第5話 孤独を極めしぼっち


 いそいそと朝食を済ませ、逃げるように自宅を後にした僕は、そこから電車を乗り継ぎ、四十分ほどかけて学校へ到着する。


 そして朝のホームルームが終わると、一時間目の授業の始まりを告げるチャイムが鳴った。


 今日は僕が日直なので、号令をしなければいけない。


「き、きりつ……」


 少しだけざわざわした教室に、僕の声が響き渡――――らない!


「き……きりつ……」

「みんな静かにしろー。海原はもっと大きな声で号令を頼む」


 見かねた先生が言った。


「は、はぃ。……す、すみません、でした」


 その後の記憶はない。放心状態のまま、気付けば授業が終わっていた。その時の号令も、二回ほど言い直すことになった。一人でカラオケにでも行って、発声練習をした方が良いのかもしれない。でも、カラオケの店員さんと話せないからそれすらも無理だ。悲しい。


 二時間目にあったのは、体育の授業だ。僕は教室の隅でいそいそと体操着に着替えて、校庭に集合する。どうやら、今日はまず始めにキャッチボールをするらしい。


「よし、じゃあ二人組を作れ!」

「ぁっ…………」

「どうした? 海原は組む相手がいなかったのか?」

「は、はぃ…………」

「じゃあ、今日は先生とだな! みっちりしごいてやるから覚悟しておけ!」

「………………」

「はっはっは、冗談だ!」

「…………はは……」


 二人組を作れなかったので、体育の先生とペアになった。会話のキャッチボールは先生とすら成立させられなかった。その後のことはよく覚えていない。はっとした時にはすでに授業が終わっていた。心身共に疲れ果てたので帰りたい。


 三時間目、数学の授業。教科書を忘れた。けど借りられる友達なんて当然いないので、隣の人に見せてもらった。ほぼ他人の僕にも快く教科書を見せてくれる優しさが逆に辛かった。帰りたい。


 四時間目、英語の授業。英文の音読をさせられたけど、声が小さかったので何回かやり直しになった。日本語でもろくにコミュニケーションを取れていないのに、英語なんてできるはずがなかった。恥ずかしい気持ちになった。帰りたい。


 昼休み。自分の席で弁当を食べた。一度でも立ち上がってしまうと席を占領されて路頭に迷ってしまう可能性があるので、僕はいつもここを動かない。そしたら、前の席の女子が僕の机の端に座って友達と話し始めた。机が揺れる。ここをどけと圧力をかけてきているのだろうか。帰りたい。


 五時間目。国語の授業。消しゴムを落としたけど、微妙に手が届かなくて授業が終わるまで拾えなかった。音読の時は当然のごとく読み直しになった。踏んだり蹴ったりである。……毎日楽しくないのに、僕はどうして学校なんか通ってるんだろう?


 ――けど、もう少しで帰れる!


 六時間目。何の授業だったか忘れた! 今日も素敵な一日だったなぁ! うぇーーーーーい! あ、チャイム鳴った! 終わりだ! わーーーーーーーー!


「起立! 気をつけ! 礼!」

「おお、良い号令だぞ海原!」


 そして帰りのホームルームを終えた後、待ちに待った放課後の時間がやってきたのである。後は日直の日誌を書いて家に帰るだけだ。さあ、気を引き締めて日誌を書こう!


「うわっ、五時から塾だよ?!」

「間に合うかなぁ」

「落ち着いてる場合じゃないじゃん!」


 ――そんなことを思っていると、前の席に座っている女子が勢いよく引いた椅子が僕の机にぶつかり、文字を派手に書き損じた。


「ぁ…………」


 書き直しだ……。


「まあまあ、焦ったって仕方ないよ。遅れて行けばいいんじゃない?」

「いや。まだギリギリ間に合う。急ごう!」

「えぇー……」


 行ってらっしゃい…………。


「早く終わらせて帰ろ……」


 僕は、誰もいなくなった教室でぼそりと呟いた。返事をしてくれたのはカラスだけだ。すごくむなしい。


 *


 その後、無事に日誌を書き終え、家に帰るために駅へ向かって歩いていると、前方に見覚えのある影があった。


「それでさー、ヤバくてさー」

「えー! へんなのー、ふふふっ!」

「だろー?」


 さっきの女子とその友人である。僕よりだいぶ先に慌てて教室を出て行った気がするけど、まだこんな所を歩いていたらしい。


 ……急いでたんじゃなかったのかな? ちょっと気になる。


 僕には関係ないけど。

 

「あははははっ!」

「ふふふふふっ! おもしろーい!」


 楽しそうに笑いながら歩く二人。その様子を背中越しに見ていて、一つ思ったことがある。


「………………」


 道幅的に、二人で横に並ばれると追い越せない!


「ぅ…………!」


 どうしよう。これじゃあ、まるで僕が付きまとっているみたいだ。自意識過剰だってことくらい分かっているけど、この状況を人に見られたくない!


 というか、二人ともすごく遅い! 帰るだけなのにどうしてこんなにゆっくり歩けるんだ! 友達同士で話しているからだ! なるほど!


「それでねー」

「あっはっはっはっ!」


 ……そっか。普通の学生は友達と話しながらゆっくり歩いて帰るから、異常なのは僕の方なんだ。驚愕の事実に気付いてしまった。


「……………………」


 二人を追い抜かせずぼーっとしていると、いつの間にか駅に到着していた。いつもなら歩いて五分くらいの道なのに十五分かかった。世界は僕が思っていたより広かったらしい。


「ドアが閉まります、ご注意ください」


 そうして僕は電車に揺られ、やっとの思いで帰宅するのだった。


 *


「ただいま……」


 家の玄関でぼそりと呟くが、返事はない。


 渚や湊は部活に入っているし、両親も共働きで夜遅くまで仕事をしている。


 だから帰宅部である僕以外はまだ誰も帰って来ていないのだ。


 なんでもやりたい放題である。なんにもすることないけど。


「今日も……学校……楽し……かったな……」


 僕は死にかけながら靴を脱ぎ、二階にある自分の部屋へそそくさと引き上げる。


 やっぱり、ここが世界で一番安心できる場所だ。外は危険がいっぱい!


 ――ドッカーン!


「……………………」


 雷鳴ったんだけど。晴れてるのに。やっぱり外は危険だ。


 僕は無言で制服から着替えて、ベッドの上へ横になる。


「……ゲームしよ」


 そして独り言を呟きながら、ふと窓の外へ目をやったその時。


「え…………?!」


 僕は驚きの光景を目の当たりにした。


 ――ブオオオオオオオオオオオオン!


「ええええええええっ!?」


 東京ドーム一個分くらいのものすごく大きなハエが、ものすごい羽音を響かせながら空を飛んでいるのだ。……まあ、東京ドームなんて行ったことないから大きさ知らないけど。


「何をしている……我が……たちよ。…………」


 しかも何か喋ってる!


「きも……」


 よくよく考えてみたら、あのハエが滞空している場所のちょうど真下にあるのは、昨日の夜に変なのと遭遇した例の公園だ。


 あの公園ってやっぱりおかしいんだな。また変なの呼び寄せちゃってるよ……。


 いや、でも昨日のは夢だったはず……けど、大きいハエが飛んでるのは事実だし……。


 ――うん、よくわかんない! 


 僕は思考を放棄して、反射で超能力を発動させた。窓越しから。ハエに向かって。


「ぐわあああああああああああッ!」


 すると東京ドーム約一個ぶんの超特大バエは、叫びながら派手に爆発四散した。


「……あ。またやちゃった……」


 そこで僕は正気に戻って後悔する。超能力は封印中なのに……。


 でもあんなの飛んでたら気持ち悪いし、きっとこれで良かったんだ。


 悪霊退散。どうか安らかに。


「見なかったことにしよ……」


 だけどハエは苦手なので、僕はすぐにその姿を記憶から消去した。


「貴様ああああっ! 我が真名しんめいの下にッ! 種族もろとも末代まで呪ってやるぞおおおおおッ! ぐあああああああああああッ! 我の肉体がッ! 消滅してゆくううぅぅぅぅッ! あーーーーーーーーーーーッ! 死ね死ね死ね死ね下等生物がーーーーーーーーーーーーッ! ぐおーーーーーーーーーーッ!」


 なんかすごい恨み言みたいなのが脳内に直接聞こえてきた気がするけど、たぶん空耳だ。今日も色々あったし、疲れているのだろう。


「いやー……」


 僕は部屋のカーテンを閉め、再びベッドの上へ横になる。


「なにあれ!?」


 そして叫んだ。


「なんなの……?」


 ――たぶん、殺されたハエたちの怨念が沢山集まって大きくなりすぎた感じなのだろう。


 僕はそうやって無理やり自分を納得させた。


 やっぱり、最近は変な化け物まで見えるようになってしまったらしい。


 ハエの幽霊とか大したことなさそうだけど、あんなに大きいのを放置してたら色々と影響がありそうなので、爆散させてよかったんだ。


「……いいことをしたなあ……うん。ちゃんと成仏してね……」


 そんなことを考えて満足していたら、僕はいつの間にか眠ってしまっていた。


 ひと仕事終えた後だから無理もないね。


 超能力を使うと、人と会話した後と同じくらい疲れるんだ。

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