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 そうしてやってきた日曜日。現在時刻はユウに指定された午前十時。

 私は服装について散々迷った末に、持っている服の中で一番外出に向いていそうな淡い水色のワンピースと白いカーディガンを選んだ。箪笥の底から発見したそれに、よくもまあそんな可愛らしいものを持っていたと思わず感心してしまったほど。そのまま、一応待ち合わせ場所として指定されている近所の公園へと向かう。少し強めの風が、私の腰まで伸びた黒髪に直撃する。向かい風と戦いつつ家から三分の公園に着けば、ユウは既に二人の幽霊を従えて待っていた。手をぶんぶんと振る彼に少し歩調を速め、小さく「おはようございます」と挨拶する。

「おはよー惺月ちゃん。ほら、紹介するよ、俺の幽霊仲間。コトとロウ」

 同い年くらいの女の子と、私より少し年上に見える少年。名を呼ばれた二人は、にこやかに手を振って名乗った。

「どーも。初めまして、琴乃です。コトって呼んで」

「俺は瓏です。ロウと呼んでください」

「惺月です。よろしくお願いします」

 特に言うべきことも思いつかなかったので、シンプルに名前を教えるだけで会話は終わる。そのまま軽くお辞儀をすれば、笑顔を返してくれた。

「よし、それじゃ早速。俺なりに今日のこと楽しみにしててさ、色々調べてきたんだよね。さ、行くよ」

 どこまでもマイペースなユウに引っ張られ、たどり着いたのは最近できたばかりで有名な商業ビルだった。どうやら、ここの七階に彼の行きたいカラオケがあるらしい。受付で時間をどうするか尋ねられる。二時間もあれば満足するだろう、と思って口を開きかけると、全力で「フリータイム」という文字を指し示すユウの姿が目に入った。その圧力を無視してそのまま「二時間で」と言いかける。だが、ユウの捨てられた子犬のような目に逆らうことができず、「……フリータイムで」の言葉を勝手に紡ぎ出す口を止める術は無かった。

 学生証を提示して、指定された料金を支払う。

「九〇二番、九階のお部屋です。ドリンクバーは九階の中央にありますので、ご自由にどうぞ」

 店員さんに勧められるがままに注文してしまったドリンクバーの説明も受け、渡された伝票を片手に階段を上る。ビル特有の響く階段は、私にしか聞こえない幽霊たちの声を反響させ、なんとも言えない虚しさを煽った。

「さてさて、誰から歌う?」

 生身の人間は私一人だからだろう。宛がわれた部屋はあまり広くなく、幽霊で宙に浮いているとはいえ他に三人もひとがいるのは少し圧迫感があった。だが幽霊三人――特にユウは、そんなことは気にもとめていない様子で最初に歌う人を募り始めた。

「私は絶対に嫌です。歌いませんよ」

 そもそも人前で歌うこと自体あまり好きではない。流行りにも疎い私は、持ち歌というものがほとんどないのだ。

「俺も嫌ですね。言い出したユウが歌ってください」

「そうだね。よくよく考えたら、私たちまだユウの歌聴いたことないし」

 にこやかにさらりと拒否するロウさんと、さりげなくユウが歌う方向に持っていくコトさん。なるほど、あのフリーダムなユウはそうやって扱えばいいのか。やや強引ではあるものの、反論する隙を与えない二人を尊敬のまなざしで見つめてしまう。彼らのコンビネーションに少し感動していると、唐突に曲が流れ出した。何度かCMで聴いたことがある、歌えはしないものの私でも知っているほど有名な曲。

 ユウの方を見ると、機械をいじって「おっ。きたきた」と笑っていた。その様子が物珍しくて、傍にいたコトさんに声をかける。

「コトさん。ユウってもしかして、物に触れるタイプの幽霊ですか?」

「そうだよ。珍しいもんねー。そういうタイプ見たのは初めて?」

「はい。両親から話は聞いていましたが……。まさか本当にいるとは」

 幽霊が物に触れることができるというのは、この世に長く留まっている証だ。勿論個体差はあるけれど、大体五年前後経つと物に触れるようになるらしい。ユウの抱えているものは思っていたよりも大きいのかもしれない。

「私も詳しくは知らないんだけど。肝心なことは何も言わないし」

 彼女はそう言うと、「まあ幽霊なんてそんなものだよ。私もユウと同じだしね」と目元に寂しさを滲ませた。

「おーい。ひとに歌わせておいて、なんだよーこの暗い雰囲気は!」

 ずしんと重たくなってしまった空気を吹き飛ばすように明るい声が近づいてくる。いつの間にか三曲も歌っていたようで、ユウの表情はとても楽しげだった。

「ごめんごめん。じゃあ、次は私と惺月が歌うよー。ほら、こっち!」

「えっ? ちょっと、コトさん! 聞いてないです! 私歌える曲なんてほとんど……っ!」

「あーもう。いつまでさんづけなの? ユウのこと呼び捨てなんだから、私とヨウのことも呼び捨てでいいじゃない。はい、プリーズセイ『コト』」

「えっ、あっ……。コ、コト……?」

「はい、おっけー。よし、行くよ!」

 先ほどの彼女が見せた表情が気になって仕方なかったが、それを尋ねる間もなくイントロが流れ始めてしまった。それが、私の好きな歌手の歌だったから驚きのあまり力が抜けてしまう。その隙をついた彼女に巻き込まれるようにして画面の正面に移動する。ユウからは、ぽんとマイクを手渡された。

 私の好きな二人組ユニットの曲。これは、とある事情で離ればなれになってしまった二人の物語を描いている。歌のイメージとぴたりと合うような、掛け合いが特徴だ。だからこれは、一人では歌えない。それを知っているなら彼女の選曲にも納得がいくのだけれど、実のところこの歌手は特別有名というわけではない。どうして敢えてこの曲を選んだのだろうかと不思議に思いながらも、好きな歌を歌うというのは気持ちの良いもので、意識はすぐに歌の方へと向かっていった。

 その後も同じユニットの曲を三曲ほど続けて歌い、あらかた満足したところでコトに一曲だけ一人で歌わせてほしいとお願いする。選んだのはまた別のグループの一番好きな曲だ。夜明けを意味するそのタイトルが気になって聴いたとき、その歌声と切ない歌詞に惹きつけられた。解釈は色々と考えられそうだけど、私は、死んで幽霊になってしまった女の子が、その死から立ち直れていない恋人を何とかして救おうとするイメージで聴いていた。それからというもの、この曲を聴く度に死んだ幼馴染みを思い出して、胸がキュっとなる。そうすることで、ますます歌に力が入り、感情移入していく。だんだんと楽しくなる。最後の一音まで歌い切って、満足したところでマイクを置いた。すると一瞬空気が静まり返った後、やけにテンションの高いユウの声が響いた。

「惺月ちゃん、めっちゃ歌うまいね! カンドーした!」

 他の二人も口々に誉め言葉を並べてくれる。私は多少の気恥ずかしさを感じながらも、お礼を言った。こんなに楽しいと思えたのは、いつぶりだろうか。コトと歌ったときから感じていた楽しさに、友達と過ごすってこんな感じなのかもしれない、と思った。

 少し疲弊した喉を潤していると、「このあとに歌うのは緊張しますね」と言いながらロウさんがマイクを手に取った。何でもそつなくこなしそうなロウさんの印象通り、彼は難しいといわれている曲を軽やかに歌い上げていた。私はといえば、歌うことで忘れかけていた、ユウが物に触れられるほど長くこの世に留まっているということが、また気になり始めていた。どんなに小さくても、くだらなくてもいいから彼について知りたい、という思いが積もっていく。やがて私はそれに耐えきれなくなって、ロウさんが歌い終えたタイミングを見計らってこう尋ねた。

「そういえば、ユウは未練のことについてどれくらい知っているんですか?」

 平常心を装って呟いたその言葉は彼にとって想像していなかったもののようで、え? と怪訝な顔をされた。慌てて、「そこの認識のすりあわせをしていなかったことを思い出しまして」と取り繕ったように説明をつけ加える。自分自身にも、「これはもともと未練解消を行うときに私たちが説明をしなければならないことだから、『相手に深入りしすぎない』というルールには反しないはずだ」と言い聞かせた。私の説明で一応は納得してくれたようで、戸惑いながらも話にのってくれた。

「えっと……。俺が知ってるのは、魂をこの世に留めてしまっているのは未練が原因だっていうことと、未練を解消すれば成仏できるってこと。あと、生者との繋がり次第でこの世に留まれる期間に偏りがでるってことかな。ああ、それと幽霊を完全に成仏させるためには生者側の思いも断ち切らないといけないんだっけ」

「ええ、その通りです。でも……そこまで知っているのなら私が聞きたいこと、わかりますよね?」

 思っていた以上にユウの知識が深く、少し驚きが声音に現れる。けれど、それはユウが全てを知っていることを意味していて。私が確実なことを聞く前に言ってくれと、そう願っても彼は何も言わなくて。異常なほどの沈黙が世界を支配した。私はその重苦しい空気に耐えきれず、禁じるべき質問をこぼしてしまった。

「ユウ。あなたは一体、いつ亡くなったんですか?」

「七年前、かな」

「……っ。じゃあ、じゃあもう! いつ消滅するか、わからないじゃないですか……」

 数時間前のふざけた雰囲気は欠片もなく、ただただ私の質問に淡々と答えるのみのユウは、明らかに何かを隠していた。

 幽霊が幽霊としてこの世に存在し続けるにはこの世との繋がりが必要だ。人は、近しい人が亡くなれば葬儀や法要などでその死を悼み、その間亡くなったひとを思う。いつかはその死から立ち直らなければならないけれど、何年たっても引きずってしまう人だっている。その生者が死者を思う気持ちこそが幽霊を存在させるもとだ。そしてその繋がりが無くなってもなお成仏できていない場合、その幽霊は消滅してしまう。かといって、生者との繋がりが強すぎても所謂地縛霊的存在として、成仏できずにこの世に縛りつけられてしまうのだ。こうなればお祓いをするほか方法はない。この場合も待つのは消滅だ。多くの幽霊の場合、未練は遺してきた生者のこと。生者が死者を思えば思うだけ死者は成仏できず、この世に縛りつけられてしまうということになる。そうやってこの世との繋がりが強まった幽霊は、物や人に触れられるようになったりするのだ。

「まあでも、俺はいつ消滅してもいいって覚悟はできてるからさ。もともと成仏できるなんて期待してなかったし。コトもロウも、勿論俺も、それはずっと諦めてるようなもんなんだ」

 その言葉を最後に、ユウはつかみどころのない彼に戻ったのだけれど。私は彼らと別れてからも、その言葉が脳裏にこびりついて離れなかった。

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