第5話 和解案
「さて、この度は謝罪の機会を設けて頂けたことに改めて感謝致します」
重客を案内するようなオフィス然とした応接室に通された瞬間、星の態度が一変した。
一愛達がソファに座ったのを確認するやいなや、腰を曲げて謝罪したのである。
突然の変わりように一愛は驚くも、こういった大人の対話になれている生粋のお嬢である椿姫、そして色蓮は平然としていた。
「いいえお気になさらず、と、これは先ほども話しましたね。どうぞお掛けになって下さい」
「ありがとうございます。ですがもうすぐ……ああ、来たようです」
星の言葉と同時に、応接室にノックの音が響いた。
そして入ってきた人物に、一愛は思考の全てを奪われる。
「――小暮朝日」
それが誰の言葉だったのか、思考を奪われた一愛には判別が付かない。
真っ白な髪に透き通った素肌。瞳は深紅。アルビノにも段階があり、彼女は軽度なのか病的なほど白くはなく、ただ神秘的な雰囲気を纏うに留まっている。妖精のような見た目なのに詰襟の白軍服という出立が儚げな雰囲気を中和して程よい現実感を生み出していた。
……そう姿形を描くことはできるが、重要なのはそこではない。
恐らく映像越しではわからない。こればっかりは直に会ってみないとわからないだろう。
強者としての威圧感。
ただそれだけが、一愛から言葉を失わせていた。
「……君達が、イレギュラーモンスターを?」
その澄んだ声音により、ようやく時が動き出す。
「だ、団長! まずは謝罪から……っ!」
「……ごめんなさい?」
何とも気の抜ける謝罪である。
というより元から悪いと思ってないのか、小暮はそこにソファがあるからとばかりに当り前のように一愛達の正面に座る。星が慌てて追随し頭を下げなければ謝罪という体を成していないだろう。
小暮は怜悧な瞳で一愛達を一瞥した。
「……星。続きを」
「分かっております。先ずは経緯から説明致しましょう」
そう前置きし、星はなぜ竜之介がギルドの構成員になったのかを話し始めた。
「…………」
説明を聞き終えた後も、一愛の心は特段揺さぶられるようなことは無かった。というよりそこまで竜之介が一愛を恨むとか筋違いにも程があると呆れる思いである。
確かに星が当て馬のように竜之介を勧誘したせいで死んだと言えなくもないが、それは竜之介が嘘を吐いていたのも問題だろう。何が友達で毎日遊ぶ仲である。大ぼら吹きも大概にしてほしい。
それにしたって一愛を加入させる為にそこまでするかとは思うも、まぁそれくらいはするのだろう。実際している以上何も言えないし、精々阿保かと呆れるくらいである。
……それに、ダンジョンに潜ると決めたのはあいつ自身だ。
結局はそこである。
誰に強制されたわけでもない自分の意思で死んだ。それが全てだ。誰が何と言おうとその事実だけは変わらない。
だからもう、これで本当にお終いだ。
「経緯はわかりました。それで、そちらは何を?」
色蓮が一愛の顔色を伺いながらそう言った。
問題無しと判断したのか実利の話を進めるらしい。
「あまりこのようなことは言いたくありませんが、鈴木の性格や企みを知らなかったでは済ませられない程の責任がそちらにはあると思います。こちらも寝込みを襲われるなどの被害が出ておりますし、はいそうですかと帰るわけにもいきません」
「仰る通りです。私共の監督不行き届きが原因であることは疑いようがないでしょう。私共も謝罪だけでは心許ないと考え、手付としてこちらをお納め頂ければ」
そう言って、星がアタッシュケースを三つテーブルに乗せた。
……これ知ってる。現ナマってやつだ。
「お一人に一億ずつ。まずはこちらを」
「……命を狙われたにしては随分と安価ですが、手付としてであれば受け取りましょう」
色蓮が当り前というように3億を受け取った。
既にそれ以上の額を探索者としてやりくりしている一愛であるが、現ナマとなると話は変わってくる。常は探索者証に付随するクレジット機能で買い物をしているので金銭感覚がバグっているのだ。というより収入を得たケツから支出が出るので実感がわかないと言った方が正しい。
こういう場面だと庶民の顔が出てくる一愛と違い、生粋のお嬢は頼りになる。
「それで、他には?」
色蓮の短い言葉に、星はここからが正念場だとばかりに顎を引いた。
……ここからが少し紛糾した。
向こうは大手ギルドであり、即物的なものは資金以外にも数多く有している。しかしそれらを一愛達が欲しがるかといえば微妙な話だった。
普通の探索者であれば喉から手が出るほど欲しいもの……例えば装備、一定レベルまでのキャリー、入団後の手厚い待遇等々を提示されるも、色蓮はこれらを尽く却下。唯一10層までの階層情報だけは受け取っていたが、それだけでは足りないと色蓮は上品にゴネたのだ。
厚かましいと思うなかれ。命を狙われた探索者として至極当然の対応である。
「ではこういうのはどうでしょう。見たところ西園寺様のパーティーはヒーラーがいないとお見受けしました。そこで我々から一時的にヒーラーを派遣させるというのは如何でしょう。3層より下はヒーラーの存在が非常に重要だと言われておりますので、一考の余地はあるかと」
「そうですね……」
これには色蓮も少し考える。だが一愛としてはNOである。
当然、色蓮もすぐに首を振った。
「いえ、やはり不要です。恒久的にメンバーとならないのであれば、背中は預けられませんので」
「裏切られることを考えていらっしゃる、と?」
「そこまで失礼なことは考えていませんよ。ただ、不和の種は不要なだけです」
失礼というより辛辣だが、それはいいのか。
ともあれ、色蓮の言っていることは正しい。派遣ということはギルドから給料が出るということであり、一愛や椿姫といった正規メンバーと扱いが変わる。色蓮の持つアイテムボックスに生死に関わるポーション類の使用すら考慮する必要があるのだ。
それら全てをギルドが賄いこちらのアイテムは不使用でようやく一考の余地であり、それでも最後は不要と切るのが正しいだろう。
一愛達と一緒に潜るのは組織ではない。人間である。貧乏くじを引かされたヒーラーがどういった行動に出るのかあまりにも不明瞭だ。
星が溜息を誤魔化すように唸った。
「……困りましたね。それではこちらが出せるものがもうありません。しかし是非にも和解して頂けなければ本当に困ることになる。残りは貸しということになりませんか」
「なりません」
色蓮が短く切って捨てた。
その瞬間、一愛を一瞬だけ見たのを見逃さない。
……こいつ、もしかして俺の為に?
元幼馴染の死というショッキングな事件に関わるのを長引かせないよう、色蓮が気遣ってこの場で終わらせようとしている。そのことに気付かないほど一愛は鈍感ではなかった。
貸しというのは無いようでいてかなりでかい。相手が組織であれば猶更である。色蓮はその機会をフイにしてまで一愛の心情を優先している。
……なんというか、有難いようでいて気恥ずかしい。
正直、その気持ちはかなり嬉しかった。
「……10層」
不意に、声が響いた。
湖に石を投げ入れて波紋を揺らすが如く、静かなのに確かな存在感を持った声で小暮が言う。
「……10層までの“私が持つ特別な情報”は?」
「……そちらは是非欲しいですね」
特別な情報。
十中八九10層までの【実績】解放条件のことだろう。ギルド内でも秘密なのか同席している星はポカンとしている。
やはりというか何というか、小暮は【実績】解放者らしい。大手ギルドを束ねることができるだけの実力はある、というよりだからこそ大手ギルドを束ねられると言った方が正しいか。
その言葉を引き出したかったのか、色蓮はうっすらと口元に笑みを浮かべる。
「謝礼として頂けるのであれば正直助かりますね。2層、3層から段階的に情報が高騰しておりましたので」
「……協会は一般人から高レベルを生み出したくない」
「分かっておりますよ。ですがそれも一部の者だけです。今はまだ、身の危険に及ぶほどのことでもないでしょう」
「……ん」
分かっているならいいとばかりに、小暮はお茶請けのクッキーに手を伸ばした。
途中から同席しているだけとなった星、そして一愛達は話の流れに付いていけず顔を見合わせる。言葉を挟んでいいのか分からず空気を読むばかりであった。
だがそこは流石大人というべきか、星は「こほん」と咳払いをして、
「あの、つまりどういうことでしょう?」
「……小暮様が持つ情報と引き換えに和解致しました。簡潔に述べればそれだけかと」
「な、なんと! 本当ですか!?」
顔を喜色にして笑顔を浮かべる星に、色蓮は素っ気なく返事をする。
そこからはトントン拍子に話が進んだ。
これで和解完了。あと腐れ無し。
予め用意されていたそういった書類に色蓮が押印し、一愛達は応接室を後にしようして。
小暮がソファに座ったまま、世間話のような気軽な声を上げた。
「……後3ヵ月もすれば10層の攻略に掛かれる。それに参加して」
「突然何を言うかと思えば……」
色蓮が足を止め、呆れたように息を吐いた。
「何を仰っているのかよくわかりません。私達は2層の攻略を終えたばかりですよ」
「……3ヵ月で10層まで、来れない?」
……恐らく他意は無いのだろう。小暮の仕草と口調からもそれが分かる。
だが聞くものの大半は挑発と受け取るその言葉に、色蓮が僅かに口元を歪ませた。
色蓮は気を落ち着かせるように深く息を吐く。
「仮に3ヵ月で10層まで到達したとしても、他のパーティーと共同で攻略などしません。それでは経験値も分散されますしステータスの伸びも良くならないでしょう。貴方もそれくらいご存知のはずでは?」
「……嘘」
――スッ、と。
小暮が真っすぐに色蓮の瞳を捉えた。
「……君のお父さんも10層は他と共同で攻略した」
「――」
「……君がそれを知らないはずがない。だって君は、」
「奴の事をそれ以上口に出せば敵対します」
……濃密な殺気。
仲間である筈の一愛ですら鳥肌が立つような殺気が色蓮から発せられた。
普段はおちゃらけてぶっ飛んだ思考を持つ部分があるも、実は一愛達パーティーの中で最も冷静であり、最も視野の広い色蓮が。
あろうことか、絶対に敵対してはならない上位者がいるこの場で殺気を滾らせた。
なぜ、とは思う。敵対未満ゴネ得以上のギリギリラインを狙っていた色蓮がなぜ、と。
だがその疑問以上に、色蓮がこれほど負の感情をむき出しにして怒っている所など一愛は今まで一度も見たことがないのだ。
そのことに、一愛は驚きよりも心配が勝った。
「いろはす」「色蓮」
椿姫と同時に言葉が被り、同時に二人で色蓮の背を支えた。
「帰るぞ」「帰りましょう」
またもや椿姫と言葉が被る。
どうやら心配な気持ちは同じらしく、椿姫が色蓮と一愛に微笑んだ。
「誠に申し訳ございません。私達のパーティーリーダーは疲れておりますので、こちらで失礼させて頂きます。よろしいでしょうか」
疑問形ですらない有無を言わさぬ言葉。その証拠に椿姫は返事を待たずにさっさと扉を開いて部屋を出て行った。後ろに一愛も続いていく。
「……仲、悪いの? そう……」
去り際、残念そうな小暮の声だけが部屋に響いていた。
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