!」


 ディーブルの進言にアルバートが強めの口調で拒絶した。


「いかに娘のお気に入りとはいえ、レスト君は使用人見習いでしかない! 主人と一緒に食卓を囲ませては示しがつかないだろう!」


「それは今さらであると思いますが……すでに使用人達はレスト殿が特別であるとわかっていますよ?」


 ディーブルがわずかに呆れた表情になった

 レストは表向きは使用人見習いとして、侯爵家の屋敷に住んでいる。

 しかし、レストが本当に使用人だと思っているものはいない。

 ヴィオラとプリムラがあからさまなくらいにレストの世話を焼いて、『女』の顔で接しているからだ。

 そのため、侯爵家で働いているメイドや執事の多くが、レストが姉妹の婿候補であると認識していた。

 使用人の中には、将来的に主人になるかもしれない少年に『様』付けで接して、媚びを売っている者もいるほどだ。


「執事の中には特別待遇を与えられているレスト殿を妬んでいる者もいましたが……魔法の訓練をしているところを見学させたら、すぐに静かになりましたな」


「……彼の戦闘訓練は進んでいるのか?」


「順調すぎるほどに」


 主人の問いにディーブルが首肯する。

 そして、いつになく強い口調でアルバートに主張した。


「戦闘技術やセンスに関しては平均よりもやや上というところですが、レスト殿は間違いなく魔法の天才です。どんな手段を使ってでも……それこそ、お嬢様達を与えてでも、絶対にローズマリー侯爵家に取り込まなければならぬ人材であると、強く推させていただきます!」


「そ、それほどなのか……?」


「はい。一度見ただけで魔法を修得できる『眼』とセンス。いくら魔法を使っても尽きる様子のない底無しの魔力。すでに宮廷魔術師に近い能力を持っています。今でこそ私が魔術師として勝っていますが、一年とかからずに超えていくことでしょう」


「…………」


 ディーブルは執事としての立場をわきまえた人物だ。

 それがここまで強く自分の考えを述べてくるなど、滅多にないことである。

 それだけ、レストという男が得難い人材だということだろう。


「以前、私はお嬢様達を両方ともレスト殿に貰っていただくことを主張いたしました。それは二人の意見を尊重してのことでしたが……今は違います。二人をレスト殿に嫁がせ、御子を産んでいただくことがローズマリー侯爵家の繁栄につながると愚考いたします」


「そう、か……お前がそこまで言うのであれば、娘達には男を見る目があったのだろうな……」


「遅くとも、学園入学前にはお嬢様達とレスト殿を婚約させておいた方が良いでしょう。レスト殿が学園に入学すれば、確実にその才能が多くの人間の知るところとなる。争奪戦が始まるやもしれません」


 王立学園は教育機関であると同時に、人材の発掘現場である。

 王侯貴族が側近や臣下をスカウトする場でもあり、貴族の淑女が結婚相手を探す場でもあった。

 レストのような性格も良く、才能にあふれた優良物件を見逃すほど、王侯貴族は甘い相手ではない。


「……わかった。お前がそこまで言うのであれば、二人との婚約を考えよう」


 アルバートは観念して、肩を落とす。

 外堀どころか内堀まで埋められようとしている。

 こうなってしまうと、もはや拒絶する理由が見つからなかった。


「ただし……ちゃんと王立学園に入学できればの話だ! 試験に落ちた場合、全て水の泡だからな!」


「旦那様、その可能性は限りなく低いかと」


「それに……妻がレスト君を認めるかどうかもわからない。アイリーシュもじきに帰ってくるだろうし、レスト君をどう扱うかわからんぞ?」


 妻……アイリーシュ・ローズマリーの顔を思い浮かべ、アルバートはわずかに表情を曇らせた。

 姉妹の母親であるアイリーシュはかなり特殊な性格の持ち主だ。

 気に入った相手はとことん甘やかすが、気に入らない相手は塵芥ちりあくたのようにぞんざいに扱う。

 レストが美人姉妹を手に入れることができるかどうか……最終的には、アイリーシュに気に入られるかどうかにかかっていると言っても過言ではない。


「裏を返せば、奥様が認めてしまえば旦那様も何も言えませんね。妻に強く言えないのが婿養子の辛いところです」


「…………」


 アルバート・ローズマリー。

 彼もまたローズマリー侯爵家の婿養子であり、妻には頭が上がらないのだった。

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