好きな子のボディーガード

蟹蒲鉾

好きな子のボディーガード

 数ヶ月前からずっと気になっているクラスメイトの女の子がいる。何をしていても彼女のことを考えてしまうくらい、気になって仕方がなかった。

 彼女の名前は植野日向うえのひなた。僕は彼女のふわふわした雰囲気と弾けるような笑顔が好きだった。そんな彼女が最近、険しい表情をすることが多くなった。いままで彼女のそんな表情を見たことがなかったので心配になった。心配になったけれど、彼女とは仲がいいわけでもないのに急に話しかけたら気持ち悪いかもしれないと思って動けなかった。それでも無視はできなくて、仕方なく仲のいい女友達、というか幼馴染のはるかに事情を聞いてもらうように頼んだ。


 二人が話している間、僕は教室の反対側から様子を窺いつつ待つことにした。遥と一緒にいるときのころころ変わる植野さんの表情は見ていて飽きない。彼女の笑顔には周りの人の気持ちも明るくしてしまう力があると思う。

 ただ待っていても暇なので、険しい表情の理由を想像したり、そんな表情も可愛いなとか思ったりしながら二人をジーッと見ていた。しばらく見ていると急に二人がこちらを向いた。油断していて、ばっちりと目が合ってしまった。遥の何か企むような嫌な笑顔が見えた時にはもう遅かった。

「日向と付き合ってくれない? ひろとあんた、この子のこと好きでしょ」

植野さんの制止を振り切って、ニヤついた遥がとんでもないことを言い出した。やけに素直に頼まれてくれた時に怪しむべきだった。とはいえ、時既に遅しなので一旦受け入れようと思う。それに植野さんと付き合えるのは願ってもないことだ。

「いろいろ聞きたいところだけど、いいよ」

なるべく落ち着いた声色で答える。自然と笑みが溺れそうになるところをなんとか耐えられた僕を褒めてあげたい。

「つまんないやつ」

僕の慌てふためく様子が見たかったのか、遥は口を尖らせて不貞腐れてしまった。


 その日の放課後から僕は植野さんと登下校を一緒にすることになった。植野さんの彼氏としてではなく、彼女のボディーガードとして。

 一週間前の朝、植野さんはいつもと同じように登校していた。いつもと同じホームで待っていた彼女は、いつもと同じ電車に乗ってすぐに知らない男に話しかけられた。「隣町の高校の制服を着ていたから多分だけどそこの生徒」とのことだ。

 それから今日の朝までは遥が付き添って登校していたけれど、明日から二日間はそれもできなくて僕に頼むことになったそうだ。

「ごめんね、本当は一緒に登校したいんだけど……」

「ううん、いいの。部活の大会なんでしょ? 頑張ってね!」

「ありがとー!」

遥が植野さんを勢いよく抱きしめた。遥はそのまま顔だけ動かして、睨むような目で僕を見た。

「本当に頼んだよ」

一応信用してるんだからと言い残して、遥は部活に走って行った。


 いつの間にか教室には僕と植野さんの二人きりになっていた。

僕と彼女は目を見合わせて、それからお互いに目を逸らした。少しの沈黙が流れ、ひとつだけ開いた窓から風がびゅうと吹き込む。

「帰りましょうか」

植野さんの長く綺麗な髪がゆらゆら揺れた。


 学校を出てから植野さんを家に送り届けるまでの間で、僕らは随分と仲良くなった。多分。

 初めはお互い緊張して、ギクシャクした空気で窒息しそうだった。耐えられなくなった僕が彼女に話しかけようとするのと同時に、彼女も僕に話しかけてきた。ベタな展開が可笑しくなって、二人で笑った。お互いに譲り合って、結局どちらとも遙とのことを話そうとしていたことにまた笑った。植野さんの笑顔は絶対に守らなければならないと思ったし、少しでも険しい表情をさせた男が許せなかった。

 遥から与えられた今日のミッションは無事完了した。僕は植野さんに「明日の朝迎えに来るから」とだけ約束して、その場を離れた。自分の家の玄関で、時間を決めてないことに気がついた。けれど、彼女の連絡先も知らないうえ、頼みの綱の遥には連絡がつかなかった。諦めて、遅刻しないくらいの適当な時間に行くことにしよう。


 翌朝。植野さんを迎えに行くために、いつもよりも少しだけ早く家を出た。植野さんの家までの二十分で野良猫を三匹も見た。三匹とも綺麗な黒で不吉な予感がした。何があっても植野さんを守ろうと改めて思った。

 家の前まで着いたけれど、植野さんの姿は見えなかった。念の為、スマホで確認しながら髪を整えてから僕はインターホンを押した。焦茶色でおしゃれな玄関のドアが開いて、僕の記憶よりも大人びている植野さんが現れた。その植野さんは一瞬困惑した表情をして、すぐに何かを思い出したふうに手をポンと叩いた。

「ごめんね待たせちゃって。髪型が決まらないらしいの」

緊張して大丈夫です。としか返せなかった。昨日の帰り道に植野さんは一人っ子だと言っていたからこの人は植野さんのお母さんなのだろう。知らなければお姉さんだと思ってしまうほどに、若くて柔らかい雰囲気の人だ。植野さんの可愛らしさは母親譲りらしい。

「ところで君は何君なのかな? あの子ったら教えてくれないの」

大西直樹おおにしなおきです。日向さんとは、友達です」

昨日の帰り道で仲良くなれたと思っているのが僕だけじゃないといいなと思う。確信が持てなくて言い淀んだ僕を不思議に思ったのか植野さんのお母さんは首を傾げた。こうもわかりやすく思考が行動として現れる人は珍しいと思う。

「あら、私ったらてっきり」

植野さんのお母さんが何か言いかけたのと同時に玄関のドアが開いて、植野さんが「お母さん!」と大きめの声を出しながら出てきた。言葉が出てこないけれど、植野さんがいつにも増して可愛く見える。お母さんと見比べて、改めて似ていると思った。

「直樹くん行こう」

逃げるように僕の手を引いて植野さんが駆け出す。こんな時でも「いってきます」を忘れない植野さんが好きだ。

 駅まで走ってきたからかその間ずっと手を繋いでいたからか、心臓がいままでにないくらいに早く動いているのを感じる。電車を待っている間、植野さんと話しつつ息を落ち着ける。電車が来るまであと五分。


 電車を待っている間、僕は植野さんとの会話を楽しみつつも警戒を怠らなかった。近づいてくる男を片っ端から睨みつけていたから、側から見ると僕の方が怪しかったと思う。ホームに電車が到着する旨のアナウンスが流れる。僕らは黄色い点字ブロックよりも内側で電車を待つ。「内側ってどっちなんだろうね」とくだらないことも言ってみる。その瞬間、背中に強い衝撃を感じた。

 電車の音が聞こえる。気がつくと僕は線路の上に倒れていた。横には植野さんもいる。背中の方が随分騒がしい。電車の音が近づいてくる。もう助からないと思うと、どうしてだか頭の中がすっきりした。死んでしまう前に植野さんに伝えておこう。聞こえるかはわからないけれど。


 僕らは一緒に映画を見た。買い物をした。スイーツを食べた。お盆にはお互いの家族に会いに行った。僕らは雲の上で幸せに暮らしている。

 あの時あのホームで背中を押したのが誰なのかも、故意か事故かも僕は知っている。事件の後、しばらくして犯人は捕まったと家族から聞いた。日向さんはまだ何も知らないらしい。いつかわ知ることになるだろうけど、いまはまだ教えなくてもいいのかな。思い出したいことでもないだろうし、犯人は全く知りもしない人だったから。

 もうすぐ二回目のお盆が来る。僕らはお互いの両親に結婚の挨拶をしようと思っている。もちろん、僕らの声は向こうに聞こえないだろうけどね。

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