木箱の中の宝物

 ケイト宅に来たばかりの頃、コールは非常にオドオドとした少年だった。

 元から気性が大人しく怖がりだということもあるが、それ以上に、親しい大人から捨てられることを危惧していたのだろう。

 意図的にケイトには懐かないようにし、母親などとは思わないようにしている節があった。

 少し前までは照れながらも自分に駆け寄り、抱っこをせがんできたというのに、久しぶりに再会したコールはすっかり自分に怯え、敬語を使うようになっていた。

 引き取ってからも妙に距離のある関係が続き、やっと誕生日に強請ったプレゼントは分厚いロングコートだった。

 少年が強請るには珍しい品だが、少しコールとの距離が縮まった気がして嬉しくなり、ケイトは、

「コールはお洒落なのね。今、そういうコートが巷で流行っているみたいよ」

 と、笑顔で与えた。

 そして、コートを着たコールが部屋のベッドの上で貝になり、「おかあさん、おかあさん」と泣いてうずくまるようになったのを見て、絶句した。

 入浴以外でコートを脱がず、何かあればコートに引きこもってしまうようになったのを見て、なんとも言えない寂しさを感じた。

 あのコートはコールの心の鎧なんだ。

 そう察して、サニーとは別の意味で、彼がコートを脱いでくれる日を待った。

 だが、何とか心をほぐそうと腐心し、優しい言葉をかけたり、遊びに誘ったり、食事を好きな物で取り揃えたりしてみても、彼は一向に心を開かない。

 誕生日以降は一切物を強請らないし、我儘も言わない。

 コールはぬいぐるみが好きだからと与えたら、貝になってしまったのには驚いた。

 後から、コールはおもちゃを貰うことに恐怖を感じていたのだと知った。

 空しい努力が空回り続ける。

 そんな寂しい日々が続いたある日、作業場でぬいぐるみを作っていたケイトは、視線を感じて後ろを振り返った。

 野生の小動物よりも警戒心の強いコールは一瞬でドアの陰に隠れてしまったが、それでも、何か人影がピュッと逃げるのは目視できた。

 ケイトが作業を始めると後ろから覗き、彼女が振り返ると姿を隠す。

 しかも、徐々にケイトの元へ近づいてきているようだ。

 唐突な「だるまさんが転んだ」は、ケイトの隣にやって来たコールが隠れ場所に困り、大慌てで貝になったことで幕を閉じた。

「ふふ、可愛い貝みっけ。どうしたの? コール。私に何かご用事?」

 分厚いコートをチョンチョンとつつくと、ゆっくりとコールが立ち上がってフードをとる。

 押し黙ってケイトの作っていたぬいぐるみを指差した。

「これが欲しいの? まだ完成してないよ?」

 ケイトが不思議そうに問うと、コールは首を振った。

 その後やり取りを重ね、どうやらコールはぬいぐるみができていくのを眺めていたかったのだと知った。

「それなら、あそこの背の高い椅子を持っておいで。静かにできるなら、見ていてもいいから」

 コールはコクリと頷くと、一生懸命に椅子を持ってきてケイトの手芸を眺めた。

 シュルシュルと音の鳴るリボンや、布の海を泳ぐ美しい糸、シュッと引っ張られて美しく造形を変える布にコールはすっかりと魅せられて、毎日熱心に作業場へとやって来た。

 そうしていると少しずつお喋りをするようになり、段々と距離が縮まり始める。

 一週間が経つ頃にはコールも手芸をしてみたいと言い出して、彼専用の小さな机と手芸セットが用意され、作業場の一角を陣取るようになった。

 あれだけ怖がりで泣き虫なコールだったが、手芸に失敗して怪我をしても決して泣かず、黙々と布の塊に向き合い続けた。

 ハンカチを作ればケイトに自慢して、自分の布製品には片端から名前の刺繍を入れる。

 ビーズや布切れを貰えば目を輝かせて笑い、すぐに次の作品の構想を練った。

 そんなコールの手芸の腕はみるみるうちに上達し、あっという間に商品化可能なぬいぐるみや洋服を作れるまでに至った。

 そして、そこまで上達したコールが初めに行ったことは、ぬいぐるみ制作でも小さな服飾品を作ることでもなく、誰にも見せないよう、大切に隠していたハリネズミのぬいぐるみを修復することだった。

 作業場に運び込まれたハリネズミは、体の大部分が泥水によるシミに侵され、あちこちにある破損部から綿を露出していた。

 ボソボソとした嫌な手触りの薄汚れたぬいぐるみへと変わっていて、元の可愛らしい姿など見る影も無い。

 しかし、これまでケイトから教わった技を駆使し、溜め込んだ布や糸、ビーズを全てつぎ込み、かつケイトから足りない分の材料を分けてもらうことで、ぬいぐるみは本来以上の可愛らしい姿を取り戻すことができた。

「よく頑張ったね、コール。それにしても、コレ、昔私があげたぬいぐるみよね? 大切にしていてくれて嬉しいわ」

 自慢げにハリネズミを抱えるコールに、ケイトは優しく笑って頭を撫でた。

 するとコールはやけに驚いた顔になって、

「覚えてくれてたんだ……」

 と、ポツリと呟いた。

 それからケイトにぬいぐるみ修復を手伝ってもらったお礼を言って、ふわふわと笑った。

 コールが作業場に訪れるようになってから、二人の距離はみるみるうちに縮まっていたのだが、この日をきっかけにコールは敬語を使うことをやめ、ケイトのことも母親として受け入れるようになった。

 きっと、ハリネズミのぬいぐるみはコールの心にかかわる大切な品で、正に宝物なのだろう。

 そんな大切な品は、現在コールのベッドの下で箱に詰め込まれて眠っている。


 サニーはワクワクとしながら、コールが本棚を漁るのを待っていた。

 コールが取り出そうとしているのはアルバムで、元はリビングにあったのだが、最近は頻繁に持ち出されるため、彼の部屋に置かれていた。

 サニーによる褌の写真の窃盗を予防するため、アルバムは本棚の中の入り組んだ場所にしまい込まれており、取り出すのにも一苦労だ。

「コールさん、早く、スケベすぎる世界最高峰のお宝を見せてくださいな!」

 待ちきれないサニーが正座をしたままぴょこぴょこと揺れていると、コールが赤い顔でむくれる。

「ちょっと! そんな変な言いしないでよ! 僕の、その、褌の写真を見るだけでしょ。ていうか、もうそろそろ、いい加減に飽きようよ。僕の褌の写真なんて、見てどうするの。ケイトさんも、あんなもの捨てておいてくれればいいのに。よりによってアルバムに入れちゃうんだから……」

 ケイトはコールの写真を見てププーッと笑った後、せっかく撮ったんだからと、冗談半分にアルバムに混ぜ込んでいた。

 サニーの帰宅後クレームを入れに行ったら、

「まあ、サニーちゃんが喜んでいるんだからいいじゃない」

 と笑いながら肩を叩かれ、強めの怒りを抱いた。

 ともかく、コールはアルバムをせがまれ、仕方なく取り出しているのだが、そうしている間にサニーはウロチョロとしだし、ふとベッドの下を覗き込んだ。

「あら、謎の木箱が。コールさん、謎の木箱があるわ。取り出して開けてもいい?」

 小首をかしげて問いかけつつ、答えを聞く前にベッドの下から木箱を引きずり出す。

 コールが許可をすれば、今すぐにでも開ける所存だ。

 彼が生返事で「ん~? いいよ」と返すと、宝を発見した山賊のような勢いでふたを開けた。

 中に入っていたのは一抱えもある大きなハリネズミのぬいぐるみだ。

 経年劣化による品質の低下は防ぎきれないものの、定期的に洗われ、丁寧に手入れされているぬいぐるみは新品同様の愛らしさを誇っていた。

 箱に入り込んでうずくまっている姿がコールと重なり、サニーは、

「あら、かわいいわ」

 と微笑む。

 すると、一拍遅れで状況を飲み込んだコールが帰って来て、

「わあ! 何を見てるの!? や、やめてよ」

 と、箱を抱えて顔を赤くした。

 やけに慌てていて、羞恥以外の何らかの感情が見え隠れするようだった。

「いいじゃない。とっても可愛いぬいぐるみで、素敵よ。でも、どうして箱に仕舞っちゃったの? 窮屈で、少しかわいそうな気がするわ」

 大切だからこそしまい込みたかったのだろうか。

 だが、ミチミチに詰め込まれたハリネズミは苦しそうだったし、ベッドの下という場所もなんだかよろしくない。

 まるで、後ろ暗い物を隠しこんでいるようだ。

 どことなく違和感を覚えて首を傾げると、コールが右に左に視線を泳がせてからぬいぐるみを取り出した。

「これさ、僕の宝物なんだ。それで、その、嫌わないでね。僕はこのぬいぐるみを抱えて、その、眠る時があったんだ。でも、女の子だって、大きくなったらそんなことはしなくなるでしょ。格好悪いし、サニーに嫌われちゃうと思って、仕舞ったんだ」

 本当は弱虫で臆病な自分から卒業しようと、ぬいぐるみを捨ててしまう予定だった。

 けれど、大切な思い出の詰まった友人を捨てることがどうしてもできず、折衷案としてベッドの下に封印することにしたのだ。

 簡素な木箱は、まさしく宝箱だった。

 確かに、いい年した成人男性がぬいぐるみを抱っこして眠っていたら、馬鹿にされたり、引かれたりするかもしれない。

 相手によっては、気になるあの人から、気持ち悪い知人に降格する恐れすらある。

 だが相手は、友人の間でド変態として名の通ったサニーなので一切問題ない。

 むしろ、ハリネズミに抱き着いてすやすやと眠るコールを想像し、興奮で鼻息が荒くなっている。

「嫌う訳が無いでしょう。むしろ、とってもかわいくて素敵だわ。ねえ、それなら、ちゃんと箱から出してあげましょう。ふふ、可愛いわ……あら? もしかして、そのハリネズミさん、コールさんの匂いが染みついてる?」

 抱き上げたハリネズミから漂う、ふわっとした香りと目の前の男性が、サニーの脳内で素早く結びつく。

 今日もサニーのしょうもないヒラメキが光っていた。

 サニーは思いついたら即実行! というスタイルなので、もたもたしていたら本当にハリネズミが嗅ぎまわされてしまう。

 笑顔でハリネズミの頭を撫でていたサニーが不穏な事を言い出した瞬間、コールは彼女からぬいぐるみを遠ざけた。

「こ、コラ! 駄目! 嗅ぐなら貸してあげないからね! 全くもう。大体、僕の写真はもういいの? いいならいいけどさ」

 あれだけ困っていたはずなのに、サニーの関心が褌の写真からハリネズミに移ってしまうのは面白くないらしい。

 コールが少々むくれ、フンとそっぽを向いた。

 ハリネズミか褌か。

 究極の二択を迫られたサニーの最適解は、

「ハリネズミさんを抱っこしながら、コールさんのお写真を眺めたいわ」

 である。

「駄目! せめて、どっちかにして!」

 結局サニーは写真を選択し、目には見えない鼻血を噴出しながら、

「ここ! ここの筋肉がお美しいわ、コールさん! 鼻血が! 本当に鼻血が出ちゃう。なんてスタイルの良さ!! ありがとうございます! ありがとうございます!!」

 と、はしゃいでいた。

 サニーが楽しいひと時を過ごしているのはもちろんのこと、真っ赤になって貝になり、困りながら彼女につつき回されるコールも、なんだか楽しそうだ。

 そして、そんなイチャつく二人の声に、時折耳を傾け、のんびりと仕事を進めるケイトも実は幸せそうに微笑んでいたりする。

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