第19話 エベルン夫妻は狂乱する②


 エベルン名誉子爵家の執務室にて、レストの父親であるルーカス・エベルンが苛立たしそうに机を叩いた。


「ああ、まったく……あの出来損ないめ! いったい何をしているのだ!」


 先日、ローズマリー侯爵家から書状が届いた。

 嫡男であるセドリックが侯爵家の姉妹を危険にさらしたばかりなので、戦々恐々として書状を開いたところ……それはまさかの招待状。

 出来損ないの方の息子であるレストを侯爵家の屋敷に招きたいというものだった。


 予想もしていない招待状を受け取って、ルーカスは心から困惑した。

 レストはエベルン名誉子爵家の次男ではあるものの、実質的には使用人と変わらない。

 屋敷で暮らすことも許さずに馬小屋で生活をさせており、食事も残飯を食べさせていた。

 もしも魔法の才能があれば、もう少しまともな待遇を用意しているのだが……赤子の頃に受けた魔力判定では『魔力無し』と診断されている。

 政治的な理由がなければ、引き取ることもなかっただろう。


(そもそも、アレはどこでローズマリー侯爵家と関わりを持ったのだ? 平民同然で『魔力無し』のガキ、屋敷を抜け出すことができたとしても、侯爵家との伝手を得ることなど不可能なはず……!)


 レストは屋敷で会ったと言っていたが、ルーカスは信じていない。

 そもそも、レストは朝食時以外には屋敷の立ち入りを禁じている。

 ローズマリー姉妹とセドリックが一緒にいたはずだし、出来損ないの息子が彼女達と会うチャンスはなかったはずなのに。


 招待を受けてローズマリー侯爵家に向かったレストは、夜になっても戻ってこなかった。

 送っていった馬車だけが名誉子爵家に帰ってきており、「レスト君は侯爵家に泊まって来るそうです」と伝えてきた。


(いったい、何がどうなったら、あの出来損ないが侯爵家に泊まることになるのだ……! 意味がわからない、何が起こっているのだ!?)


 頭を抱えるルーカスであったが……結局、翌日になってもレストは帰ってこなかった。

 自分の知らないところで何かが起こっていることをヒシヒシと感じて、ルーカスは胃を痛めている。


「クソ……! どうして、この私があの出来損ないのために悩まねばならぬのだ。来年には追い出す予定だというのに……!」


「あなた、大変よ!」


「旦那様、大変です!」


「うおっ!?」


 執務室に二人の人間が飛び込んでくる。

 ノックもなしに入ってきたのはルーカスの妻であるリーザ、屋敷で働いている執事だった。


「な、何だ急に! 驚くだろうが!?」


「そんなことを言っている場合じゃないのよ、貴方!」


「そうです、旦那様!」


「な、何がどうしたというのだ……」


「侯爵様が……来たのです!」


「は?」


 執事の言葉にルーカスが目を瞬かせる。


「ローズマリー侯爵様が来られました! こちらの屋敷に来ているのです!」


「な、何いいいいいいいいいいいいいいいいっ!?」


 思わぬ報告を受けて、ルーカスが身体をのけぞらせた。



     〇     〇     〇



 ルーカスが足早に応接室に行くと、すでにローズマリー侯爵がソファに座って待ち構えていた。

 背後には侯爵家の執事も控えている。ルーカスの記憶が確かならば、元・宮廷魔術師でディーブルという名前の男だったはず。


「ろ、ローズマリー侯爵様、よくぞ我が屋敷にお越しくださいました……! 本日はお日柄も良く、庭の花が見頃で……!」


「挨拶はいい。さっさと座りたまえ」


 ローズマリー侯爵……アルバート・ローズマリーが対面にあるソファを指差した。ここはルーカスの屋敷だというのに、我が物顔な態度である。

 ルーカスは額に汗が流れるのを感じながら、ソファに座った。


(ま、まさか、ローズマリー侯爵が直々に来られるとは……!)


 ルーカスは膝が震えそうになるのを必死になって堪える。


 ルーカスにとって、アルバートは宮廷魔術師の上司だった。

 基本的には寛大で良い上司だと思う。

 上位貴族の特権を振りかざして横暴に振る舞うことはないし、部下の相談にも乗ってくれる。

 よほどのミスでない限り、厳しく叱りつけてくることもない。

 同じ宮廷魔術師の中には、アルバートのことを理想の上司だと話して慕っている者も多い。


 だが……アルバートが身内に甘く、妻や娘を溺愛していることもまた、ルーカスは知っている。

 セドリックを使ってローズマリー姉妹を篭絡し、どうにか息子の嫁として娶ろうとしたのも、アルバートのそんな部分を利用して後ろ盾になってもらおうとしたからだ。


(もしも姉妹のどちらかをセドリックが落とすことができていれば、我が家はローズマリー侯爵家の親類になっていた。身内に甘い侯爵の庇護を受けることができたはずなのに……!)


 そうなれば、宮廷魔術師として出世も思いのままだった。

 いずれは王立学園に入学して、宮廷魔術師になるであろうセドリックの立場も盤石だったはず。

 しかし、その思惑は見事に裏目に出てしまった。

 自慢の息子であるセドリックならば、確実に姉妹の心を掴めると思ったのに……かえって、侯爵の怒りを買うことを仕出かしてしまったのだ。


「今日、私が来たのはご子息のことについてだ」


「せ、セドリックのことですよね……先日は大変、申し訳ございませんでした! まことに、まことに……どうかご容赦を……!」


 ルーカスが床に土下座をして、謝罪した。

 言い訳のできないようなことをしたのだ。もう謝るしかない。


「いや、そっちではない。もう一人の息子の方だ」


「ゴミ……じゃなくて、レストの方ですか? やはり、あの出来損ないが侯爵様に何かご無礼を……!?」


「出来損ない? ゴミ? まさかとは思うが……君は自分の血を分けた子供をそんなふうに扱っているのか?」


「あ、いえ……!」


 失言にルーカスが顔を青ざめさせた。

 唇を震わして、どうにか言い訳の言葉を紡ごうとする。


「……まあ、いい。今日は貴殿の人間性について咎めるために来たのではないのだ」


 アルバートが鼻を鳴らして、ソファに腰を落ち着けながら脚を組んだ。


「今日は君に相談があってやってきたんだ。レスト君を……君のご子息を侯爵家がもらいたい」


「は……アレを、侯爵家に……?」


「ああ、使用人見習いとして働いてもらうつもりだ。文句はないだろう?」


「も、もちろん構いませんが……アレは『魔力無し』ですよ? いったい、侯爵様がどうして……?」


 わけがわからない。ルーカスは困惑した。

 魔法の天才であるセドリックが欲しいというのであればわかるのだが……『魔力無し』で馬の世話くらいしか取り柄の無い、出来損ないを欲しがる理由がわからなかった。


「……それを説明する義務が私にあるのかね?」


「い、いえいえいえいえっ! アレで良ければ、喜んで差し上げます! どうぞ好きなようにお使いになってください!」


「そうか……素直に納得してくれて嬉しいよ。用事はこれで終わりだ」


 アルバートが立ち上がり、すぐさま控えていた執事が応接間の扉を開いた。


「あ、あの……侯爵様……」


「彼と引き換えに、君の自慢の息子が仕出かした失態は忘れよう。それでは失礼する」


「は……はひっ! ありがとうございます!」


 ルーカスが再び土下座をした。

 額を床の絨毯に擦りつけていると、アルバートの足音が遠ざかっていく。


「た、助かった……?」


 恐る恐る、頭を上げる。

 もうアルバートの姿はない。屋敷から去ってしまった。


 身内に甘い侯爵のことだ。

 ルーカスが宮廷魔術師をクビになり、セドリックの将来もまた潰されてもおかしくはなかった。

 それなのに……何故か、理由はわからないが助かった。


「あの出来損ないが初めて役に立ったな……何が侯爵様に気に入られたのかは、まったくわからないが……」


 もしかして……ローズマリー姉妹のどちらかがレストに一目惚れでもしたのだろうか?

 そんな考えがルーカスの頭に浮かぶが、「あり得ないな」と一笑した。


(優秀極まりないセドリックならばまだしも……アレが高貴な娘の目に留まるとは思えない。おそらく、何かの気まぐれだろう)


 目に見える才能でしか判断しないルーカスは、あくまでもレストを認めない。


(今回は失態を犯してしまったが……なに、まだチャンスはあるさ。来年には一緒の学園に通うことになるのだからな!)


 致命的になりかねない失敗をしたというのに、ルーカスはまだローズマリー姉妹を手に入れることを諦めていなかった。

 傲慢で視野の狭い父親は思う。

 今回はたまたま運が悪かったが、セドリックのことをよく知ってもらえたら、必ず侯爵家の娘も気に入るはずだと。


 何故なら、セドリックは天才だから。

 自分の才能をしっかりと受け継いだ、素晴らしい息子だから。

 出来損ないで平民の子供とは違う……自分のたった一人の子供だから。


「学園に入学したら、しっかりと侯爵家の娘を口説くように伝えねば……時間をかけて、ジックリとな……」


 愚者というのは、失敗から学ばないから愚者なのだ。

 ルーカスは愚かな思惑を巡らせながら、ニヤリと笑ったのであった。


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