次期村長からの依頼

 季節はすっかり冬になって、木々は葉の代わりに雪で化粧をするようになり、地面や建物にも雪が降り積もっている。


 村全体が白っぽく姿を変えていた。


 一歩でも足を外に踏み出せば雪の混じった冷たい風に、酷く冷え込むが、カルメの自宅や彼女の勤務先である診療所は異なる。


 カルメが自作した暖房の魔法陣が建物中に貼られ、中にいる者を温かく癒すからだ。


 頭や外套に落としきれない雪を乗せて、外からやって来たサニーやウィリアはホッと息をついた。


「あったか~い。なんで~?」


 冬に暖を取るためには、基本的に服を重ね着するか、暖炉に薪をくべるくらいしか方法が無い。


 都会の富豪の屋敷ならばまだしも、名前があるのかさえも怪しい片田舎の村では、精密に作られた非常に質の高い魔法陣を贅沢に使って部屋を暖める、という発想すら湧かない。


 そのため、ウィリアは困惑してキョロキョロと辺りを見回し、暖炉に火がともっていないことを確認すると、余計に首を傾げた。


 すると、同じように辺りを素早く見回したサニーが、一枚の魔法陣が描かれた紙を指差す。


「あそこにある魔法陣のおかげじゃない? カルメさん、なんか凄い魔法陣とか、簡単に作れるみたいだし。いいな。家にも欲しいわ」


 二人で魔法陣を羨ましがりながら談話室に入ると、室内で床の掃き掃除をしていたらしいカルメが箒とゴミの入った塵取り片手に怪訝な表情を浮かべた。


 ちょうど掃除が終わったところらしく、ゴミを捨てると清掃用具を壁際に立てかけた。


「おい、二人揃ってどうしたんだ? また回覧板か? それとも、ログに用があるのか? ログは別の部屋を掃除しているから、ここにはいないぞ」


 カルメは、ほとんど黒に近い紫の髪を肩よりも少し下の位置まで伸ばしているのだが、丁寧に手入れされているようで、艶々と綺麗に輝いている。


 そして、その美しい髪を、流水のように清らかな青い花の髪飾りが堂々と彩っている。


 全てを見下していた丸っこい瞳は、以前よりも少しだけ雰囲気が穏やかになって、ログが近くにいない今でも、可愛らしさを維持していた。


「用があるのはカルメさんですから、ログのことは別にいいんですが。ところで、カルメさん。この温かい室内でローブを着ていたら、暑いんじゃないですか?」


 カルメは白衣の上からキッチリと深緑のローブを着込んでおり、顎の辺りまで服で隠している。


 外套を脱いだサニーが不思議そうに問いかけると、カルメは少し固まって、何事かを考えた後、


「別にいいんだよ。暑かったら、冷やせるし」


 と、そっぽを向いた。


 どことなく、白い耳が赤く染まっている。


 頬まで染まり始めるのを見て、やっぱり暑そうだよな、と首を傾げるサニーの隣で、ウィリアはニヤニヤと悪い笑みを浮かべた。


「ちょっとサニ~、それを聞いちゃ、野暮でしょ~。カルメさんたちは、新婚さんなのよ~。人に見せられない跡の一つや二つ……キャッ! つめた~い!!」


 歪んだ口元を指先で隠して楽しそうに揶揄っていたウィリアだが、真っ赤になって狼狽えたカルメに魔法でみぞれを落とされ、強制的に黙らせられた。


 頭に積もったみぞれが溶けてじんわりと体温を下げていき、非常に冷たい。


 大慌てでみぞれを振り払うのだが、そうすると今度は溶けた冷水やみぞれの一部が首筋や背中に入り込んでしまって、ウィリアはバタバタともがいている。


 そんな姿を、カルメは眼光鋭く睨む。


「ウィリア! お前! これ以上言ったらツララだからな!」


 片手で首元の布を押さえながら、ガァッと吠えた。


 もう片手には青い魔力を纏わせ、ウィリアの方へ向けている。


「うぅ~、まだ冷たいです~。そんなに照れなくてもいいじゃないですか~。カルメさんたちくらいの仲良し新婚さんなら、ヤラし……キャー!! 冷たいですってば~。カルメさんが怒ったぁ~!!」


 懲りずに揶揄っては二発目のみぞれを食らい、バタバタと暴れて逃げるウィリアをサニーは呆れた目で眺めると、争いに巻き込まれないよう、二人から距離を取った。


「カルメさん、こっちは掃除、終わりましたよ。どういう状況ですか? これ」


 水面きらめく小川のような青い髪に、若々しい新芽のような薄緑の瞳が美しい青年、ログが室内に入って来た。


 ログもカルメと同じように診療所内で働いており、他の部屋の掃除をしていたのだが、それも終わったので、後はカルメの手伝いをしながら甘いひと時でも過ごそうかと、ワクワクしながらやって来た。


 しかし、突然友人たちが訪れていたのに加えて、何やら騒がしい雰囲気であるのを感じると、状況がつかめずに困り笑いを浮かべた。


 机の下で楽しそうに身を隠すウィリアにガルガルと唸っていたカルメだが、ログに気が付くと、パァッと表情が明るくなる。


 そして、いそいそとログに駆け寄っていった。


 最近、カルメの尻の辺りから、ブンブンと揺れる犬の尻尾が生えているような気がする。


「ログ! いや、私も掃除は終わったんだが、ウィリアに少し揶揄われたんだ! ログのせいだぞ!」


 急に諍いを自分のせいにされ、軽く睨まれてしまったログは、余計に事情が分からずに首を傾げた。


 するとウィリアが「やっぱり~、そうなんじゃないですか~」とニヤつき、三発目のみぞれを食らった。


 しかし、「何の話ですか?」と聞いても、「ログは気にしなくていいんだ!」とカルメに理不尽に叱られてしまうため、ログは事情を探るのを諦めた。


「よく分かりませんが、掃除が終わったなら、休憩所にでも行きませんか?」


 休憩所というのは、ログが診療所に住んでいた頃に自室として使用していた部屋だ。


 カルメと結婚し、彼女の家が自宅となってからは、特に仕事が無い時に薬や魔法陣の勉強をしたり、患者が来るまでのんびりと待機したりするのに使っていた。


 また、この小さく平和な村では基本的に患者は発生しないし、外傷であれば、非常に優れた治療魔法の使い手であるログや、彼の師匠であるミルクが簡単に治すことが出来る。


 診療所は暇だった。


「そうだな。今日は持ち歩きに丁度良い、暖房の魔法陣を作ってみたいんだ。ログ、それは恥ずかしいって!」


 バフッと後ろからログに抱き着かれると、背中から伝わる温かさや、サニー、ウィリアに見られている羞恥で真っ赤になってしまう。


 相変わらず恥ずかしがり屋で、二人きりでなければ、くっつかれると照れて怒ってしまうカルメだ。


 そしてログも相変わらずなので、カルメが本気で自分を振りほどくことはできないのをいいことに、腕に閉じ込めたままだ。


「なんというか、お二人は本当に変わりませんね。そして、カルメさん。私は貴方に用があるんですって」


 ギューッとくっつかれたまま、抵抗らしい抵抗もせず、涙目になっているカルメに、サニーは呆れ笑いを浮かべた。


「ああ、そういえばそうだったな。一体、何の用なんだ? サニーの頼み事ってことは、村関連だろ?」


 カルメは魔法の天才だ。


 特に水魔法と氷の魔法を扱う能力は凄まじく、既に存在する水分を支配下において自由に操ったり、消滅させたり、反対に新しくつくり出すことが出来る。


 夏は雨を降らせたり、逆に長雨を防いで根腐れや川の増水を抑えたりしていた。


 冬ならば雪に関する問題を解決することになるのだろうが、あいにく、雪崩が起こったり、吹雪で村の建物が壊れたりするような気配は無い。


 何の用だ? と不思議そうに首を傾げるカルメに、サニーは、

「その、実は、建物の雪下ろしの作業を手伝っていただきたいんです」

 と、オドオドとした様子で言うと、申し訳なさそうに頭を下げた。


「雪下ろし? 雪下ろしって、屋根から雪を下ろすやつか?」


 カルメは現在の村に住み始めてから数年がたち、今年で三度目の冬を迎えているのだが、雪下ろしを頼まれるのは初めてだった。


 そのため、訝しげな視線を向けると、サニーはギクリと肩をはね、困り笑いを浮かべた。


「あー、その、ですね。確かにやっていただけなければ、死人が出るというわけではないのですが、うちの村にはお年寄りもそれなりにいますし、中々、若者でも手が付けられないような積もり方をしているところもあるんです。実際、去年も怪我人が出ましたし、大変な場所だけで十分ですから、少し手伝っていただけないかな~と」


 組んだ両手をモジモジと動かして、上目遣いで探るように問うと、カルメはあっさりと頷いた。


 カルメにとって雪下ろしなど簡単な事で、さして嫌がる仕事でもなかったからだ。


 だが、あっけなく得られた了承に驚きを隠せないサニーは、目をパチパチと瞬かせた。


「自分から頼んだくせに、何をそんなに驚いているんだ?」


 不機嫌に睨まれ、サニーは「いえいえ、何でもありませんよ」と慌てて首を振る。


『絶対、前までのカルメさんなら、面倒そうに何度も舌打ちをして、死人が出ないならいいだろ。怪我ならセンセイが直してくれるんだから、つまらないことで私の手を煩わせるな! くらいのこと、言ったと思うんだけれど』


 村の洪水を止めることや、近隣に発生した強い魔物を倒すというような村の重大な事件を解決する時も、不機嫌に文句を垂れ、「精々、褒賞を用意するんだな」と偉そうにせせら笑っていたカルメだ。


 いくら大した労力を使わずに済み、かつ、ログと恋人になってからは多少優しくなったとはいえ、村の雑用を頼まれて一つも文句が出ないのが不思議だった。


 チラリと確認すると、カルメはログに「偉いですね」と頭を撫でられ、赤い耳にキスを落とされて狼狽えていた。


 同時に、隠し切れないにやけが口元に浮かんでいる。


『あー、思ったよりもログの影響って大きいのね。褒められたいのに加えて、ログの持っていそうな良心に従って行動しているから。まあ、ログって多分、カルメさんが思うほど皆に優しい人じゃないけど。まあ、いいか。それより、今後はログが近くにいる時に頼みごとをした方が効果的かな?』


 サニーには生まれつき、他人の瞳を覗き込むと、その人の本質や考えていること、その人の心が分かるという、魔法ではない特殊な能力を持っている。


 それに加え、心の機微を察するのが上手く、観察が得意な彼女は、人間関係や他者について不思議に思う点が出てくると、相手の瞳を覗き込んでしまうという癖があった。


 無意識にカルメを見つめて考察していると、再びギッと睨まれた。


「おい、見てんなよ! 私たちは、今日はこれ以上、仕事が無いんだ。だから、サッサと行ってきてやる。分かったら、早く場所だけ教えろ」


 ログには目に見えて甘く弱いカルメだが、それ以外にはそこまで優しくもない。


 加えて、照れている時にログ以外を叱るカルメは怖いので、サニーはビクッと肩を揺らした。


 ちなみにウィリアは能天気で、少々、頭の中にお花が咲いているため、理不尽にカルメに睨まれても全く狼狽えず、むしろ揶揄ったりしている。


 かなり太い肝の持ち主だ。


 サニーが該当箇所を口頭で伝えていくと、カルメとログは揃って頷きながら話を聞いた。


 共に過ごす時間が長いからだろうか。


 どことなく仕草が似ている。


「全部終わったら、一応、私に報告に来てくださいね」


 そう付け加えると、二人は、それなら雑貨屋は最後に回ろうか、などと話し合いながら診療所を後にした。

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