第10話 エベルン夫妻は狂乱する
「何ということをしてくれたのだ! あの馬鹿息子め!」
エベルン名誉子爵家の当主、ルーカス・エベルンが屋敷の執務室で怒声を発した。
ルーカスの息子であるセドリックがとんでもないことを仕出かしてしまったのだ。
ローズマリー侯爵家の姉妹……ヴィオラとプリムラを森に連れ出し、あわや命を落としかねない危機に陥らせたのだ。
運良く彼らを襲ってきた魔物が立ち去ってくれたから良かったものを、あと少しで二人が怪我じゃ済まない目に遭うところだった。
「あの姉妹にはくれぐれも丁重に接しろと言っていたのに……ああ、クソ! 私の計画が台無しだ!」
「貴方、あんな娘達はどうでも良いではないですか! そんなことよりも、息子が……セドリックが怪我をしてしまったんですよ?」
ルーカスの妻……リーザ・エベルンが騒ぐ夫に眉をひそめる。
「そんなことを言っていられる場合ではない! このままでは、私達は貴族でなくなってしまうのだぞ!?」
「貴族で……どういう意味ですか?」
リーザが心底、不思議そうな顔をしている。
何もわかっていない妻に苛立ちながら、ルーカスはテーブルに拳を叩きつけた。
「ヴィオラ嬢とプリムラ嬢、あの二人はローズマリー侯爵家の娘。私の直属の上司である宮廷魔術師長の娘なのだ!」
エベルン名誉子爵家もまた貴族であったが、ローズマリー侯爵家とは格がまるで違う。
名誉子爵というのは役職に付随して与えられる爵位であり、『にわか貴族』や『貴族もどき』などと蔑視されている存在だった。
ルーカスが宮廷魔術師の地位に就いているため仮初に貴族の地位を与えられているが、役職を退いたら平民に戻ってしまう。
ルーカスの息子……セドリックが宮廷魔術師になれば、祖父から三代続いて宮廷魔術師の地位を得たことで、正式な『子爵』として叙勲されるはずだった。
だが……ここにきて、そんな未来絵図が崩れかねない事件が起こってしまった。
「ローズマリー侯爵がその気になれば、私をクビにして宮廷から追い出すことは容易だ……! もしも宮廷魔術師でなくなってしまえば、その時点で平民に落ちてしまう……!」
こんなことなら、ローズマリー侯爵家の娘を屋敷に招くのではなかった。
ローズマリー侯爵家には二人の娘がいて、いずれも類まれな美貌の持ち主として知られている。
彼女達のどちらかとセドリックをくっつけ、妻として娶ろうと思っていたのだが……その思惑が仇となってしまった。
「ローズマリー侯爵家の娘を我が家に迎えてセドリックの後ろ盾にすることができれば、子爵どころか伯爵への昇進も有り得たかもしれぬ。それなのに、あの馬鹿息子め……!」
来年、一緒に王立学園に入学することを利用して、必死に交流の機会を持つように頼み込んだというのに。
絶対に姉妹を落とすようにと言い含めておいたのに、まさかこんなことを仕出かしてしまうとは。
ローズマリー侯爵家に謝罪に行ったところ、見事に門前払いを喰らってしまった。
取り付く島もない状態。弁明の機会すら与えられなかった。
「そ、そんな……冗談でしょう? 私達が平民に……?」
リーザがようやく事態を把握したのか、ワナワナと震える。
「そんな……話が違いますわ。私達は子爵に、貴族になれるのではなかったのですか……?」
「セドリックがしっかりしていたのであれば、そうなっていたはずなのだ。いったい、どこで教育を間違えたというのだ……!」
「あ、あの子は心優しくて良い子のはずなのに……そんな、女性を怪我させようとしてしまうなんて……」
ルーカスとリーザは幼少時から息子のセドリックを甘やかしており、ほとんど叱ることはなかった。
セドリックが卓越した魔法の才能を生まれ持っていたことが大きいのだろう。
弱者を虐げ、身勝手に振る舞うセドリックの人格が歪んでいることにすら、気がついていなかった。
「セドリックは奴と、あの出来損ないとは違うと思っていたのに……どうしてこんなことに……!」
「旦那様、失礼いたします」
扉をノックして、執事が入ってきた。
「ローズマリー侯爵家より書状が届きました」
「何っ!? こっちへ寄こせ!」
ルーカスが執事の手から手紙を奪い取り、焦りながら
折りたたまれた手紙を開いて中に目を通し……そして、固まった。
「何だと……これはいったい……」
「ちょ、ちょっと貴方! 何が書いてあったのよ!?」
「…………」
リーザが焦って夫に訊ねるが、ルーカスは手紙を手にしたまま停止している。
かなり長い時間、そうしていたが……不意に顔を上げて妻に告げる。
「あの出来損ないを……レストをローズマリー侯爵家の屋敷に招待したいとのことだ。私達やセドリックは来なくていい、アイツだけを招くと……」
「…………はい?」
予想もしない手紙の内容に、ルーカスとリーザはそろって思考停止に陥った。
レストの知らないところで大きく事態が動こうとしていた。
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