第18話 姉妹に看病されます
『優しい子になってね』
それは母親との別れが訪れるほんの少し前のこと。
母親はベッドに横になりながら、レストの手を握りしめてか細い声で言った。
『強い子になってね。たくましい子になってね。友達がたくさんいる子になってね。幸せな子になってね』
『母さん……』
『貴方が大人になるところを最後まで見守ってあげられなくて、ごめんね。私をお母さんにしてくれてありがとう。生まれてきてくれてありがとう……』
お礼を言いたいのは自分の方だとレストは思った。
前世でのレストは両親からの愛情を受けることなく生まれ育ち、父親であるはずの男によって刺し殺されて人生を終えた。
そんなレストにとって、母親からの愛情を一身に受けて生きてきた十年間は宝石のように輝かしい日々だった。
望まれずに得た子供であるというのに、あの冷酷で無責任な男の子供であるというのに、自分を愛してくれた母親には感謝しかない。
産んでくれてありがとう。
愛してくれて、ありがとう。
そんなふうに告げると、母親は幸福そうな笑顔を浮かべた。
そして……笑顔のまま息絶えた。
『レスト君、世界を憎んではいけないよ』
母親を亡くしたレストに、顔なじみの司祭様が言った。
『これから、きっと君には多くの試練が訪れる。だけど……それは君を不幸にするためのものではない。女神は越えられる試練しか人に与えることはないのだ』
『…………』
『強く、まっすぐに生きなさい。憎しみや恨みに囚われるのではない。誰かを助けて、笑って生きていきなさい。そうすれば……必ず、君の周りには大勢が集まってくる。寂しさなんてすぐに忘れてしまうから』
司祭の言葉は、少なくとも半分は正しかった。
それからすぐにレストは父親に引き取られることになり、多くの試練が訪れることになる。
馬小屋で眠り、残飯を食べて……平民として暮らしていた頃よりも、ずっと過酷な日々へと放り込まれてしまった。
正直、父親や義母、セドリックを憎むことなく生きてこられたのが奇跡のようだ。
どこかで糸を編み間違えていたのであれば、レストはきっと復讐の鬼になってしまっていたことだろう。
自分の理不尽な人生はお前のせいだと、彼らに復讐の刃を向けていたに違いない。
(だけど……そうはならなかった)
そうはならなかった。すんでのところで踏みとどまっている。
父親を見返してやりたい、義母を出し抜いてやりたい、セドリックを遥かに超えていきたいという願望はあれど、殺してやりたいとは思っていない。
たぶん、それをしてしまったら母親や司祭様が悲しむから。
こんな自分を大切に思ってくれた人を悲しませないために、彼らが自分を愛してくれたことが間違っていなかったと胸を張るために。
レストはまっすぐに、自分の人生を切り拓いていくことを決めたのだ。
「…………あ?」
「目を覚ましたのね、レスト君!」
「レスト様、痛いところはありませんか?」
懐かしい夢を見ていた気がする。
レストが目を覚ますとそこには見知らぬ天井があり、両手をそれぞれ別の少女に握りしめられていた。
「ヴィオラさん、プリムラさん……?」
心配そうにレストの顔を覗き込んでいるのは、ローズマリー侯爵家の姉妹である。
名前を呼ぶと、ヴィオラとプリムラは目尻に涙まで浮かべて微笑んだ。
「ごめんなさい、レスト君……ウチの執事がやり過ぎちゃったみたいで……」
「お礼を言うために家に招いたというのに、こんなことになってしまうだなんて……本当にごめんなさい……」
「……いや、良いよ。俺も勉強になったから」
二人の手を離して、身体を起こす。
痛いところはない。怪我らしい怪我もない。
おそらく、眠っている間に誰かが治癒魔法をかけてくれたのだろう。
「お父さんとディーブルにはキッチリと言っておくからね! まったく、二人とも許さないんだから!」
「……許しません」
烈火に燃える鬼のような怒りの顔をするヴィオラと、極寒の地に住む魔女のように底冷えのする顔をするプリムラ。
よく似た顔の双子が浮かべる正反対の表情に、レストはブルリと身体を震わせた。
「い、いやいや……本当に大丈夫だよ? 全然、少しも痛いところはないし……勉強になったっていうのも本当だからね?」
実際、ローズマリー侯爵家の執事との戦いは未熟さを学ぶところが多かった。
対人戦闘経験の不足。
格闘の技量が足りていない部分などは今後の改善点だ。
早い段階で足りないところに気づくことができて、むしろ助かったとすら思っている。
「だけど……負けちゃったな。これじゃあ、推薦状がもらえないかな?」
「何を言っているのよ。そんなわけないじゃない!」
「え?」
「推薦状は絶対に書かせるわ。あの執事……ディーブルは元・宮廷魔術師なのよ。最初から勝てるわけがないもの」
ヴィオラが腰に手を当てて、断言する。
どうりで強いと思ったら、やはりベテランの魔法使いだったようだ。
(対人戦闘経験が少ないのも俺の弱点だよな……セドリック以外の魔法使いを知らないから、相手の強さの基準がわからない)
「お父様は推薦状を書くと約束してくれました。来年からは私達と同級生です」
「もちろん、お互いが試験に合格すればの話だけどね!」
プリムラがレストを安心させるように微笑んできて、ヴィオラも嬉しそうに胸を張った。
「そうか……ありがとう。君達のおかげで道が開けたよ」
「私達は命を助けられたんだから当然よ。それよりも……魔法の実技試験は間違いなく合格だろうけど、筆記試験の勉強はしているのかしら?」
「あー……してないかな……」
「だったら、私達の参考書を貸してあげるわ」
「えっと……良いのかな? そこまで面倒をかけちゃって」
「良いに決まってるわ。ねえ、プリムラ」
「そうですよ。いっそのこと、レスト様にこの家で暮らしてもらったらどうでしょう? それなら、勉強でわからないところを教えて差し上げることもできますよ?」
「良いわね、それ! グッドアイデアよ!」
プリムラの提案にヴィオラがパチリと指を鳴らす。
話がとんでもない方向に進んでいる気がする。レストが慌てて声を上げる。
「いやいやいやっ! いくら何でも、そこまで世話にはなれないよ! 年頃の女の子がいる家に、そんな……!」
「あら、どうして?」
「どうしてって……」
「お父様もお母様もいるし、執事やメイドも住み込みで暮らしているわよ? いちいち、そんなことを気にする必要ないでしょう?」
「そうですよ、レスト様が一緒の方が絶対に楽しいです。手間をかけて、必要な参考書を名誉子爵家まで運ぶなんてナンセンスです」
ヴィオラとプリムラが強い口調で言ってきて、レストの逃げ道を塞いでくる。
「レスト君は庶子であまり良い扱いをされていないんでしょう? だったら、エベルン名誉子爵も拒みはしないと思うわよ」
「レスト様に会うために名誉子爵家に行くのも嫌です。あのいやらしい人がいますから」
いやらしい人というのはセドリックのことだろう。
すっかり、姉妹から嫌われてしまっているようである。
「わ、わかった……侯爵様が良いと言ってくれたのであれば、お邪魔させてもらうよ……」
最終的には、姉妹に押し切られる形でレストは彼女達の提案を了承した。
侯爵に説得を丸投げしたともいえる。
「決まりね! それじゃあ、お父様に話を通さなくっちゃ!」
「お部屋の準備もしないとですね! ああ、忙しくなります!」
ヴィオラとプリムラが競い合うようにして部屋から出ていった。
残されたレストはわずか一日で人生が大きく動いたのを感じて、部屋の扉を呆然と見つめていたのである。
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