第8話 美人姉妹は苦労しています


 セドリックとローズマリー姉妹、男爵子息二名が森を奥へ奥へと進んでいった。

 森を進むにつれて、どんどん木々が生い茂って暗くなっていく。

 この辺りまでくると木こりや狩人も足を踏み入れないため、植物が成長し放題になっていた。


「ねえ、そろそろ戻った方が良いんじゃないかしら? 魔物狩りはもう十分でしょう?」


 さすがにこれ以上は不味いだろうと、ローズマリー姉妹の姉……ヴィオラが声をかける。


「森の奥には強い魔物もいるわ。じきに日が暮れるだろうし、帰りましょう」


「いや……もう少しだ。もう少しだけ進もうぜ」


「セドリックさん、いい加減に……」


「あと少しだけ! もう一体だけでいいから、魔物と戦わせてくれよ!」


 セドリックが必死な様子で言い募る。

 まだローズマリー姉妹を自分に惚れさせていない。

 もっと強い魔物を倒して見せれば、自分の魔法の才能を見せつければ……必ず、自分のことを好きになってくれるはず。

 幼い頃から魔法の才能を称賛され、腹違いの弟を虐げて生きてきたセドリックは持ち前の傲慢さからそう確信していた。


「ハア……」


「…………」


 実際には、そんな横暴でワガママな振る舞いによって姉妹から向けられる視線に軽蔑が混じっている。

 しかし、生まれてから一度として他者から否定されたことがないセドリックは気がつかなかった。

 姉妹の忠告を聞くことなく、ズンズンと森を奥に進んでいってしまう。


「セドリックさん! 待ってくださいよ!」


「置いてかないでくださいって!」


 一人で進んでいくセドリックを友人二人が追いかける。

 三人の男子が姉妹の冷めた視線を浴びながら、森の奥に進んでいった。


「ちょっと……」


「ね、姉さん……!」


 姉妹も仕方がなしに三人の男子を追いかける。

 いっそのこと、彼らを放っておいて自分達だけで帰ってしまおうかとも思ったが……実行に移すのが遅かった。

 ここまで深部に来てしまうと、姉妹だけで森の外に出るのも危険が伴う。

 ローズマリー姉妹はもっと早く、自力で森から出られるうちにそう決断するべきだったのだ。


「お、狼の魔物がいたぞ!」


 彼らの前に大型犬ほどの狼が現れる。

 狼は輝くような銀色の体毛を生やしており、滅多に見ない美しい狼だった。


「え、アレって……」


 ヴィオラが瞳を見開いた。

 銀色の狼の魔物。その正体に心当たりがあったのだ。


「ハハッ! 現れたな、魔物め! ぶち殺してやるよお!」


「ちょ……待ちなさい! その魔物は……!」


「【風刃ウィンドカッター】!」


「キャインッ!」


 ヴィオラが制止するよりも先に、セドリックが魔法の刃を放つ。

 銀色の狼が胴体を斬られて、血を流して倒れる。


「キュ、キュウ……」


「よーし、トドメだ! コイツは持ち帰ってはく製にしてやるぞ!」


「やめなさい、その魔物を殺したらダメよ! その魔物は……!」


「ガアアアアアアアアアアアアアアッ!」


「ッ……!」


 身の毛もよだつような絶叫が森に響く。

 木々が震え、ズシンと大きな音を立てて地面が揺れる。


「ヒイッ!? なんだあっ!?」


 突然の出来事に、狼にトドメを刺そうとしていたセドリックが尻もちを搗く。

 友人の男子二人も同じようにへたり込んでいる。


「ね、姉さん!」


「プリムラ! 早くこっちへ……!」


 ヴィオラがプリムラを連れて、その場を逃れようとする。

 しかし、姉妹が逃げるよりも先に木々が薙ぎ倒され、『それ』がやってきてしまう。


「グルルルルルルルルルルッ!」


「あ……!」


 それは白銀の体毛をまとった狼だった。

 セドリックが倒したものとは比べ物にならないほど大きくて、象ほどの大きさがある。

 満月のような黄金色の瞳が逃げようとする姉妹を捉え、その場に硬直させる。


「ホ、ホワイトフェンリル……!」


 ヴィオラが震える声で、その名前を口に出す。

 それはもっと北の寒冷地に住んでいるはずの魔物の名前である。

 近衛騎士か宮廷魔術師、ベテラン冒険者パーティーがようやく倒せるような強力な魔物であり、賢く、獰猛な魔物として知られていた。

 セドリックが倒したのはホワイトフェンリルの幼生体だったのだ。

 幼生体でも普通の狼と同じくらいのサイズがあるため、セドリックはそれが子供であると気がつかなかったのである。


「う……ウワアアアアアアアアアアアアアッ!」


「セドリックさん!」


「た、助け……ヒイイイイイイイイイイイイイイッ!」


 とんでもない怪物を前にして、セドリックが恐慌して逃げ出そうとする。

 この状況ではありえない、迂闊な判断だ。

 ホワイトフェンリルが素早く地面を蹴って飛びかかり、セドリックの身体を前足で蹴り飛ばす。


「グヘッ……!」


 蹴られたセドリックがボールのように飛んでいき、太い木の幹に衝突した。

 ズルズルと地面に崩れ落ちて、そのまま気を失ってしまう。


「せ、セドリックさん!」


「うわあああああああああああッ!」


 二人の男子がそろって悲鳴を上げると、鬱陶しいとばかりに再び前足が振るわれる。

 ダン、ダンと鈍い音が二度生じて、男子達が腐葉土の地面に叩きつけられた。


「ね、姉さん……どうしよう。このままじゃ私達も……!」


「お、落ち着いて、プリムラ。大丈夫よ……!」


 ホワイトフェンリルは本来であれば、もっともっと北の寒冷地に棲んでいる魔物である。

 よくよく観察してみると、そのホワイトフェンリルは後ろ足を引きずっており、他にも大小の怪我を負っているように見えた。

 おそらく、もっと北方にいた彼らは敵と戦い、敗北して南に逃れてきたのだ。


「……ホワイトフェンリルは獰猛ではあるけれど、とても賢くて人の言葉を介すると本で読んだことがあるわ。怪我をしているし、見逃してくれるかも」


「グルルルルルルルルルルッ!」


 ホワイトフェンリルが黄金色の瞳で姉妹を見据える。

 唸り声をあげて威嚇してくるが、ひとまず襲ってくる様子はない。


「あ、あなたの子供を傷つけてごめんなさい。そんなことをするつもりはなかったのよ」


「グルルル……」


「私達はもうここを立ち去るわ。あなたにも子供にも危害を加えない。だから……見逃してくれない……?」


 恐る恐るヴィオラはそう口にして、ホワイトフェンリルの様子を窺った。


「…………」


 ホワイトフェンリルはしばし姉妹のことを窺っていたが……やがて、巨大なあぎとを頭上に向けた。


「グオオオオオオオオオオオオオオッ!」


「「ヒッ!」」


 姉妹が寄り添い、そのまま座り込んだ。

 逃げ出そうという意識すら浮かばなかった。

 捕食者の威圧を間近で喰らってしまい、地面に影を縫い付けられたように動けなくなってしまう。


「プリムラ……」


「姉さん……」


 姉妹が互いの名前を呼んで、抱き合う。

 恐怖に震える姉妹は戦うことも、逃げることもできなかった。

 ホワイトフェンリルがジリジリと二人に近づいてきて、大きな口を開いて姉妹を噛み砕こうとする。

 絶体絶命。二人の脳裏が絶望の一色に染められる。


「【風球ウィンドボール】」


「ギャンッ!」


「「え……?」」


 しかし、ホワイトフェンリルの横っ面に強烈な一撃が叩き込まれて、巨体が横に転がる。

 姉妹が驚きに目を見開いて、魔法が飛んできた方向に顔を向けた。


「やれやれ……本当に仕方がないなあ。ウチの愚兄はこれだから……」


 森の茂みの中から現れたのは、姉妹と同年代の少年である。

 黒髪黒目。やや薄汚れた服を着ているが、顔立ちは整っていた。


「セドリックがやらかしちゃって、すまないね。もう心配いらないから大丈夫だよ」


 そう言って、少年……レストは姉妹に優しく微笑みかけたのである。

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