第21話 一の試練③


【ネメアの獅子】。

 母はエキドナ、父はテューポーン。ネメアの谷に住み着き家畜や人を襲う動物の王。

 死後はゼウスによって空に上げられ、獅子座の元になった伝説上の存在である。

 ヘラクレスの十二の試練において、最初の功業はネメアの獅子の毛皮を持ち帰ることだった。

 ヘラクレスは矢を撃ち、こん棒で殴りかかるも獅子は全くの無傷。彼は洞窟へと追い込んだネメアの獅子を、最終的に三日三晩締め上げて殺したという。

 ……と、ギリシャ神話に詳しい椿姫から今更のように説明を受けた。


 巨体の獅子が通った後は獣道よりもハッキリと分かる。おまけに血が滴れ落ちていたお陰で簡単に居場所を特定できた。

 ヒュギーヌスとセレーネ―がネメアの獅子を育てた洞窟。そこに奴はいる。


「……」

 

 獅子が逃げ帰った洞窟に踏み入り、ひたすらに血の跡を追っていく。

 洞窟の中は広く、高い。これなら色蓮が大弓を射ることも、一愛が特大武器を振り回すこともできるだろう。ネメアの獅子がねぐらにしている洞窟なのでさもありなんと言った所か。

椿姫が言うには入口が二つあるらしく、風通しが良いのかあまりジメジメとした空気は流れていない。とはいえ山を掘ったような洞窟には変わりなく、内部は常に暗闇である。薄明りすら灯されておらず、色蓮が持っている軍用ライトが3人分無ければ歩くことすらままならなかっただろう。

 その場合、獅子が外に出てくるまで待機することになる。一体どれほどの長丁場になったのか想像もしたくない。


「似ているな。ヘラクレスの伝説と、今の状況は」


 長くて暗い洞窟を歩き続け、緊張状態を維持し続ける。

 その状態に少し疲れが出てきたのか、椿姫と色蓮が気分転換のように答えた。


「はい。洞窟に追い込んだ所までそっくりだと思います」

「でも何から何まで同じじゃないっスよ。ウチの弓は大して効きませんでしたが、先輩の攻撃は結構効いてましたし。ネメアの獅子は伝説からかなり弱体しているのでしょう」


 それに、と色蓮が椿姫に笑いかける。


「ウチらには姫がいます。ネメアの獅子は弓、打撃耐性が伝説になぞらえて高いのでしょうが、斬撃耐性はさほどでもないようで。これはウチらにとって非常に有利な点です」

「そうだな。さっきの一撃も凄かったし、頼りにしてる」

「はい、お任せ下さい!」


 椿姫がふんすと鼻息を荒くした。

 やる気があるのは結構だが、気負いすぎないようにしてほしい。

 互いにフォローして敵を倒す。パーティーとはそういうものだろうから。


「……血の臭いがする」


 不意に漂う血の臭いに、一愛の足が止まる。

 異常を察したのか、色蓮と椿姫が同時に息をのんだ。


「……先輩、においとかに敏感な人っスか」

「いや考えたこともないけど。なんで?」

「いえ、ウチと姫は特に何も感じないので。隠しステータスの存在も噂されてますし、気になって」

「隠しステータスね。あるんじゃないか、俺のこれがそうとは限らないけど。それより気を付けろ」


 一愛の言葉に、色蓮と椿姫が無言で頷いた。

 先頭を歩く一愛が血の臭いを辿って追う。一愛自身そこまで嗅覚が鋭い方だとは思わなかったが、色蓮と椿姫は特に何かを感じた様子はなさそうだ。

 隠しステータスというものが噂されている。探索者の中には常人よりはるかに五感、六感に優れている人がいるという。一愛もレベルが上がってそれらが上がったのかもしれない。

 隠しステータスの有無はどうでもいいことが、それで獅子の居場所が割れるなら有難い。


「止まれ」

「……ぅっ」


 一愛の軍用ライトが血肉を照らし出す。腐臭の原因であろう。

 家畜……もしくは人だったものの残骸。ダンジョンから産み出されたモンスターの固有戦域の中とは思えない。まるで本当に人が生き、そして獅子に喰われたようではないか。

 

「こ、これは、本当に生きていた人……なんスか?」

「わからない。案外、ヘラクレスの試練を受けた別の探索者、かもな」

「うぇ」


 色蓮が吐き気を抑えるように涙目で口元を覆う。

 実際ない話ではない。イレギュラーモンスターはダンジョンを渡り歩く。アレキサンドリア大将が倒した際も、実に国籍豊かな遺品が持ち帰られたらしい。その中には、日本人のも。

 

「……冥福をお祈りしましょう」


 椿姫が亡骸に祈りを捧げた。


「慣れてるのか、こういうの」

「……年に一度くらいは」


 椿姫が苦笑する。聞きにくいことを聞いたと、一愛はバツが悪そうに目を逸らした。

 ヤクザな商売、慣れていても不思議ではない。椿姫がこういうのに耐性があるのは想定内だが、色蓮が駄目だとは意外である。色蓮は口元を抑えたまま、一愛の袖を握って震えていた。


 ……こいつ、俺に向かって吐かないよな?


 別の意味で心配になった一愛だが、すぐに気を取り直す。椿姫に声を掛けようとして異変に気付いた。

 ……におい、音、空気の流れ? いや――全部だ!


「――――離れろ!」

「きゃっ⁉」


 色蓮を突き飛ばし、きょとんと顔を上げた椿姫をグレートクラブで遠くまで弾く。多少荒っぽい形になったが、結果的にはこれで良かった。

 ……間一髪。

 椿姫が立っていた場所に、獅子が頭上から鋭い爪を振りかざして着地する。


「グルォァァアアアアア!」


 尻尾で亡骸を粉々にし、雄叫びを上げた。


「不意打ちかよ。椿姫にやられた傷が相当こたえたみたいだな」

 

 一愛は余裕の笑みを浮かべながらも、内心では冷や汗を流した。

 動物の王たるネメアの獅子が、不意打ちをしてでも椿姫を優先的に殺そうとした。危険度が抜群に高くないとプライドの高そうな獅子がしなさそうな行動である。

 ……これは、本格的にまずい。

 椿姫は一愛ほど防御が高くない。掠っただけで致命傷になってもおかしくないのだ。


「大丈夫です、一愛様。この程度想定していた内の一つです」


 椿姫は刀を杖に見立てて立ち上がる。


「というより、私は今の一撃の方が効いたのですが。もっと優しくできませんでしたか?」

「無理だ。距離も威力もあれ以外方法がなかった」

「そうですか。ではこのお犬が悪いということで」


 お犬て。一応ネコ科では?

 椿姫は一愛のあきれ顔も余所に、いっそ流麗ともいえる動作で抜刀の構えをとった。


「きていいですよ。私が怖いのでしょう?」

「ルォア!」


 獅子が挑発に乗り、巨体に見合わぬ速度で椿姫を切り裂きに掛かった。

 早い。この一撃は一愛では避け切れない。まして一愛よりステータスが低い椿姫の敏捷では……!


「――【スタンス】」


 火花が散った。

 刀の柄で獅子の爪を弾き返す。スキルの効果に記載された最後の一文、ジャストタイミングによる確定パリィ。それを椿姫はこの土壇場で成功させた。

 確かに通常のスタンスではステータスが足らなくて獅子の攻撃を弾けないだろう。だからといって針の糸を通すような技を戦闘中に行う奴がどれだけいるだろうか。一歩間違えればそのまま頭を裂かれて終わりである。

 凄まじい度胸に、集中力。ブレイブというスキルを得ただけではない。椿姫は異常なほど肝っ玉が据わるようになっていた。


「【居合一閃】!」


 柄で弾き、返す刀で敵を切る。

 まるで演舞のような美しい流れで、椿姫は獅子の鼻面を浅く切った。


「……なるほど。脇が甘い一撃ではそれほど有効打にはならないようで。伝説に謳われるだけはありますね」


「頭蓋を開くつもりだったのですが」、と椿姫が残念そうに顔を歪める。

 

「十分過ぎるっての!」


 十分過ぎる。獅子を引き付けて一撃を入れる。十分過ぎる働きだ。

 だがこれ以上は危険だ。そう何度もパリィできるとは思えない。ミスった瞬間命を失うような綱渡りの戦闘など続けるものではないだろう。

 それに、


 ……年下の女の子にばっか戦わせてたら、俺の立つ瀬がないだろ!


「【サークルスィング】!」

「グルォァァア⁉」


 挨拶代わりの一発は、獅子の切れかかった前脚に直撃した。

 ミシッ、と骨が軋み肉の裂ける音がする。外皮は硬いが内部はそうでもないようで、一度切れたら案外脆いようだ。

 一愛はグレートクラブを振り抜いて、獅子の前脚を完全に切断した。


「【影縫い】!」


 色蓮がここぞとばかりに獅子の動きを止める。獅子は跳躍の態勢で固まったまま動けない。


「今だ椿姫!」


 ――連打連撃の嵐。

 一愛の体重を乗せた一撃。椿姫の腰の入った一太刀。

 どちらも身動きの取れない獅子に猛威を振るい、獅子自慢の毛皮をあっという間に血で染める。このまま決める、と言葉を交わさずとも椿姫と意思を共有したような感覚になった。

 椿姫が刀を鞘に納める。

 一愛が腰だめにグレートクラブを構える。


「――退いてください!」


 絹を裂くような色蓮の絶叫に、一愛と椿姫は少しの逡巡も見せずにバックステップ。

 だが、少し遅かった。


「【グルォァァアアアアアア】!!」

「きゃぁあああ⁉」


 洞窟を震わす大音声。

 一愛を死の際まで追い込んだ獅子の咆哮が、直近の一愛と椿姫に衝撃を与えた。


「クソ! またかよ!」


 悪態をつくも、事実は変わらない。

 一愛は再びの状態異常に歯がみする。10秒のスタンだ。

 今度は椿姫の助けを期待できそうにない。防御が一愛の半分にも満たない椿姫は、咆哮の衝撃によって強く壁に打ち付けられている。普通の大人と変わらない防御力なのだ。恐らく骨の一本や二本、臓器の一つや二つはイカレているだろう。


 ……ここまできて終わって堪るかよ!


 動けない一愛を真っ先に喰い殺そうと獅子が迫る。せめて死の際まで睨みつけてやろうと一愛は目を開いた。

 だが、その覚悟は意外な結果で不発に終わった。


「ギャォォォオアアアア⁉」


 一愛の髪を数本掠める形で飛来した弓矢。

 引き絞られ、極限まで研ぎ澄まされた一射。

 ヘラクレスが放った剛力の矢とも違う、正確無比な一射が獅子の左目を真っすぐ射貫いた。


「二度も先輩を殺されかけては堪りませんよ」


 色蓮が舌打ちでもしそうな声で弓に矢を番えた。

 第二射。

 今度は右目を射貫く軌道だったが、獅子は僅かに頭を逸らして外皮で受ける。今度こそ色蓮が舌打ちした。


「すまん、助かる。もう大丈夫だ!」

「気を付けて下さい。一愛先輩が倒れたらこの戦いはウチらの負けっスよ!」


 叫び、色蓮が椿姫に駆け寄っていく。自力ではポーションも飲めないほどの重症なようだ。

 獅子は射貫かれた左目の激痛を抑えようと頭を洞窟の地面、壁にぶつけている。痛みで真面な思考ができない狂人の如き動きだ。

 加えて、千切れた前脚から血がボタボタと垂れている。やがて痛みも落ち着いたのか一愛を真っすぐに睨むも、隻眼では威圧の効果も半減だ。

 絵に描いたような満身創痍。まさに手負いの獣。


 ……かなり苦しめられたが、これで終わりだ。


 一愛がグレートクラブを腰だめに構える。獅子には最早避ける脚も力もないように思われた。

 だが、最後の最後……手負いの獣を甘くみたということだろう。


「ギャォォォォオオオオオオオオオオッ!」

「ッ⁉」


 スキルではない、ただの咆哮。

 だが、その咆哮はこれまでで一番真に迫っていた。


「っぐ⁉」


 大地を抉るほどの衝撃に、一愛の体が宙に浮く。狙ってその隙を作ったのか、それとも単に獣故の本能か。理由はどうあれ、獅子は決定的な好機を見逃すことはしなかった。

 獅子はブレーキなど一切考えていない体当たりで一愛にぶつかり、巨大な顎で右腕に嚙みついた。一瞬で握力が消え去りグレートクラブを手落としてしまう。

 そして抵抗などないかのように、いとも容易く喰い千切られる。


「ッガ、ァアアアアッ!」


 喉を迸る絶叫。神経を焼き切るような痛みに声を抑えられない。【リジェネレーション】で一時的に止血をするも、失った腕が復元するようなことはおきなかった。

 一愛は血走った目で獅子を睨む。だが、獅子は一愛を既に見ていなかった。


 ……狙いは――まずい。


「逃げろッ!」

「――⁉」


 一愛の叫びに色蓮がようやくこちらに気付いた。遅れて椿姫が体を起こす。

 しかしあまりに遅い。獅子はもう避けることはできない距離まで色蓮達に近付いている。


「グルアアア!!」


 弾丸のように後先を考えない突進。

 片脚だけの突撃だろうが、伝説に謳われている【ネメアの獅子】である。生半可な攻撃であるはずがなく、ともすれば谷で一愛を轢いた時より威力が増していると思われた。

 そんな一撃を喰らえば色蓮と椿姫がただで済むとは思えない。


 ……間に合わない!


「――【スタンス】!」


 椿姫がスキルで獅子を弾く。それは先ほども見せた確定のパリィだ。

 しかし突進の勢いまでは完全に殺しきることができず、二人一緒に獅子に撥ね飛ばされた。


「――」


 声にならない声を上げ、色蓮と椿姫が空中を舞う。

 直撃を避けた椿姫と違い、色蓮は獅子の突進を真面に喰らったように見えた。現に受け身をとった椿姫に対し、色蓮は頭から地面に落ちている。


「クソ! 色蓮!」

「せ、せんぱっ……これ、をっ」


 瀕死の重症である色蓮は、駆け寄った一愛にアイテムボックスからアイテムを手渡した。

 アイテム類は戦闘時を除いて色蓮が一括管理している。予備のポーション類も当然そうだ。

 アイテムボックスから出てくるのも上級ポーションだと思っていた一愛だが、なぜか取り出された縄に思考が一旦停止した。


「色蓮、これは」

「あるでしょう……ネメアの獅子の、明確な弱点が、一つ……っ」


 明確な弱点という言葉に、一愛は手渡された縄を見た。

 まさか――いや、それ以外ありえない。

 ……色蓮から渡された縄は、前に一愛が通常ガチャから出した【縊死台のロープ】だった。


「お前、ポーション飲むより先にこれかよ!」

「ふ、ふふ。隻腕でもできる、攻撃っス、よ……」


「それに、もう中級ポーションしかありません……」、と色蓮が掠れた声で告げた。

 中級ポーションしか残っていない……事実上の戦闘不能宣言。

 今にも死にそうな色蓮と椿姫だが、中級ポーションさえあれば命だけは永らえられる。逆にいえばその程度しか回復しない。致命傷から重症になる程度である。

 その程度の回復では、もう戦闘を続けることは叶わないだろう。


「……待ってろ。すぐに決着をつける」

「ええ。先輩の腕も、治さないとっス、ね……」


 色蓮が中級ポーションを飲む前に、一愛は戦線に復帰した。

 突進の勢い、そしてパリィによって弾かれた勢いも増して、獅子は洞窟の壁に頭の半ばまで突っ込んでいた。今はもうその状態から脱しているが、ダメージまでは抜け切ることが出来ないのだろう。 


「……」


 獅子は息も絶え絶え、壁に突撃した自傷から全身で血を噴いていた。一愛と椿姫が加えた傷口からもとめどなく血が流れ続け、失った片脚を横たえさせている。もう片方の脚も地面を掴む力が大してないのか、小刻みに震えては偶にふらりとよろけていた。


「……今度こそ。今度こそだ」


 言うが早いか、一愛は獅子の首に飛び掛かる。頭に乗っかり、縄を掛けた。

 ぐるりと首を一巡した縄に危機感を感じたのか、獅子が最後の力を持って暴れる。


「やっぱな。お前は最後まで暴れるタイプだよ」


 俺と同じだ、という言葉を一愛は心の中で呟いた。


「ヘラクレスは三日三晩締め上げたんだったか。俺かお前、どっちが先に尽きるか力比べだ」


 一愛が全身で縄を締め上げる。それでも足りないと縄を歯で噛み勢いの足しにし、千切れようと構わないとばかりに縄を腕に巻きつける。

 獅子の首の上での攻防。締め上げられる最中も獅子は暴れ続ける。一愛は決して振り落とされように靴を脱ぎ、足の指の力で毛皮を掴んだ。

 互いに瀕死。いや、瀕死だからこそ最後の力比べは実現した。


「オ、オ、オオオオオオオッ!」

「グルルルルァアアアッ!」


 泥臭く、地味。

 まるで両者一歩も動かない綱引きのような力比べ。

 一愛と獅子の全身が赤く染まる。限界まで力を込めている証であり、死んで堪るかという執念の象徴。最早意地と言っても良い感情が一愛の中に芽生える。


 ……勝ちたい。勝ちたい。勝ちたいっ!


「――勝つ!」

「ルォア⁉」


 ――拮抗が崩れた。


「オオオオオオオオオオオオオオッ‼」


 一瞬の気の緩みを見逃さず、一愛が一息に縄を引き絞った。

 獅子が慌てて力を込めるも、肉に食い込んだ縄はもう元には戻らない。


 ……終わりだ、【ネメアの獅子】!


 5分……10分。

 何分経ったか分からない時間、一愛は全身全霊で縄を締め上げ。


 そして――獅子が霞みのように消え去った。


『イレギュラーモンスター【ヘラクレス】、一の試練を突破しました。実績を解除しました。300エクストラダンジョンポイントを贈呈します』

『イレギュラーモンスター【ヘラクレス】、一の試練を突破しました。全スキル及び魔法の階級を昇格します』

『イレギュラーモンスター【ヘラクレス】、一の試練を突破しました。適合したスキルを贈呈します』


「――しゃあああああああああああっ!」


 一愛が勝鬨を上げ、ガッツポーズを取りながら地面に落ちる。

 凄まじい達成感。大の字に寝転がりながら天に向かって腕を突き上げた。

 

「ぐっ」


 そこで片腕がなかったことを思い出し、痛みに呻くも興奮は冷めやらない。

 勝った。ようやく勝った。途轍もない強敵だった。


 ……突破したんだ。イレギュラーモンスターの試練を。


 そうして喜びを噛みしめている最中、洞窟の暗闇が突然淡い青色の光に包まれる。

 ……いや、戻ってきた。一階層に。

 ヘラクレスの気配は感じない。どうやら色蓮の予想通り、試練はこれで打ち止めらしい。

 涙が浮かぶほどの喜びと、ようやく訪れた安堵に一愛が大きく息を吐いた。


「先輩、やりましたね」

「一愛様!」


 中級ポーションを飲んで多少は回復した色蓮と椿姫が、一愛を抱き起こそうと二人して肩を貸してくれた。

 しかし抱き起こすこと叶わず、三人一緒に仲良く転ぶ。


「ふ、ふふ」

「ははは」


 何とも締まらない。だが、何となく一愛達らしい気がした。


「そ、そうです、戦利品!」


 一愛に覆いかぶさる形で倒れた色蓮が、顔を赤くして気を取り直すように言った。

 尻に対して胸はそこまででもないのだから、そう恥ずかしがる必要はないだろ、と余裕の出てきた一愛がかなりどうでもいいことを考える。


「あー、そうだな。戦利品か。でもガチャはまた今度」

「あ! 戦利品といえば、私はレベルが上がりましたよ! これでお揃いですね!」

「もう何ですかそのやる気の無さは! あと姫はおめでとう!」


 色蓮がやけくそ気味に叫んだ。自分も立ってるのがやっとの癖によくやるものだ。


「せめて【ネメアの獅子】のドロップアイテムくらいは確認しましょう。ほら、きっと良いの出ますよ」


 色蓮が指さした先には、『エリアボス討伐報酬の宝箱』が鎮座していた。

 ……期待できない。

 箱の造形や大きさもまんまである。これで期待しろというのが無茶なのだ。『プレゼント・ファック』の異名は伊達ではないのである。


「なんですかその顔。いえ分かるっスよ、期待できないと言いたいんスよね? ところがどっこい、イレギュラーモンスターの箱は一味違うんスよ!」

 

 そう言って、色蓮が我先にと宝箱に向かってダッシュする。

 フラフラの癖によくやる奴だと本気で感心するも、そこが色蓮の持ち味だと思い直すことにした。


 ……見てて飽きないしな。


「ほらほら、開けちゃいますよ? ウチだけ戦利品独り占めっスよ?」

「待て、俺も一緒に開ける」

「いろはす。勿論私も一緒に」


 色蓮のノリに付き合うように、椿姫と苦笑を見合わせて近寄る。

 そうして三人で宝箱に手を掛け、互いに頷き合いながら同時に開けた。


「「「おお!」」」


 三人一緒に感嘆の声を上げ、中に入っていた戦利品を我先にと抱きしめる。

 獅子が象られた頑丈そうな金色のマントに、金色をした拳大の魔石。

 売れば高そうな魔石も嬉しいが、装備らしきものが手に入ったのがかなり嬉しい。誰が装備するかは置いておいて、今はただ喜びを噛みしめてもいいだろう。


「やりましたね、先輩。姫」

「ああ、本当に」

「私も、ダンジョンに入って良かった」


 椿姫の言葉に、色蓮が若干涙を浮かべる。

 その気持ちは分からなくもない。特に色蓮はその気持ちも一入だろう。

 だが一愛達のパーティーリーダーは、気丈にも涙を拭って満面の笑みを浮かべた。


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