第35話 (最終話)5月の来訪者。
ひと月半なんてあっという間だ。
俺は部屋の大掃除をしてみて、母さんに言われるままに医者に行くと聞かされる、職場からどうかと聞かれていたと言う話。
仕事に戻れるかと聞かれた。
それは戻れという言葉ではなく、どう思うかという言葉だった。
「仕事内容はやはり好きみたいです。でも過重労働になる事や、新人達…周りと比較して、自分だけ業務内容が違う事が心配です」
俺の言葉に主治医は、「そうだね。戻れない事が普通だから、無理に考える事はない。やはり非正規雇用は色々とネックな点もあるが、今みたいな時には適している。まずは労働時間の守られる立場での復帰を考えた方がいいかもね。無理をさせるなら辞めてしまえばいいんだ」と返してくれた。
俺は栃木の日々で少しだけ変わったのだろう。
片付けた部屋にフォトフレームを置いて、朱莉さん、光莉さん、笑梨の本気でレタッチした写真を置いた。
写真を見に来た母さんは、全て蒼子おばさんから聞いていたので驚く事なく、「春也の撮る写真は綺麗ね。お母さんも綺麗なうちに撮ってもらおうかしら」と言い出して、綺麗?と思ってしまうと、「春也?一応言っておくけど私をディスると蒼ちゃんもディスる事になるのよ?」と言われてしまい慌てる。
写真を見ながら5月以降を夢想した。
朱莉さんが来てくれたら南国に行く。
春と冬を捨てて常夏を目指す。
そうなると転職は必須だ。
光莉さんが来てくれたら、4年間はこっちで働いて、光莉さんの就活次第では栃木に住むのもいい。仕事は話し合いが必要だが、冬原プリントでお世話になるのも悪くない。
笑梨はこっちに蒼子おばさんと住むかも知れない。
そうしたら今の仕事を続けた方のが良いのかもしれない。
とりあえず仕事先に一度顔を出して、編集長と話したり人事部と話をしたりした方が良さそうな気がしてきた。
その旨を母さんに話すと、「やめなさいよ。もう仕事辞めますで労災貰って、新しい道を探しなさい」と言われ、母さんから話を聞いた父さんからも電話が来て、「春也、嫌な思いをわざわざする必要ないぞ?」と言われた。
主治医に伝えると「ではコチラから人事の方には伝えておきましょう。あくまで外に出られて、人混みに顔が出せるようになったから行ってみたいと言っていると言いますし、本人はまだ自分がよくわかっていなくて、出来ないのに出来ると言ってしまうが本気にしないでくれと伝えます」と言ってくれた。
これにより連休明けの金曜日に、俺は勤め先に1時間だけ顔を出す事にした。
…行かなければよかった。
行くだけでも顔色は悪くなり、手足が重くなり頭が痛くなった。
それでも約束だからと頑張って行った。
人事部の方からは、「休職も労災も問題ない。退職も復職も好きにしてほしい。部署なんかはそれから考える」と言われてひとまず安心したが、「編集部から卯月さんが来たら話がしたいと言われていたので呼びます」と言われて、呼ばれた編集長は「いつ戻って来れる?」と挨拶もそこそこで言い出した。
主治医とは「これからです。主治医のOKが出ないと」と口裏を合わせていたので、そのままを伝えると「どいつもこいつも話にならない。卯月が抜けた後の編集部はガタガタだったんだ」と言いながら、俺を編集部に引っ張っていく。
確かに編集部はなんか荒れていた。去年は余裕の顔で、初任給を貰った後にローンで買ったノートパソコンでネット閲覧しながら、高いコーヒーを飲んで常識的な時間に帰っていた新卒が、目の下にクマを作ってヒーヒー言っている。
先輩方も目が血走っていて、必死の顔で仕事をしていて2年前はあんな顔をしていなかった。
それを見ている俺の横で、「卯月の抜けた穴がデカ過ぎたんだ」と説明する編集長の言葉がうまく頭に入らない。
俺に気付く先輩達は「来てくれた!」、「いつから復職だ?」と聞いてきて、いない同期達を気にすると、「辞めた」、「営業に行って自社広作ってる。アイツら編集と掛け持ちもできないんだ」なんて聞こえてくる。
編集長は悪い顔で「そういうことだ。皆卯月の復職を待っているからな!初めは半日だけでも良いから帰ってきてくれ!」と言う。
半日なんて嘘だ。
きっと来たら帰れない。
「仕方ない」の言葉や、「仕事なんだから」の言葉で、ズルズルといいように使われる。
それくらいわかる。
ヘトヘトの元新卒が「アンタのせいで」と恨み言をぶつけてきたので、「君も帰宅を2日に一度にして、素材作成から画撮から編集に製版に刷版に印刷、自社広まで土佐先輩に言われるまま働けば出来るようになるよ。俺にお疲れ様って言ってた頃を思い出してね」と返すと、俺を散々追い詰めていた土佐先輩は仕事を辞めていた。
そう言えばなんか聞いた気もするな。
俺は予定を少し超過したが帰路に立ち、主治医に「行かなければよかったです」と電話で状況を説明したら、「…それは行ったら良くない事になりますね」と言われた。
立場上言えないがと言いながらも言うくらいなので余程なのだろう。
ドッと疲れた。
もう早く帰って横になろう。
復職なんて夢のまた夢。
社会復帰とはなんだったのだろう?
冬原プリントのありがたみが身に染みる中、俺のスマホには母さんからの着信。
帰りが遅いから心配したのだろう。
「もしもし、もう駅には着いたから家に帰るよ」と言うと、「心配したわよ。早く帰ってきなさい」と言われた。
「何かあったっけ?俺疲れてんだよね。ゆっくり歩きたい」
母さんが「あら、行って後悔した?」と聞いてくるので、「したよ。父さんと母さんの言葉に従えばよかった…」と言うと、嬉しそうに笑った母さんは「帰ってきたら元気を取り戻せるわよ」と言う。
「は?」
「ふふ。お客様よ。良かったわね春也。お母さん突然で驚いちゃった」
浮かれる母さんの声に、笑梨と光莉さんと朱莉さんが思い浮かび、「はぁ?誰だよ?」と聞いても、母さんは「ふふ。早く帰ってきなさい」としか言わない。
そのくせ「もう切る」と言うと、「想像と違う人だったら失礼なのよ」なんて言ってから電話を切りやがった。
誰だ?
笑梨?
笑梨の奴なら電話番号を知ってるから電話をしてくる…母さんが止めるな。
それなら光莉さんも朱莉さんも同じだろう。
3人一緒なんて話はあり得ない。
あの感じなら1人だと思う。
誰だろう?
俺ははやる気持ちを抑えながら家に向かって歩いた。
(完)
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