第2話 馬小屋で暮らしています

「ヒヒーン!」


「ブルヒヒヒッ!」


「…………夢か」


 耳元で馬がいなないている。

 低い鳴き声で耳に囁かれ、レストは夢の世界から現実に回帰した。


 レストが眠っていた場所は屋敷の庭の片隅にある小屋……つまり、馬小屋である。

 柵の中にいる馬が、飼い葉に埋もれて眠っていたレストの髪を噛んで引っ張ってきた。


「わかってる。すぐに水を持ってくるよ。待っていてくれ」


 あくびを噛み殺して起き上がり、身体についてた飼い葉を払い落とす。

 馬小屋で寝て、馬に起こされて、馬の世話をする。

 いつもの日課である。

 エサをやり、水を替え、小屋の中を丁寧に掃除した。

 最後に馬達の身体をブラッシングしてやると、心地良さそうな鳴き声が上がる。


「ヒヒーン」


「綺麗になって気持ちが良いかい、ジェニー。ルーシー」


「ヒンヒン」


「ああ、俺も気分がいいよ。久しぶりに母さんの夢を見たんだ」


 母親の柔らかな笑顔を思い出して、レストは穏やかに微笑んだ。


 レストの母親が天に召されて、ちょうど二年になる。

 原因は流行り病だ。レストは必死になって金をかき集めて薬を購入したが、間に合わなかった。

 最後の最後まで、母親はレストのことを案じていた。

 薬のおかげで苦しむことなく安らかに旅立つことができたのは、不幸中の幸いだろう。


 レストの年齢は十二歳。母を亡くしてこの屋敷に来たのは十歳の頃だ。

 この国における成人年齢は十五歳のため、まともな仕事に就くこともできない。

 そのため、国の法律に従って血縁者……つまり、自分と母親を捨てた父親に引き取られることになったのである。


(まあ、あの父親は俺なんて引き取りたくはなかったんだろうけど……)


 農具を使って飼い葉をならしながら、レストは冷たく目を細める。

 レストだって、父親と関わりたくはなかった。

 成人していたのであれば自立できたのだが、未成年はそうもいかない。

 父親もレストを引き取らない理由を探していたようだが……彼には彼なりの理由があったらしくて、渋々ながらレストを屋敷に迎え入れた。


 後になって知ったことだが……宮廷魔術師である父親には政敵がいて、足の引っ張り合いをしているらしい。

 この国を治めている国王は人格者として知られていた。

 親を亡くした子供を見捨てたとなれば、不興を買ってしまうことになる。

 政敵に付け込まれる隙を与えないため、嫌々ながらレストを引き取ったのだ。


(それでも……馬小屋に住ませるあたり、あの男の性格の悪さがわかるよな。まあ、意地が悪いのは夫人かもしれないが)


「あーあ……今日も時間になっちゃった。行ってくるよ」


「ブヒヒン」


 レストはウンザリとした顔で馬の頭を撫でた。


「【清浄クリーン


 最後の仕上げに魔法を発動させる。

 途端、正常な空気が馬小屋の中に流れ込んで残っていた雑菌や臭気を消し去った。

 二頭の馬が嬉しそうに鳴いた。


(俺が本当は魔法が使えるって知ったら、あの男はどんな顔をするのかな……まあ、どうでもいいけどね)


 レストは肩をすくめて、馬小屋から出ていった。

 早朝の日課である馬の世話が終わったわけだが……まだとびきり嫌な日課が残っている。


 父親と義母、そして……腹違いの兄との一日ぶりの対面。

 自分を見下している家族へ、ご機嫌うかがいの時間であった。



     〇     〇      〇



 宮廷魔術師である父親……ルーカス・エベルン名誉子爵は新興貴族の二代目であり、住んでいる屋敷も貴族としてはさほど大きいとは言えない。

 それでも、馬小屋に比べると月とスッポン。手入れがされており、外観も整っている。


 屋敷で働いている使用人は十人ほど。

 大貴族の屋敷であれば貴族の子弟・子女が働いているものだが、新興貴族のため使用人は平民出身。

 レストにとっては血のつながった家族よりもずっと親近感のある相手である。


「おはようございます」


「……おはよう。今日も例のアレかい?」


「ええ、まあ」


「そうか……しっかりな。くじけるなよ」


 男性の執事が同情した様子で、レストの肩を叩いてきた。

 屋敷に入り、すれ違う使用人らに挨拶をしながら向かったのはダイニングである。

 ノックをするとすぐに入室の許可が出た。レストは大きな溜息を吐いてから、扉を開く。


「失礼いたします。皆さま、おはよう……」


「えいっ!」


「痛っ……!」


 扉を開けた途端、固い何かが飛んできた。

 レストの額に命中して床に落ちたそれは、掌に収まるほどの大きさの石だった。


「アハハハ、命中! やったぜ!」


 両手を叩いて喜んでいるのは、腹違いの兄……セドリック・エベルンだった。

 ダイニングのテーブルに着いた兄は満面の笑顔で、額から血を流しているレストを嘲笑っている。

 兄とはいっても、レストとエベルンの年齢はわずか半年しか違わない。

 正妻の妊娠中、父親がメイドをお手付きにして孕ませた子供がレストなのだ。


(もっとも……年齢が同じでも、扱いは雲泥の差なんだけどね)


 レストはハンカチ……というか、雑巾のようなボロ布を取り出して、額から流れる血をぬぐった。

 部屋の中には三人の人間がいた。屋敷の主人とその妻子である。

 ダイニングテーブルにはすでに料理が並べられており、三人は朝食を摂っている最中だった。


「……おはようございます。旦那様、奥様、セドリック様」


「…………フン」


 傷のことには一切触れずに、頭を下げて屋敷の主人に挨拶をする。

 レストの父親……屋敷の主人であるルーカス・エベルン名誉子爵は子供じみた悪戯をした嫡子の息子を咎めることなく、つまらなそうに鼻を鳴らす。


「あらあら、今日も汚いわねえ。見ているだけで貧乏が移ってしまいそうだわあ」


 嫌味ったらしく言ってきたのは、ルーカスの妻にしてセドリックの母親。

 名誉子爵家の夫人であるリーザ・エベルンである。

 リーザはゴミでも見るような目をレストに向けてきており、いつもと同じようにマニキュアを塗った指を床に向けた。


「汚れた腹から生まれた卑しい子供は、犬のように食べるのがお似合いよ! 今日もさっさとエサを食べなさい!」


「そうだそうだ! さっさと食えよ、穢れた血め!」


 ケラケラと笑って、母親の対面に座っているセドリックが床を足で何度も踏みつける。

 食事中に品の無さ過ぎる行動だったが、両親ともに咎めることはしない。


「…………」


 レストが床に視線を落とすと、そこには茶色の何かが盛られた皿があった。

 これが毎朝の日課。

 三人はレストに犬のように這って食事をしろと言っているのだ。


「……いただきます」


 レストは屈辱に耐えながら四つん這いになり、食事に口をつける。

 ナイフやフォークを使用することは許可されていない。

 こうして犬食いをしなければ、鞭で背中を叩かれてしまうのだ。


「まあ! なんてブサイクなのかしら! そこまでして食事が食べたいだなんて、やはり母親が卑しいと子供まで卑しくなるのねえ! さすがは泥棒猫が産んだ子供だわあ!」


 得体のしれない料理を犬食いしているレストを見て、リーザが忌々しそうに言う。


「あの女といい、この子供といい……なんて見苦しいのかしら。このような下賤が同じ空間にいるだなんて耐えられないわあ!」


 耐えられないなどと言いながら、リーザは毎朝のようにレストのことを朝食の席に呼ぶのだ。

 リーザは夫の浮気をいまだに許していない。

 浮気相手のメイドが産んだ子供であるレストを憎んでおり、鬱憤晴らしのためにこうして尊厳を踏みにじっているのだ。

 レストを馬小屋に寝泊まりさせているのも、リーザの意思である。


(女の嫉妬は醜いなあ……文句があるのなら、浮気をした夫に言えばいいのに)


 心を殺し、作業的に朝食を食べながら、レストは内心で義理の母親である女性に呆れ返る。


 浮気をしたのは父親……ルーカスだ。

 ルーカスはメイドとして働いていたレストの母親を力ずくで犯し、孕ませた。

 母親は完全な被害者であり、リーザに恨まれる筋合いなどなかった。


「ごちそうさまでした! さーて、今日も魔法の訓練をしようかな!」


 先に食事を終えたらしく、セドリックが立ち上がった。

 そのままダイニングを出ていこうとして……ついでとばかりに、床のレストを踏みつけた。


「うっ……!」


「おい、今日も魔法の練習相手になれよ! 着替えてくるから、庭で待っていろ!」


「……畏まりました。セドリック様」


 レストが呻くように了承すると、セドリックは「アハハハハッ!」と愉快そうに笑いながらダイニングを出ていった。


「申し訳ございません、旦那様、奥様。食事の途中ではありますが……セドリック様の訓練がありますので、これで失礼いたします」


「……好きにしろ」


「仕方がないわね……息子に逆らったら承知しないわよ」


「もちろんです。失礼いたしました」


 レストはそそくさとダイニングから出ていった。

 正直、セドリックのおかげで居心地の悪い朝食から抜け出せて、感謝している。


(……今日も傲慢な連中だったな。こんなことをして、何が楽しいんだか)


 レストは額の傷に触れて、魔法を発動させる。

 いまだ血が滲んでいた傷口が消えた。

 治癒魔法を使って傷を治療したのである。


「念のため、タオルを巻いておこうかな……」


 傷を治したことをバレないよう、頭に布を巻いておく。

 この家の人間は基本的にレストに対して無関心だし、これだけで誤魔化すことができるはず。

 一緒に暮らすようになって二年も経っているというのに、彼らの誰もレストが魔法を使えることに気がついていなかった。


「さて……行くか」


 レストはうんざりと溜息を吐きながら廊下を歩き、セドリックの訓練に付き合うために屋敷の庭に向かっていった。

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