第4話 牙を磨いてます
「ただいま、戻りました……と」
「ヒヒーン!」
訓練場の片付けを終えたレストが馬小屋に戻ってくると、二匹の馬が
頭をすり寄せてくる馬の頭を撫でつつ、馬小屋の中を見回す。
「ああ……今日も差し入れがあるのか。いつも申し訳ないな」
馬小屋の片隅に目立たないように布の包みが置かれている。
包みを解いて中身を確認すると、中にはパンとチーズ、干し肉、それに傷薬の軟膏が入っていた。
これは屋敷で働いている使用人の誰かが隠れて、レストに贈ってくれた差し入れである。
レストの母親はかつてこの屋敷で働いていたメイドだった。
主人のルーカス・エベルンによって手籠めにされて、子を孕んだ果てに屋敷を追い出されたが……古参の使用人の中には母親と顔なじみだった者がいる。
母と親しくしていた使用人はレストの境遇に対して同情しており、何かと気遣ってくれるのだ。
主人の手前、表立って虐待を庇ってくれたりはしないが……こうして、人目を忍んで食べ物を恵んでくれるのである。
(母さんは同僚に恵まれていたんだな……まあ、代わりに雇い主には恵まれなかったみたいだけど)
「美味い……」
パンを口に運んで、チーズを齧る。
どれも質素な味だったが、朝食の席で出されている残飯のエサと比べたら雲泥の差だった。
食事を摂りながら馬小屋の窓から、屋敷の方を見る。
屋敷の窓からはランプの明かりが漏れており、とても暖かそうだ。
隙間だらけで冷えた風が吹き込んでくる、暗い馬小屋とは大違いである。
(あの連中は俺が凍えたところで、どうでもいいんだろうな……)
浮気をされた義母や腹違いの兄であるセドリックはともかくとして、父親のルーカスはどうして、ここまでレストを冷遇することができるのだろう。
血を分けた息子だというのに、力ずくで孕ませた子供であるというのに、その責任をまるでとろうとはしていない。
(たかが新興貴族がそんなに偉いのかな? 領地も持っていない『名誉』子爵のくせに。大して平民と変わりもしないくせにね)
心の中で毒づくレストであったが……このセリフを父親に浴びせようものなら、烈火のごとく怒り狂って
エベルン名誉子爵家は貴族家ではあるものの、爵位を世襲することはできない。
名誉貴族というのは特定の役職に付随した一時的な爵位であり、役職を辞したら取り上げられて平民に戻ってしまうものなのだ。
ルーカスは宮廷魔術師という国王直属の魔法使いであり、この役職に就いたことで『名誉子爵』の地位を与えられた。
自分達が貴族だと威張っているくせに、実際は平民と大差ないのである。
(だけど、セドリックが名誉子爵を賜ることができたら、正式な貴族家として認められる……)
名誉貴族は一時的な爵位ではあるものの、三代連続して同じ爵位を得ることができたら、正式な世襲貴族として認められるのだ。
エベルン名誉子爵家は二代連続で宮廷魔術師を輩出しており、名誉子爵の位を授かっている。
三代目であるセドリックが同じように宮廷魔術師になり名誉子爵を得ることができたら、世襲可能な『子爵』の位を与えられて名実ともに貴族となることができる。
(だからこそ、高い魔法の才能を生まれ持ったセドリックを持て囃して、ワガママ三昧を許しているんだろうな……馬鹿馬鹿しいよな。まったく)
大切な跡継ぎであると思っているのならば、なおさらに品行方正になるように教育を施すべきである。
正式に子爵となれば社交界に出る機会だって増えるだろうし、礼儀作法もなってないのであれば、恥をかいてしまうだけではないか。
(……まあ、俺はどうでもいいことだけどね。セドリックが何処で恥をかこうと知ったことではないし。魔法の腕を磨くことだけを考えよう)
成人年齢である十五歳になったら、この屋敷を出て立身出世のために奮闘する。
それまで、魔法の腕を磨いて少しでも強くなってやろう。
「……今夜も森に行ってこようかな」
チーズの最後の一欠片と口に放り込んで、レストはつぶやいた。
レストが住んでいるのは王都の郊外にあるエベルン名誉子爵家の屋敷。
この近くには魔物が棲んでいる森があって、レストは日常的にそこに繰り出していた。
目的はもちろん、魔物を狩って魔法の訓練をすることである。
いつか家を出て、自分の力で身を立てる。
そのために、家族に隠れて虎視眈々と牙を磨いているのである。
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