第16話 暗躍する式神使い


 A級妖魔「大嶽丸おおたけまる」が現世に顕現する前日の深夜、誰も居ない昭間公園を歩く一人の人間が居た。


 青白い顔をした、神経質そうな男。陰陽師が着る白い狩衣かりぎぬに身を包んだ彼の名は、鳴神なるかみ悠紀夫ゆきお。魔法塾に勤める魔法講師であり、得意とする分野は式神の使役だ。


 月城千佐都とは同期であり、黒瓜秋花や土御門小春からは先生と呼ばれ頼りにされている。彼は優秀な二等術師なのだ。


 そんな彼が深夜の公園で何をしているのか。その答えは、これから向かう先にある。


 人目を忍んで公園の奥へと入り込んだ鳴神は、やがて並木道の途中で立ち止まった。それから、木々の間に隠された「門」を簡易的な儀式によって開き、その奥へと足を踏み入れる。そうして鳴神は、昭間公園から姿を消すのだった。


 ――開いた門の向こう側にあったのは、どこまでも続く真っ暗闇である。ここは人々が暮らす人間界と、妖魔たちが跋扈ばっこする無数の異界の狭間に存在している虚無の空間だ。


 多くの妖魔はここを通って人間界へとやって来る。だがしかし、この空間へ立ち入ることができる退魔師はほとんどいない。


 鳴神は慣れた足取りでどこまでも続く暗闇を進んでいく。


 しばらくすると、彼の目の前に突然二枚立にまいだてふすまが出現した。


 鳴神は特に驚きもせず、ゆっくりとした手つきでそれを開く。


 襖の先は狭い座敷になっていた。


 座敷にはすでに三体の妖魔が集まっており、丸い机を囲んで向かい合っている。


 まるで密談でもしているかのように。


 正面に座っているのが、黒い着物を着た長身の男――悪路王あくろおう。右側に座っているのが、黒いスーツを着た金髪の美青年――ベルゼブブの名を貸し与えられた眷属。そして左側に座っているのが、紫色の着物を身に纏った異形の女性――絡新婦。いずれも退屈そうな面持ちである。


 悪路王の霊力は、A級の上位。そして他の二人はB級の中位程度。歪な力関係だが、眷属と絡新婦の背後にはそれぞれ、S級妖魔が付いている。


 蠅の王ベルゼブブ。そして化蜘蛛の頭領、都知久母つちぐも


 いずれもその名前を出しただけで、大半の妖魔や退魔師が震え上がる絶対的な存在だ。


 そうして三者の均衡は保たれていた。


 取り引きする妖魔を慎重に選び、力関係を調整する。並大抵の退魔師では成し得ない芸当である。


「……来たか人間。わざわざこの私を呼びつけたのだ。相応の吉報があるのだろうな?」


 悪路王は、座敷へ入ってきた鳴神を見るなりそう問いかけた。


 もし仮にこの場で「何もない」と言えば、即座に首を刎ねられてしまいそうな威圧感と邪気を放っている。


「ええ、もちろん」


 鳴神は無表情を保ったまま、三者の前に跪いて答えた。


「手短に話してくれよ。ここに居ると田舎くさくて息が詰まりそうだ」


 ベルゼブブの名を貸し与えられた眷属は、退屈そうにあくびをする。


「……あんた、生意気な態度だねぇ。偽者の分際で、随分と偉そうじゃないか」


 対して、小馬鹿にしたような笑みを浮かべながら突っかかる絡新婦。


「偽者? ……違うね。僕は正式にベルゼブブ様の名を貸してもらったんだ。正統な次代蠅の王であるこの僕に、それ以上ふざけた口を利くのなら……君は死よりも恐ろしい苦痛を味わうことになるよ?」

「つまるところ、ハエの王様の名前を借りて、そのちっぽけな権威に縋っているだけだろう? みっともないったらありゃしないよ。……ほんと、哀れだねえ」


 そう言われた眷属は、不服そうに絡新婦のことを睨みつけた。


「フン! 辺境の大蜘蛛サマに媚びへつらう方がよっぽど哀れだと思うけどね」

「都知久母様はお優しいお方だ。それ以上の侮辱は許さないよ」

「落ち着きなよ。僕は大蜘蛛サマじゃなくてキミのことを馬鹿にしてるんだ。分かる?」

「…………なんだってッ?」


 蠅と蜘蛛。同じ虫同士ではあるが、反りは合わないらしい。


「――黙れ虫けらども。私はその男の話を聞きに来たのだ。これ以上騒ぐのなら、その脚を一本ずつもいでしまうぞ?」


 悪路王がその身に宿す膨大な霊力を発しながら威圧すると、眷属と絡新婦は小さな舌打ちをして静かになった。


「さあ、話してみろ人間」


 悪路王に促された鳴神は、ゆっくりと顔を上げ話し始める。


「人間界を覆う結界を、僅かな時間だけ破ることができるようになりました」

「――ほう、思ったより早かったな」


 感心した様子で言う悪路王。


「つまり……都知久母様も向こうへ行けるってことかい?」

「ええ、いずれそうなります」


 鳴神は、絡新婦の問いに頷いた。


 結界とは、一等の更に上の秘匿された退魔師によって張られたものであり、強い霊力を持つ妖魔を拒絶する術式が施されている。


 これが存在することで、一部のA級妖魔と全てのS級妖魔は、人間界へ侵入することができなくなっているのだ。


「明日の夜、私が一度結界を破ります。ですが、その際に通ることができるのは、霊力と穴の大きさの関係上、悪路王様一人だけです」

「おいおい、それは不公平なんじゃないかい? 先に人間を食い荒らされでもしたら、ベルゼブブ様へ献上する分がなくなってしまうだろう!」

「早い者勝ち……って取り決めだからねえ。最初くらいは揃えておくれよ」


 眷属と絡新婦は、鳴神に対し抗議した。


 鬼、蠅、蜘蛛の三つの勢力は、それぞれ同時に人間界へ侵攻し、早い者勝ちで土地や資源ヒトを奪い合う取り決めをしているのだ。


「お前らはいつでも結界を越えられるのだから良いだろう? ……だがまあ、そういうことなら先に弟の大嶽丸を通らせよう。あれだったら、私ほどは好き勝手に暴れないはずだ――それ以上は譲歩できんな」

「ベルゼブブ様も都知久母様も、その翌日には人間界へ通ることができるようにしておきます。どうか、寛大なお心でお待ちください」


 鳴神は二者にそう説明し、深々と頭を下げた。


「……まあ、仕方がないか。僕じゃ結界は破れないわけだし。君の言うことを聞いてやるしかない」

「その時までちゃんと人間が残ってるなら、あたしも文句はないよ」

「――では決まりだな」


 こうして妖魔たちは、人間界へ侵攻する際の取り決めを終えたのだった。


「しかし人間。貴様はなぜ、人でありながら妖魔にくみする?」

「確かに、目的が分からないね。気味の悪い奴だよ」

「何を考えてたって、どうせ私らをどうこうすることは出来ないだろうけどねぇ」


 妖魔の視線が集まる中、鳴神はこう答える。


「簡単な話です。私は人間が嫌いなのですよ」


 *


 集まっていた妖魔たちが去り、誰もいなくなった座敷に一人残る鳴神。


 結界を破り、凶悪な妖魔達を次々と人間界へ送り込もうと目論む危険な男の目的は、人類を滅ぼすことではない。


 もっと単純なもの――強いて言えば興味本位だ。


 彼は単に、人間界全てを巻き込み、とある呪術の実験をしたいだけである。


 その呪術の名は蠱毒こどく。壺の中に無数の毒虫を閉じ込め、最後の一匹になるまで共食いさせ、強力な呪いを生み出す儀式。


 人間界を覆う結界を蠱毒の壷に見立て、中に閉じ込めるのは全人類と厳選した強大な妖魔たち。


 目ぼしい妖夢を全て誘い込んだ後で結界を修復し、世界を混乱に陥れ、人も妖魔も関係なく争わせるのだ。


 先程、妖魔たちに「一時的に結界を破れるようになった」と語ったが、その言葉は正確ではない。


 結界を完全に破る術は既に発見しており、今回身に付けたのは結界を修復する為の術だ。


 彼は退魔師たちだけでなく、妖魔をも欺いているのである。


 鳴神は思う。地球規模での食い合いの果てに完成した「蠱毒」は、一体どれ程の呪いとなるのかと。


 世界に混乱を巻き起こすため、彼が目星を付けたS級妖魔は三柱。ベルゼブブ、都知久母つちぐも――そしていなごの王アバドン。


 単体で世界の全人類を滅ぼすことができる、この三柱のS級妖魔が一堂に会した時、地上は人々にとって想像を絶するほどの地獄と化すだろう。


 ――しかし、それで終わりではない。


 加えて鳴神は、自身も壺の中へ入り、密かに揃えた手駒達と共に抗うつもりでいる。呪いが完成しさえすれば、そこに自分の命が組み込まれていようと関係ないのだ。


 もちろん、自身が最後の一人となる為の策も無数に用意してある。


「黒瓜秋花、土御門小春、音夜おとや京志郎きょうしろう…………はてさて、私の生徒達はどこまでやれるのでしょうねえ?」


 鳴神は誰にも見せたことがない不敵な笑みを浮かべながら、一体の式神を召喚するのだった。


「――思業式しぎょうしき鴉天狗からすてんぐ

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る