朱莉と話す春也。

第25話 仕事漬けの日々。

話す事とかあんまり無いのだが、朱莉さんが話をしたいと言ってきた。


「何を話します?」と聞くと、朱莉さんは「私の事を話すから、それに見合った話をしてよ。出来たら卯月さんが今どうしてここにいるのかを知りたい。そんなに仕事のできる人が、ここに居るのが信じられないんだ」と言ってから、一瞬の溜めの後で「私、もうすぐ死ぬんだ」と言った。


それがごく普通の、まるで今晩の夕飯はカレーなんだと言うような話しぶりに、俺は言葉を失い朱莉さんを見てしまった。

確かに色白と不健康の判断が難しい顔と痩せ方。


だがインドア仕事の人の中には朱莉さんのような人はいる。

来ているパーカーは薄い水色で、色白は強調されてしまっているが、死ぬなんて言われて信じられる姿ではない。


「え?」と聞き返すと、「正確には死ぬかもしれない…だね」と言い、「高校2年の時、3月のもうすぐ3年って時に急に倒れたんだ。検査の結果は身体の数値がとにかく狂っていて、即入院が必要で、もしかしたらそのまま死ぬかもって言われた。怖かった。急な事でとにかく怖かった」と言って中空を見ている。


俺は何も言えずに朱莉さんを見ていると、俺と一瞬目が合った朱莉さんは頷いてから、「でも今も生きている。そう、4月になって少し調子が上向いて、退院して家で過ごすと、ゴールデンウィーク前には元通りになった。何があったかわからない。本人も家族もお医者様もわからない。それでなんだったのかなと笑い話にしたけど次の冬、2月の終わりにまた倒れた。昨年と全く同じ状況と症状。私はまた死と向き合った。進学は前もって諦めていたから良かったけど…、それからは冬原プリントの従業員になった」と言って仕事場を見回す。


朱莉さんは原因不明の奇病にかかっていた。

春が近づくと死にかけて春が過ぎると持ち直す。

もう4年もその生活を繰り返していた。


「私はそれを魚病って名付けてる。お医者様と話しているのは、体力が低下すると持ち直さない。疲れたままで死んでしまう。それって水揚げされた魚みたいでしょ?だから私は勝手に魚病って呼んでる。前に市営公園で会ったのは2月に向けて検査結果を聞きに行った帰りだったんだよ」


その後は「恥ずかしいけど」と言って、スマホの中に居る高校入学の時の写真を見せてくれた。

その中には紺色のブレザー姿の朱莉さんと、まだ中学生の光莉さんが写っていた。

朱莉さんが肩くらいまでの長さの髪型で、光莉さんが長髪だった。


朱莉さんは長い髪を手に取って「この髪、邪魔かもしれないけど、遺髪にして貰いたくて伸ばしたら、切り時を失っちゃったんだよね」と言って苦笑した朱莉さんは、「さあ、卯月さんの話を聞かせて」と言った。


思い出すと頭が痛む話。

本当なら触りだけではぐらかしたい。

でも自分の境遇を話してくれた朱莉さんに報いたい気持ちだった。


「俺は死を選んで、死に損なって今ここにいます」


その言葉に、朱莉さんは信じられないものを見る目で、俺を見て無意識に口を開きつつ、それに気づくと慌てて閉じる。


「よくある話かは分かりません。去年…年度じゃなくて年なら一昨年、大学卒業と同時に就職をしました。奇跡的に有名な出版社に決まった時は嬉しくてたまりませんでした。でもその会社は研修らしいものはあまりなくて全てOJT、現場で働きながら仕事を覚える環境でした。そして俺は同僚に恵まれずに居たんだと思います」


あの日々を思い出しながら話す。

初めに編集部に行った話。

見よう見まねで、必死になって覚えたDTPソフト。


すぐに上司からライターが働かないからと言われて自分で文章を考えるようになり、オペレーターが働かないからと言われてレタッチに制作もやる事になった。

そしてそれらがなんとか出来るようになると、言い渡される印刷補助の作業。

PODの使い方を覚えて刷版までやった。

そしたら今度はカメラマンの補助をやる事になり、自費でカメラを買って練習した。


俺はその事を思い出しながら、「ここまでで大体一年ですね」と説明をする。


「…なんでやったの?」

「前に光莉さんからも聞かれましたがわかりません。そう言うものだと信じました。家で勉強する為に、このパソコンも買って寝食を放棄して働きました。多分その時から俺は壊れていたんですね」


「その後は?」

「4月になって編集部に新人が入って来ましたが、俺とは全く違っていた。編集の仕事だけしかしていません。そこら辺から自分が更におかしくなりました」


そう。

あの春は絶望した。

一年経てば環境は改善すると思った。周りと同じ編集のみをする生活に戻れる。生活が改善すると思ったが変わらなかった。

それどころか、更に別部署で営業職が使う自社広告まで作らされた。

営業職が拙い知識や技術で作るより、俺が作ったものの方がデザイン性に富んでいると言われて、更なる切磋琢磨を求められた。

とにかく時間が足りなかった。

ますます寝食から遠ざかった。


「そして良くなかったのは、連休直前にあった部署の新人歓迎会で聞いた、直属の上司からの仕事論。ミスをしたら死んで償うものだと言われました。そして連休は久しぶりに休めて、誘われていたこともあって顔を出した地元の飲み会で、否定されることを期待しながらその話をすると、旧友達も「当たり前だ」、「死んで償いなよ」と言った。それから2ヶ月後。俺はミスをして責任を取って死を選びました」


朱莉さんは大きなため息の後で、「なんで?」とまた聞いてきた。

俺は自分でもわからない、あの日の事を思いながら「なんででしょう?」と言ってから、朱莉さんを見て「当時は考える事も出来ませんでした。考える時間も何もかも、仕事をいかに早く片付けるかしかありませんでした」と説明をした。


「…ごめん。続けて」

「その頃の食事は3食コンビニのパンとレジ横チキンとお茶。家に帰れるのは大体一日おきで、しかも風呂と寝る為だけ。母からは心配されましたが、もう意地でしたし、ここで俺が潰れたら仕事が滞ると思って歯を食いしばりました。まだ父が居れば良かったのですが、父は単身赴任で家にいなかったので、俺を止める人は居ませんでした」


そう。

父さんがいれば、「辞めるんだ。今の春也の姿が業界の普通だとしても辞めていい。折角大手に勤めたのになんて思わないでいい。心身を壊してまで働く必要はない」と言ってくれただろう。


だが父さんは居なかった。

そして社会人経験の乏しい母さんは「男の世界はわからない。これが正解なの?」と思っても俺を止められなかった。

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