夜明けの空に、君は消え
夜桜舞雪
1
「惺月はさ、運命の赤い糸って信じる?」
その問いを投げかけて暁の空に消えていった彼を、私は未だに忘れられずにいる。
「いい加減、私の周辺をうろうろするのやめてもらえませんか。気になって仕方ないんですけど」
ここ一週間ほど、嫌というほど視界に入ってくる私と同い年くらいの男の子を見上げ、そう言った。
その少年は私の発言に驚いたらしい。まあ、見える側の人間なんて早々いないから、当然の反応ともいえる。私と同じ制服の裾を揺らして「わお、気づいたんだ」と心底可笑しそうに笑う。けれども、その笑みにはどこか寂しそうなものが混じっていた。
「それで、どうしてこの辺りをうろついているんです? もしかして、うちに用があるひとですか。それなら案内しますが」
彼の容貌が我が家の噂を聞きつけてやって来るひとたちによく似ていたため、またかと思いつつ案内を申し出る。少年は「別に、そういうんじゃないんだけどね」とはっきりしない態度のままだった。
「両親や祖父母目当てでないのなら、私ですか。もしそうならかなりの物好きだと思いますよ。まあ、乞われれば全力を尽くしますが」
私かと尋ねたとき、表情が変わったので思っていた以上に彼が本気なのだとわかった。そこまで本気ならやはり両親か祖父母に頼めばいいのにと思い、再度両親を勧める。しかし、断固拒否されてしまった。
「わかりました……。そこまで言ってもらえるのなら、こちらも応えなくてはなりません。あなたの未練はなんですか?」
私がそう尋ねた少年は、半透明で、宙に浮いている、紛れもない幽霊だった。
私は、幽霊を視ることができる。いや、より正確に言うとするのなら、先祖代々幽霊を視る力が継承されている。ただし、その能力には発現する条件がある。それは、大切な人や身近な人の死を経験すること。たいていの場合、親戚の死がきっかけになることが多い。ただ、私の場合は仲の良かった幼馴染だった。
私たちは、大切なひととの二度の別れと引き換えに得たその能力を生かし、何らかの未練があって成仏できないひとたちの未練解消の手伝いをしているのだ。自慢ではないが、うちがやっていることは幽霊界隈でもなかなか有名で、わざわざ遠方から訪ねてくるひとも多い。私も、最初の頃はこの能力を受け入れられなかったが、少しずつ両親の未練解消の手伝いに関わっていくことでこの仕事にも意味を見出し始めていた。
「それで、あなたの未練は?」
立ち話は疲れるだけだから、と公園のベンチに座らせてもらっていた。
「うーん。高校生っぽいことをしたい、かな」
一瞬躊躇うような仕草を見せたのち、遠くに視線を向けた。つられて同じ方向へと目を寄せる。偶然か否か、私の通う高校の方だった。
「高校生っぽいこと、ですか」
「そ。高校生になる前に死んだからさ。よく言う『セーシュン』ってやつ、味わってみたいなって」
私の制服に移った視線には、羨望の色があるように思えた。私には、その真っ直ぐすぎる感情が眩しすぎて。誰かが心の底から望んだものを、いらないと捨てようとしている事実が痛くて。つい、彼との間に距離をつくってしまう。
「普通の高校生がするようなことだの、『セーシュン』だのと言ってますけど、具体的に何がしたいというのはあるんですか?」
「恋がしたい!」
即答だった。あまりに速かったから、一瞬空耳を疑ってしまうほど。内容も内容で厄介そのものだったこともあって、「もう一度言っていただけます……?」と喉から声を絞り出した。空耳であってほしいという微かな希望も虚しく、返ってきたのは「恋がしたい!」という勢いのある言葉だった。
「私の力不足で申し訳ありませんが、恋の類いは解消する未練として避けることをおすすめします。厄介そのものですし、どう転ぶかわかりませんから」
「厄介?」
「ええ。死者の恋には未来がありません。それは死者と生者でも、死者と死者でも同じこと。本来死者とは成仏しなければならない存在です。けれど、現世との繋がりが強まりすぎてこの世に留まっている。その想いが叶おうと叶うまいと、恋は新たな繋がりを生み、また別の未練を抱いてしまうことだってあります。死者の恋は不毛です。未来は望めない。気持ちを告げれば満足かと思えば、その先を願ってしまう。失恋した日には、満たされない感情がどう作用するかわからない。死者だってひとです。映画みたいな綺麗な感情だけで恋ができるとは思えません」
一つ一つ言葉を並べる度に、ひどく胸の内に突き刺さる。生きている人間だって同じだ。死者に想いを寄せたとて、それは相手をこの世に縛りつける楔としかならない。私だって、まだ引きずったままなのに。笑って幸せを願いながら成仏、なんて夢見がちもいいところだ。
「勿論、無理にとは言いません。これは私の持論に過ぎませんし、恋をした死者に悪影響が必ず出るとか、そういった確証もありませんから。ただ、お勧めできないというだけで」
「わかった。じゃあやめよ。それ以外にもやりたいことたくさんあるから。学校帰りに寄り道したり、休みの日に遊びに行ったり」
「……そういうことなら、私ではあまり力になれないかと思いますよ。残念ながら、あなたの挙げた絵に描いたような高校生とは真逆の人間なので」
「いいんだよ。俺は君と過ごしたいんだ。君の、そのつまらなそうな顔がすごく気になったから。それにあてはある。思い出作りにつき合うくらい、いいだろ? 若くして死んだ幽霊へのちょっとした慰めだと思って、一緒に遊んでよ」
だから、私はそのただひとつを一心に見つめる眼が苦手なんだ。ねじ曲がってひねくれた私が、とっくの昔に捨てたもの。純度の高いその黒曜石は、夕陽を受けても色が変わることはない。冷たいはずの墨色が温かみを持っているように見えるのを、振り払いたくて振り払いたくて仕方がなかった。
「ねえ、ダメ?」
「……わかりました。私でできることであれば協力します。私も、玉依(たまより)の人間ですから」
「ありがとうっ!」
彼の眼の、ストレートさが霧散した。くるくると空中を舞い、右へ左へと彷徨うように移動する。だんだんと上昇していくのを見て、幽霊は喜ぶと浮遊高度が上がるのか、なんて場違いな感想を抱いた。
「ああ、そういえば名前を聞いていませんでした。なんとお呼びすればいいですか?」
「名前? あー、うーん……」
「死ぬ前の頃のことはあまり知られたくない方ですか? 別に偽名でも何でもいいですよ。そういう人も少なくありませんし、特に思いつかなければ私が呼び名を決めます」
「えー、よし決めた。ユウって呼んで。幽霊のユウってことで」
太陽が、へらりと笑った顔を透過する。ゆるんだ頬が霞む。閃光に消え入りそうな姿に一瞬、胸の奥がざわめいた。
「……わかり、ました。よろしくお願いします、ユウさん」
「待ってよ。そんなさんづけなんて他人行儀な呼び方。呼び捨てにして」
「え、いや……」
「短い方が呼ぶのラクだしさ。ね?」
半ば押し切られるようにして、私は彼をユウと呼ぶことに決まってしまった。
「で、君の名前は? 俺も名前聞いてなかったや」
「ああ、言っていませんでしたか。失礼しました。玉依(たまより)惺月(しずく)です。代々幽霊が見える家系で、祓い屋の真似事をしています。どうぞお好きに呼んでください」
名乗り忘れるなんてミス、普段なら絶対にしないのに。反省している合間にも彼は止まらない。
「そっか、じゃあ惺月ちゃん! まずは来週の日曜、幽霊仲間も連れてくからカラオケ行こ。俺行ったことないからさ、色々教えてよね」
あれよあれよという間に話は進み、「私もカラオケ行ったことがない」なんて言い返す間もなく彼は姿を消してしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます