第6話 初めて触れた貴方の指先

 血痕は綺麗に掃除して、開け放たれた窓からはエドワード殿に懐いている小さな動物たちが顔をのぞかせています。小鳥は彼の頭の上にぎゅうぎゅうに押し合いへし合いして並んでいますし、この前も彼が捨てられていたところを拾ってきた犬のビーサーとフーディスは彼の靴に頭を乗せながら寝そべっています。親子猫のテティとイル、マル、ユルは彼が垂らした片手の指にじゃれて遊んでいました。

「【女神】はそれを危惧して【神片】をユリア様に宿しました。何て嬉しいことだろう、世界を滅ぼすほどに恋い焦がれた彼女と今世では手を取り合って暮らしていけるのだから」

エドワード殿は私を見つめて、照れながら微笑みました。

「俺の娘を生贄にするつもりか」

「ユリア様が僕を望まなければそうします……と言いたいところですが【僕】はそれだけは嫌だ。嫌われ疎まれたら僕は潔く諦めます。ユリア様が幸せじゃないのに僕が幸せだなんて、考えるだけでおぞましい」

本当に邪神なのでしょうか?

女神の愛したこの世界に嫉妬して破滅させようとした……。

「お前は本当に……」

その疑問を私の代わりに父が言おうとした時でした。

「ディーン様は一つだけ誤解をしていらっしゃいます。僕は【自ら邪神になった】のではありません。【自ら邪神を奪い取った】のです」

「まさか」

「ええ。僕は物心ついた瞬間から邪神の囁きを聞いていました。暴力を振るえ、戦って支配しろ、凡て滅ぼせ、などなど。もし邪神の囁きに従っていたら今の僕には自我の破片すら残っていなかったでしょう」

「だから戦うことを怖がったの?」

私が訊ねると、

「それもありますし、元々戦うことは好きではなかったですから。それに僕の魔法適性が【支援魔法】と【回復魔法】に特化していたことも幸いしました」


 魔法とは【状態】を自由自在に変化させる力。

 ごくまれに平民でも父のように扱える人間も現れるが、貴族の専売特権である。

 魔法が扱えるがゆえの貴族であるのだ。


【攻撃魔法】は対象の状態を【破壊】させる。

【回復魔法】は対象の状態を【復元】させる。

【支援魔法】は対象の状態を【加速】させる。

【記録魔法】は対象の状態を【記録】させる。


 「僕の自我を邪神に奪わせる直前に、あらかじめ回復魔法と支援魔法をかけておきました」

物理的に首を切断させてもなお、あっという間に接着できて痕も残らないほどの絶大な回復魔法を、同様の支援魔法でうわ乗せした状態で時限爆弾のように仕掛けておいた。

起爆のスイッチを押したのは、彼の自我を乗っ取ったと思った邪神の油断だ。

「……貴様……!」

父が低く呻きました。

「案の定、僕の勝ちでした。自我を余すところなく潰されると悟った邪神は命乞いをしていましたが、その相手は僕の父や貴方にすべきでしたね。一方的に慕情を募らせた挙げ句に、その相手の愛する物の一切合切を叩き潰し、支配して振り向かせようなんて悪漢には……僕だって同情できませんから。怖くて攻撃したのとは違う、悪意を持って破壊しようとした」

ああ。

そうなのか。

助けようとした子犬に手を噛まれてもなお、手を差し伸べて助けた彼はまだ残っているのか。

「エドワード殿は、まだエドワード殿なのですね」

良かった。

彼が彼でなくなったら、私は……修道女になりたいと泣き叫んでいただろうから。

「……もし。もし許されるならば、僕もユリア様をお慕いしてもよろしいでしょうか」

「一緒に【地獄の門】へ赴いてくれますね」

「喜んで」


「死ねクソッタレ。俺の娘に俺の目の前で手を出しやがって。死ね死ね死ね。できるだけ苦しんで死ね」


 父が背後でエドワード殿への悪態をこれでもかとついている中、私達は初めてお互いの手を取り合ったのです。

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