第9話 交渉

 ケルベロスは何もしていませんでした。

「食らえ!」

ユーゴ殿が凄まじい攻撃魔法で襲ってくるのに対して、ただ煩い羽虫がたかってきた、と言った反応をして、面倒くさそうに蛇の尾を振り回しました。

しかしケルベロスは山のように大きいので、その蛇の尾も巨大で長いのです。

「くっ!キーラ様、ここは一度……!」

ムチのような一閃をユーゴ殿は交わしましたが、攻撃魔法による消費が限度に達したのでしょう。背後で支援魔法をかけているキーラに、撤退を提案しています。

「馬鹿なことを言わないで!撤退したって先が無いのよ!それに、どうして攻撃魔法が通用しないのよ!?」

「恐れながら、相手の魔法防御力が……高すぎるのかと……!」

ケルベロスがあくびをしました。咆哮に似ていますけれども、あのやる気のなさはあくびでしょう。

『『『GUROOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOONN……』』』

「ひっ!」

「まだ怒らせてはいません、ここは一度下がって対策を……!」

「し、仕方ないわね……」

キーラ達が振り返った先に私達がいます。

「ユリア!どうやってここに来たのよ!?」

「罠はエドワード殿が壊して下さったの。矢に毒を塗るべきだったわね」

まさか地面のスイッチを踏んだら前後左右から魔法の矢が飛んでくる罠があるだなんて。でもキーラならやりかねないことです。むしろ当然だと思います。

ただエドワード殿は全身が矢だるまになった時に、少しかゆいだけだとおっしゃっていましたから、矢に致死毒を徹底的に塗らなかったのはキーラの失態でしょうね。

しかし……驚きました。

回復魔法と支援魔法をかけたエドワード殿の身体能力は、私や父よりも遙かに上の領域に達しているようです。

矢が放たれた瞬間に私を素早く地面に押し倒し、庇って下さったのですから。

「ユリア様、恐らく矢に毒を塗ってあっても……」

エドワード殿、それ以上は言わないで差し上げましょう。流石にキーラが可哀想です。私は視線で伝えました。

「では」

エドワード殿は支援魔法を乗せた回復魔法をその体に巡らせました。


 ――その瞬間、地面に腹ばいになっていたケルベロスが低く唸りながら威嚇と攻撃の態勢に移ったのです。

三つ頭の地獄の巨大な番犬が怯えているようです。


 「ケルベロス、僕は暴力を振るうのも一方的に支配するのも好きじゃない。ケルベロスが三日の間だけ僕の命令を聞いてくれるのならば、とても良い待遇で返そう」

『『『……オレ、プライド、アル。ジゴクノバンケン、タタカワズ、ニンゲンニシタガウ?ソレ、コトワル。カカッテ、コイ!』』』

次の瞬間地べたに大穴が空きました。エドワード殿が後ろ足で蹴っただけなのに。そのままエドワード殿がケルベロスに体当たりした瞬間、ケルベロスの巨体が中に浮かんで吹っ飛び、ダンジョンの最奥の洞窟の壁に叩きつけられた一点を中心に、洞窟が広がってしまいました。

立ちこめる粉塵と激震。エドワード殿が何をしているかは見えませんが、ほとんど分かります。

『『『ギャオオオオオオン!!!!!』』』

辺りをつんざくような絶叫。三つ頭が同時に叫ぶので耳が少し痛いです。

『『『ワカッタ、ワカッタ、オレ、マケタ!シタガウ、オマエニシタガウ!!!』』』

……あっさりとケルベロスは負けを認めました。頭が多いだけ、とても賢いダンジョンボスのようです。

下手に抵抗するあまりにやむを得ず、ケルベロスをステファン共のようにせずに済んで一安心です。

「じゃあケルベロス、君にとても良い肉を用意しよう。三日間、脂のたっぷりと乗った最上級の熟成された肉を腹が満たされるまで食事として提供する」

『『『ドク?ドクイリ?』』』

「まさか。そもそもケルベロスはあらゆる毒攻撃を無効化するだろう?」

『『『ウン、ソウ』』』

「その代わりに三日の間は嘘を付いて欲しい。キーラ様とユーゴ殿に負けた、とね」

『『『ナンデ?』』』

そこで私は進み出て、ケルベロスに説明を始めました。

「貴方を負かして従えた皇女に帝位を譲るとウェストリア帝国の女帝陛下がおっしゃったの。でも私は夫は三人も要らない、エドワード殿と生涯添い遂げたい。私は女帝の位なんて全く欲しくないのよ」

背後でキーラとユーゴ殿が息を呑みました。

「でもこのままでは、私もいずれ後継者争いの渦中で暗殺か謀殺されてしまう」

歴代の女帝になれなかった『継承権を持つ皇女達』がそうであったように。

「だからね、キーラ。私と取引をしましょう」

「まさか……」キーラはすぐに察したようです。

「ええ、女帝陛下はケルベロスを生け捕りにしたことを踏破の証に、帝位を授けるとおっしゃったわ」

だから私達がその証拠を三日間だけ譲ってあげる。

「代価は、私の帝位継承権の返上とヴァレンティノ家当主エドワード殿への降嫁命令でどうかしら?」

もしも後々で反故にするというのならば構わないけれども、ユーゴ殿がどうにもできなかったケルベロスを容易く圧倒した相手を敵に回す、というのは得策では無いでしょう。

「……ヴァレンティノ家は【戦帝】だとは言うけれど……でも」

「ヴァレンティノ家と縁続きになって、その上キーラの臣下として扱えるのに?」

「……。分かったわ」キーラは感情抜きの損得勘定がとても上手なので、すぐに理解したようです。「ただ、あなた方が三日後にきちんとここへケルベロスを戻して下さる?」

「ええ、次なる女帝のご命令とあらば」

私とキーラは視線を交わし、頷き合いました。

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