ハリネズミとキス
星明りが綺麗な夜更けに、コールはいつもの待ち合わせ場所で大きなため息を漏らした。
透明な光に晒される白い吐息の塊が、ふわりと空中で霧散する。
プレゼントを渡すのに緊張してしまって、いつもよりもずっと早い時間に家を出て巨木に着いたのだが、待っている間に段々と不安が募り始めてしまい、コールは、ウサギを渡すか否かでウジウジと迷い始めていた。
『どうしよう、プレゼントって、どのくらい仲良しになったら、あげてもいいものなんだろう。ログは出会った翌日から渡してたっていうけど、ログの場合は告白もしてるし、参考にするのはちょっと違う気がする。いや、サニーと恋人になりたくないってわけじゃないんだけど。それに、これ、僕の手作りなんだ。やっぱり、重いし気持ち悪いよね……』
サニーに、
「勘違いしないでくれる? 汚らわしい。アンタはただの友達だと思ってたけど、今日から犯罪者ね」
などという、強めの罵詈雑言を浴びせられ、氷のようなまなざしで突き刺されてしまったら、立ち直れる気がしない。
仕事の合間に時間を見つけては少しずつ縫い、丹精込めて作り上げた会心の作だったが、嫌われてしまうくらいならば渡さず、無駄になった方がましだろう。
少なくとも、今日は止めとこうかな、と包みをポケットに仕舞おうとした時、
「考え過ぎよ、コールさん」
と、サニーに背中を突かれてしまった。
「わあ! サニー!?」
油断したところに可愛らしい悪戯をされて、コールの心臓が跳ね上がる。
つつかれた瞬間に後ろへ大きく飛び退いたが、少しすると、ソロソロとサニーの近くへ帰って来た。
動揺して震えがちなコールは、大きなフードを被って顔の半分ほどを覆い隠す。
「サニー! もう! びっくりさせないでよ。それに、こんなに早く来ると思わなかった」
段々と巨木へ来る時間が早くなっているコールに合わせて、サニーも彼のもとへ行く時間を早めていた。
今夜もウキウキで雪道を歩いてきたのだが、遠目で確認したコールが何やら思い悩んでいるのを確認すると、少々悪い気持ちが芽生え、後ろから回り込んで驚かしてやりたくなったのだ。
可愛らしい反応を見ることが出来て、サニーの口元がニヨニヨと歪む。
「コールさんの方こそ。ふふ、こんなに早く来てくれてるなら、私も、もっと早くに家を出ればよかったわ。ねえ、コールさん。挨拶をしてもいい?」
ふわりと上品に微笑んで、優しくコールの右手を引く。
コールが照れながら頷き、そっと手を持ち上げるのを見てから、ようやくサニーはその指先にキスを落とした。
いくら人間関係に疎いとはいえ、流石のコールも、これが友人同士の挨拶ではないことに気が付いている。
だが、サニーに可愛らしく手を引かれると断ることが出来ず、毎回、ドコドコと心臓を鳴らしながらキスをされていた。
「ふふ、今日もかわいいわ、コールさん」
顔を上げたサニーが、両頬を真っ赤にし、涙目になって俯くコールへ穏やかに言葉を紡ぐ。
もちろん脳内は大暴れで、愛とスケベが激しく雪道を転がって行くのだが、サニーは腹に力を込めて上品な可愛らしさを作り上げ、自分のアレな一面はおくびにも出さない。
カルメなどは詐欺師だと騒ぎ立て、コールに「逃げろ、そいつはスケベな肉食獣だぞ!」と警告してしまうかもしれない。
サニーは照れるコールをこっそりと眺めまわしていたのだが、不意に、彼の足元に転がっている小さな包みに気が付いた。
「あら、これは?」
誰かの落とし物だろうかと拾ってみると、ビクッと肩を揺らしたコールに、
「やめて!」
と、奪い取られてしまった。
どうやら、背中を突かれた時にプレゼントを落としてしまっていたらしい。
何の心の準備もなく見つかってしまった事に激しく動揺し、大慌てで包みをとり返したのだが、そうすると妙な沈黙が流れ、余計に気まずい雰囲気になる。
『やっぱり、変なこと考えなきゃよかった。サニーだって困ってるし、乱暴に包みを奪って怒鳴ったりして、絶対に嫌われちゃったよ』
少し大きめの声だっただけで怒鳴ってはいないのだが、コールは自身の拒絶をそのように判断して落ち込んだ。
ゆったりとしたコートの中で体育座りをして引きこもり、ギュッと包みを抱いて震え始める。
目の端に涙が浮かぶが、仮面で隠されてサニーからは見えない。
そのことに安心しながら、臆病で弱虫な自分を嫌悪した。
すると、サニーもしゃがみこんで、ひっそりと仮面越しに彼の瞳を覗いた。
本来、仮面には目の所に穴が開いていて、着用している者がキチンと周囲を見られるようになっている。
しかし、コールの仮面には特別な加工が施されており、外からは彼の瞳を覗くことが出来ないようになっていた。
そのため、コールの視線がどこを向いているのかも、明確には分からない。
『やっぱり駄目か。間違ってたら恥ずかしいから、目を見て確認したかったんだけれどな』
サニーは苦笑すると、そっとコールのフードを外した。
モジモジとしているコールだが、短めに切りそろえられた銀髪はツンツンと尖っていて、大きな耳や首筋をさらけ出しており、中々に格好良い姿をしている。
また、目元が見えないので細かい顔つきは分からないが、大きな口や少し角張った顔の輪郭には精悍な雰囲気があって、サニーはニヨニヨと笑んだ。
「ふふ、コールさんは男前ね。ねえ、コールさん、自惚れだったら恥ずかしいから、無視して欲しいんだけれど、もしかして、その包みは私へのプレゼントだったりする?」
一瞬だけ見た包みの柄が、女性や子供に向けた可愛らしいものだったことや、コールの人間関係が狭いことなどから立てた予想だった。
どうか間違えていませんように! と心の中で祈りつつコールの反応を待っていると、彼はおずおずと頷いた。
心底安心して、ホッとため息をつく。
「良かった。ねえ、どうして隠しちゃったの? 私、コールさんがプレゼントをくれるのかもって思っただけで、凄く嬉しくて、ドキドキしたのよ」
「本当? 良かった。実はさ、プレゼントを渡して嫌われちゃうかもって思って、心配になったんだ」
コールの方も、ニコニコと笑うサニーの言葉に安心したようだ。
照れ笑いを浮かべて、控えめに包みを差し出した。
その姿に、サニーは胸がキュンとなりながらも、
「嫌われちゃう? どうして?」
と、首を傾げた。
もしかして、コールの趣味はかなり特殊で、虫の標本でも入っているのだろうか。
愛しい人のアレな趣味くらい受け入れる覚悟はできているが、あまりグロテスクな物を見たくないのも事実だ。
サニーは色々な意味で心臓を震わせながら包みを開けたのだが、入っていたのは可愛らしいウサギのぬいぐるみだった。
ウサギを見やすいように、コールが魔法で小さな光をつくり出す。
淡く照らされるウサギは全体的にクリーム色をしており、小さな丸いビーズで出来たオレンジの瞳が可愛らしい。
ちょこんとお姫様のように座るウサギは、幾重にもレースを重ねて作られた、裾のふんわりと広がる純白のドレスを着ており、耳の付け根や胸元などがオレンジの造花で飾られている。
ゴテゴテと騒々しくはないが、華やかで愛らしい雰囲気だ。
雑貨屋でショーケースにでも入れて飾られていそうなウサギは、女の子に喜ばれることはあっても、とても忌避されるようには思えない。
ますます首を傾げていると、コールは、それが自分の作った物であることを明かした。
「凄いわ。コールさんの手は、とっても器用なのね。ふふ、とっても可愛いぬいぐるみ。ありがとう、コールさん」
ぬいぐるみ自体が素敵なプレゼントだということもあるが、コールが手間暇かけて自分のために作ってくれたのだと知ると、一層、愛しさが増す。
サニーは潰さないように気を付けながら、そっとウサギを胸に抱いた。
「サニーは、男の僕がぬいぐるみ作るの、気持ち悪いって思わない?」
コールは不安げだが、サニーはすぐに首を横に振って否定した。
「全く思わないわ。むしろ、素敵だと思う。私じゃ、絶対に作れないもの」
「じゃあ、その、ぬいぐるみが、好きなのは?」
そう問われ、サニーの脳裏に、ぬいぐるみに囲まれているコールの姿がよぎった。
サニーの妄想の中で、コールは、特にお気に入りの巨大なウサギのぬいぐるみをモフモフと抱き締め、ふわふわと笑っている。
彼女は心の目でしか見えない透明な鼻血を噴出した。
『ぬいぐるみ大好きコールさん!? イイ! 凄くイイです! かわいすぎる! というか、私がコールさんを、ぬいぐるみみたいに抱き締めたいわ。いや、ぬいぐるみになって抱きしめられるのもいいわね。ギューッとされて、頬をすり寄せられ、純粋な笑顔を浮かべるコールさんの素敵な雄っぱいに私の顔を埋め……ああー!! 最高です! コールさん!! 誰か、人間が入れる仕様のぬいぐるみを持ってきて!!』
想い人の可愛らしい趣味を変質的に下方修正して、サニーはギュンギュンと胸を鳴らした。
妄想も、瞳が歪むのも、完全に止められなくなってしまう。
『ぬいぐるみにしても、コールさんは、自分のぬいぐるみ好きをかわいいと思ってないってところが重要なのよ。コールさんは決して、ぶりっ子ではないの。むしろ、格好良いと思ってとった行動が裏目に出たりするのが、すごくかわいいのよ』
散々コールはかわいい、最高だ! とはしゃいでいるサニーだが、別に彼女は、女の子のような、あからさまに可愛らしい雰囲気を持った男性が好きなわけではない。
むしろ彼女は、格好良いものに惹かれている。
コールの首筋や耳を露出させる短髪に、サニーよりもずっと高い身長、角張った大きな手足は、彼女の好み通りの格好良い姿だ。
その格好良い人間が、本人の意識とは関係無しにかわいらしくなってしまうのが、好ましくて堪らなかった。
コールの姿に本人の恥ずかしがり屋で怖がりな性格が合わさることで、サニーの性癖をドストライクで射抜くようにより、彼女を夢中にさせているのだ。
『ああ、その分厚いコートの下だって、私好みなんでしょ、コールさん。だってコールさんは、素早く木によじ登って梟さんになったりできるほど、運動神経が良いし、それに、そんな風にするには、それ相応の筋肉が必要になるから。ああ、いつかコールさんが、サニー、恥ずかしいけど、ちょっとだけならいいよ、ってコートを脱いでくれたら! ああ、もう、駄目!! 本当に鼻血出して、出血多量で死んじゃいそう!!!』
当然だが、コールは変質者ではないので、ロングコートの下にはキチンと衣服を着ている。
そうであるのにもかかわらず、サニーの中でコールはかなりエッチな存在になっており、スケベ妄想の中で弄ばれていた。
それがとうとう表面上にも表れて、サニーの瞳が正気を失う。
口から涎と妄想がこぼれかけ、品性が死ぬ寸前でコールに、
「ねえ、サニー、聞いてる? やっぱり、ぬいぐるみが好きな僕のことなんて、嫌いになった?」
と、問われ、一気に意識を取り戻した。
現実に帰って来たサニーは大慌てで品性に心肺蘇生を施し、素早く作った上品な姿で、
「そんなことないわ。ぬいぐるみが大好きなコールさんは、かわいくて、私は好きよ」
と、悪戯っぽく微笑む。
コールには、幼い頃、男の子がぬいぐるみを持っているなんて気持ち悪い! と、いじめっ子三人組にぬいぐるみを没収され、川に流されたというトラウマがある。
そのため、サニーの承認は、彼女が予想するのよりもずっと嬉しかった。
機嫌よく笑うコールは、ゴソゴソとポケットを漁って、
「本当!? 良かった。あのさ、サニー、その、引かないでね。実は、僕の分もあるんだ」
と、ウサギと同じような大きさの、ハリネズミのぬいぐるみを取り出した。
丸っこいハリネズミの針は銀色で、真っ白い、コールとお揃いの仮面をつけていた。
銀糸の刺繍で飾られた格好良いタキシードを着て、コールの手のひらの上でちょこんと座っている。
サニーのウサギと並ばせた時、真っ先に浮かぶ言葉は新郎新婦である。
加えて、このぬいぐるみたちには磁石が仕込まれており、手を繋ぐことが可能だった。
最初は、サニーへのプレゼント用に彼女をイメージしたウサギを作ったのだが、つい、魔がさして、自分をモチーフにしたハリネズミも作った。
初めは簡素な服を着ていた二体だが、もう少し豪華なものを着せようかと衣服を作り直し、二体に自分たちを重ね合わせていく内に、現在のような溺愛バカップルの必須アイテム、甘いお揃いのぬいぐるみが完成してしまった。
元々、ハリネズミの存在は明かさない予定だったのだが、サニーがあっさりと自分の趣味嗜好を認めてくれたのが嬉しくて、浮かれてしまったのだ。
「可愛い。まるで、コールさんみたいなぬいぐるみね。あら? ふふふ、ねえ、コールさん。もしかしてコールさんは、こうしたかったの?」
コールのハリネズミを手に取って眺め、タキシードをほんの少し捲り、腹チラさせたり、お尻をチラ見したりして遊んでいたサニーが、はしゃいだ声をあげた。
きっと、ぬいぐるみたちが手を繋いでいるのに反応したのだろう。
そう思い、コクリと頷いてからウサギたちを確認して、ギョッとした。
ウサギとハリネズミがキスをしていたのだ。
二体は座った姿勢でデザインされているため、キスをするには、互いに少しだけお尻を持ち上げねばならなくなる。
そうして、少し出っ張った口元をくっつけている姿は、初々しく可愛らしい恋人たちだ。
「わああ! 止めて! 見ないで!!」
実はウサギたちを作った時に、それぞれの口付近にも磁石を仕込んで、キスができるようにしていた。
そして、キスをするに体を眺めてニヤニヤ、ニマニマとした笑みを浮かべ、妄想にふけっては一人で悶えるというドン引き絶交確定の遊びをしていた。
流石に、かなり気持ちの悪い事をしてしまったという自覚があるコールは、渡す前に、絶対に磁石を抜こうと思っていた。
しかし、ケイトにぬいぐるみの存在がバレてしまい、ワタワタとしている内に、すっかりその存在を忘れ、そのままにしてしまっていたのだ。
手を繋ぐのはギリギリ許されても、キスは確実に許されないだろう。
気持ち悪い変態と軽蔑されるのがオチだ。
半泣きのコールが大慌てで梟になろうと木によじ登るのを、サニーがコートの袖を引いて止めた。
「うう、サニー、本当にごめんなさい……」
その場で顔を覆い、震えていると、サニーが下から手を差し入れてコールの頬に触れた。
「コールさん、許してほしかったら、手を退けて、屈んでね」
指示通り、コールはソロリと手を退かして屈み、サニーと目線を合わせたのだが、彼女の怪しくきらめく瞳を見ていられず、ギュッと目を瞑った。
全身がドロリとした熱に蝕まれ、緊張で震えだす。
「ねえ、コールさん。さっき、コールさんが頷いたの、見ちゃったからね」
コールも望んでいるという大義名分を得たサニーは、止まれない。
声にはおぞましいほどの熱が入り込んでいて、獲物をしとめる瞬間の蛇のようなソレが、鼓膜に絡みつく。
目を瞑っていて良かったかもしれない。
サニーの瞳は猛禽類のように鋭いのに、愛でグニャリと歪んでいて、まるで化け物だ。
彼女からブワリと醸し出される猛獣の気配に怖気が立つが、コールは決して離れられず、耳まで真っ赤にしたまま、微かに頷いた。
二度目の肯定に笑みがこぼれ、虎の尻尾が、執着するようにコールの腰に巻き付く。
猫が爪を立てるように手のひらでコールの頬を撫でて、どう猛な狼の牙がチラつく唇を寄せた。
そうして、小さなキメラはコールの鼻の頭に口づけを落とした。
二回、三回とキスを重ね、唇だって奪ってしまいたかったが、二人は恋人ではないし、コールは酷く臆病なので、必死に理性を働かせ、名残惜しく彼から離れる。
これに対し、てっきり唇にキスされるのだろうと思い込んでいたコールは、羞恥や動揺で激しく震え、混乱したまま「え? アレ? え、えと……」と、不明瞭な言葉を出した。
すると、事情を察したサニーがペロリと唇を舐め、悪戯っぽく微笑んだ。
「だって、ハリネズミさんのお顔の出っ張りは、お口じゃなくてお鼻でしょう? だからよ。ねえ、唇はまた今度に……コールさん! かわいすぎるわ!」
言葉を出しきる前に梟になったコールを、彼女は下から熱心に見つめ、小一時間ほど褒めそやした。
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