第20話 一の試練②


【ネメアの獅子】。ちょっと大きいライオン。

 色蓮がそう評した獅子は、一愛達を認識すると滝の上から跳躍する。浅く水が流れる川を派手に粉砕しながら着水した。

 体高は約3m。全長は約5m。全身が金色の毛並に覆われた美しくも恐ろしい獅子であった。

 その眼光は一切の慈悲もなく、ただ目の前の獲物を喰らうのみと主張している。低い唸り声を鳴らして一愛達に警告した。テリトリーに入ったものは殺す、と。

 獅子は丸太のように太い首をもたげ、王者の風格を漂わせながら一愛達を睥睨する。

 

「……おい。どこがちょっと大きいライオンだ」

「うーん。どうやら遠近感がバグっていたようで。目測を誤りましたね」


 色蓮はてへっ、と舌を出した。

 ……ちょっと可愛いの腹立つな。


「まぁあれだけ遠ければ見誤ることもあるか。アーチャーとしてどうなんだと思わなくもないけど」

「お? ウチとレスバする気っスか? いいでしょう、受けて立ちましょうとも!」

「いや待て降参だ。お前と口喧嘩して勝てる未来が見えない」

 

 一愛は苦笑しながらグレートクラブを担ぎ、構えた。

 余裕からの雑談? そんな訳がない。

 こうして虚勢を張る必要があるから張っただけ。そうしなければ、きっとみっともないことになる。

 

 ……相手は動物。ただのライオン。そうだろ!


 一愛は浅く呼気を吐き、腰だめに構えたグレートクラブに力を入れると、

 

「【サークルスィング】ッ!」


 恐怖を振り払う目的で、まずは初っ端から全力全開。

 しかし不意打ち気味の一撃は、巨体に見合わぬ速度で跳躍により回避される。

 獅子は一愛の頭上から落下に合わせて鋭い爪を繰り出した。


「チッ!」


 舌打ちし、転がるようにして回避。

 転がりつつも態勢を整え、グレートクラブを引き摺りながら川の水と共に振り上げる。

 水飛沫が軽い目くらましになったのか、今度は獅子の前脚に命中した。

 だが殆ど効いていない。水の抵抗もあって完璧な一撃では無かったせいか、一愛の攻撃は獅子の前脚を軽くよろめかせるだけに終わる。あれは人間であれば友人に軽く小突かれた程度にしか効いていないだろう。

 獅子は返す刀のように木の幹のような前脚でグレートクラブを弾くと、凄まじい瞬発力で一愛の全身を喰らいにいった。

 一愛は巨大な顎に嚙み殺されないようバックステップをし、一旦獅子から距離を取る。

 一瞬の攻防。その間隙を見逃さず、色蓮の矢が獅子の胴体に命中した。

 ……当然のように弾かれる。


「硬すぎるだろ。矢くらい通れよ」


 色蓮の攻撃など何の脅威にもならないと獅子は行動で語っていた。なにせ回避行動も防御態勢も取っていないのに身動ぎ一つせず弾いたのだ。獅子は体の強靭さに相当な自信とそれだけの実績があることを意味している。

 一愛が呆れて愚痴をこぼすのも仕方ないだろう。


「ネメアの獅子はヘラクレスの弓すら貫通しません。恐らく伝説になぞらえて弓矢に対する強い耐性を持っているのでしょう。ぶっちゃけこの試練は一愛先輩が頼りっス。ウチはあくまでサポート程度に考えて下さい!」


 そう叫び、色蓮は一愛達の視界から消える。ロングボウでの一撃が本当に効かないのを確かめた後、流れるように大弓での支援に切り替えたのだ。この広い戦域を有効利用し狙撃に徹するつもりである。

 その判断は素晴らしいが、こうなってくるともっと連携の練習をしておけば良かったと後悔する。意思疎通が取れない距離まで離れられると色蓮の判断が全てとなる。流石に練度の低い現状でそこまで身は任せられない。

 椿姫のレベル上げ中にも練度を上げる機会はあったはずだ。完全な怠慢である。


 ……いや、今からでも遅くはない。


 この死合で、実戦レベルまで練度を引き上げればいい。


「さて、どうするか」


 獅子は一愛を警戒し、低い唸り声を上げながらゆっくりと歩いている。視線は一愛に固定。消えた色蓮は脅威とみなしていないのか完全に無視である。それは狙い通りでありがたい。


 ……状況は極めて悪いな。

 

 先ほどの攻防は互角に見えた。が、見えただけだ。

 一愛は全力攻撃でダメージが入る可能性がある程度。色蓮は大弓を持ち出せば可能性はあるが、それもまだ未知数で期待薄。獅子の動き自体は動物のそれであるが、速度も威力も段違いである。一撃喰らえばそれだけで致命傷、当たり所が悪ければ当然の帰結として死ぬだろう。

 巨体は鈍い、というのは幻想だ。挙動の一つ一つが縦にも横にも長いのだから速くて当たり前である。それにこの獅子は深い谷から一息に降りたのだ。猫のように身軽ならともかく、この巨体でそれは体のバネや体幹の強靭さが群を抜いている。

 これが意味するところは、敵の攻撃は一度も受けずに回避し続け、か細い攻撃で倒さなければならないということだ。

 ゲームであれば確実に負けイベントである。


 ならばどうするか。勝ち筋が見えるまで様子見? いや、やはり……、


「突撃しかないな」


 勝ち筋が見えるまでゴリ圧しだ。

 一愛の殺気を感じ取ったのか、獅子が前脚を振り上げて圧し潰そうと迫ってくる。

 あくまで牽制の一撃。大して力が入っていないそれを、一愛はグレートクラブで迎撃した。


「ラァッ!」


 まさか弾き返されるとは思わなかったのか、獅子が咆哮を上げて一歩退いた。

 その隙を見逃す色蓮ではない。

 

「グルォッ⁉」


 色蓮の大弓の一撃が、獅子の横面に直撃する。

 貫通はしていない。矢が力なく中折れ、川に埋没する。

 弱体化していたとはいえ、ヘラクレスの肉体すら貫通した色蓮の一撃が弾かれる。その事実に少なくない戦慄を覚えるも、一愛はグレートクラブを高く振り上げた。


「衝撃までは殺しきれてないようだな!」


 一直線の振り下ろし。

 一愛の渾身の一撃は、獅子から鼻血を噴出させた。


「グルォアアアアアアッ!」


 獅子は怒りの雄たけびを上げ、跳躍。

 深い谷という広大な戦域を、獅子が縦横無尽に駆け回る。まるで跳弾し続ける銃弾のような動きに、一愛は目で追うのがやっとである。一愛の近くを獅子が通るだけで風圧に体がよろけた。


 ……クソ、速すぎる!


 いや、速すぎるだけではない。


「――ッ!」


 体当たり。それは最も単純な攻撃。

 しかし全長5mの巨体にして1トンを越える質量を持った獣が時速100㎞以上で人間に当たるとどうなるか。例えれば高速道路でトラックに轢かれるようなものである。

 答えは……言うまでもない。


「【リジェネレーション】――っ⁉」


 ドンッ!


 獅子に轢かれる瞬間、咄嗟に治癒魔法を唱えなければ死んでいた。

 一愛は体で水を切りながら撥ね飛ばされる最中、必死に意識を繋ぎ止める。凄まじい衝撃と慣性に従い、無理に受け身を取ろうとしなかったのが幸いした。

 川を越えて太い木の幹にぶつかり、ようやく一愛の体が止まる。

 ……瀕死の重症。


「先輩!」


 色蓮が血相を変えて叫び草木をかき分けて一愛に近付くと、項垂れる一愛を横たえさせる。

 指一本動かせない一愛の代わりに上級ポーションを取り出し、瓶の中身を一愛の口元に注いだ。


 ……ああ、飲めない振りすれば口移しとかしてくれたかも。


 上級ポーションの効果がすぐに現れたようだ。下らない思考をする余裕も出てくる。

 一愛は喉に残った血を吐くと、グレートクラブを杖にしてすぐに立ち上がった。


「すまん助かった。奴は⁉」

「まだ走ってます。それよりいけますか?」

「いくしかないだろ!」


 獅子は一愛を轢いた勢いそのままに疾駆を続行している。まさに究極のヒットアンドアウェイ。このままでは獅子の動きを止められないまま轢かれ殺されて終わる。

 だが指を咥えて殺られるわけにはいかない。

 一愛は再び戦場に戻ろうと体に力を入れ――迫る威圧にゾッとした。

 

 ……ここにくる!


「【影縫い】!」


 神業が放たれた。

 獅子が一愛達に突撃してくる瞬間、色蓮がスキルを放って動きを止める。

 竜之介達の動きを止めた時にも証明したが、色蓮の【影縫い】は物体の慣性までは殺さない。

 その場から動けないのに“止まる”。つまり――自滅だ。


「――ルォオオオ⁉」


 獅子が初めて絶叫を上げ体のあちこちから血を噴出し、砂埃を大きく撒き散らして転んだ。

 高速で動き回る獅子の動きに合わせてその影を大弓で狙い撃つ。字面だけ見ても神業である。獅子の狙いは分かっており、影の大きさも相当であることを考慮してもだ。どれだけの技術と集中が必要なのか想像も付かない。

 一愛はその神業に見惚れるも、呆けている場合ではないと獅子に躍りかかった。


 ……今が最大のチャンスだ!


「【サークルスィング】!」

「グァッ!」


 巨体が揺らぐほどの殴打。

 一愛が出せる最大の火力を誇るスキルに、獅子は一瞬ぐるんと瞳を回転させる。

 脳を揺さぶられた衝撃に意識を落としかけた事を察し、これで終いだと一愛が再度構え、


「サークルスィン、」

「【グルォァァアアアアアアアア】ッ!!」


 ――獅子が吠えた。

 ただの咆哮ではない。木々をなぎ倒し、色蓮が放った【影縫い】を地面ごと吹き飛ばす衝撃波が放たれる。

 

「きゃっ⁉」


 獅子の何らかのスキルだと思われる攻撃に色蓮が巻き込まれた。

 至近距離で喰らった一愛も相当な威力を受けたが、そこは防御力の違いがモロに出る。空中で何とか身を捩り着地した一愛に対し、色蓮はそのまま地面に投げ出された。

 

「色蓮! 無理せず退避しろ!」

「い、いえ、この程度問題ないっスよ!」


 体を強く打ったのか、色蓮がよろけながらも何とか立ち上がろうとする。

 

「それより先輩の方こそ大丈夫っスか。今の『恐怖』と『威圧』の状態異常が含まれてたっスよ」

「……ああ、耐性持ちだからな」


 とはいえそれですぐに動けるほどダンジョンの状態異常は甘くない。

 ヘラクレスの時に動けたのはそれが【状態異常】ではないからだ。いわばヘラクレスに対する恐怖はただの“普通”の恐怖であり、探索者のスキルはそういった人間としての精神面にも作用する。

 だが【状態異常】は違う。それはステータスに作用する立派なデバフ。気合や根性でどうにかなるものでは決してないのだ。

 

 ……駄目だ、動けないっ! クソ、いつまで続くんだよ!


 恐怖は【力】【敏捷】【防御】をマイナス20パーセント。

 威圧は20秒のスタン。

 耐性持ちはこれらの効果を半分にする。


 ……たった10秒のスタンが、今は永遠のように長い。


「グルォァァアアアアア!」


 全てがスローに見える。

 獅子が大きく前脚を振りかぶり、その鋭い爪で一愛の命を断ち切ろうとしている。

 回避不能。防御不能。

 色蓮が一愛の異常に気付いたようだが、大弓での迎撃も間に合いそうにない。

 諦める。諦めたくない。

 ここで終わるわけにはいかないと、力をふり絞るも体が言うことを聞かなかった。


 ……ここまでかっ。


「――――【居合一閃】ッ!」


 美しい斬撃が横合いから放たれ、獅子の前脚から鮮血が舞った。


「――」


 椿姫の放った一太刀が獅子の右前脚を半ばまで切り裂く。

 そのお陰で攻撃が逸れ、一愛のすぐ横に鋭い爪の斬撃が振り下ろされた。

 

 ……10秒、動ける!


「【サークルスィング】!」

「グルアアアアッ⁉」


 諦めなかった故の即時行動、最大のスキル攻撃。

 刀で前脚を半ばまで切られ、再び巨体ごと脳を揺さぶられた獅子は悶絶する。

 獅子は射殺すように一愛達を睨むと、前脚を引き摺りながら森の奥へと逃げていった。


「ッ待て!」


 窮地からの最大のチャンス。ここで逃す手はない。

 だが体の疲労と傷の残りが思ったよりも深いのか、一愛は片膝をついて口惜しくも見逃した。


 ……クソ、あと少しだったのに。


 まぁいい。回復はさせてしまうがそれはこちらとしても同じである。それに短時間で切創まで癒えるわけがない。状況はこちらに好転している。

 それより、


「……椿姫。大丈夫なのか」


 一愛を窮地から救った椿姫に気遣わし気に声を掛けた。

 土壇場で駆け付けてくれた事には感謝するも、それはそれ、これはこれである。椿姫が今も戦いが怖いと、恐怖をおして無茶をしているならすぐに退避させるべきだと考える。

 とはいえ実際はそこまで心配しているわけではない。

 さっきの一撃はあまりにも洗練されていた。とても先ほどまで泣いていた少女が放った攻撃とは思えない。太刀筋、威力、タイミング、全てが完璧でなければ獅子の硬すぎる外皮は切断できないはずだからだ。

 だから、椿姫はきっと大丈夫。


「一愛様」

 

 一愛の懸念を吹き飛ばすように椿姫は背筋をピンと伸ばし、


「私は戦えますよ。先ほどもそう言ったと思います」


 にっこりと、そう告げた。


「……」


 ……あれ、怒ってる?


「どうしました一愛様。年下の女の子相手にそのように引き攣ったお顔をされて。私は戦えると申しただけですよ。何もよくも私を除け者にしたなとか、私がいなければ死んでましたよねとか、そのようなことを言ったわけではないのですよ? ああいえ、今言ったことは全て客観的な事実で、私が思ったわけではないのでお気になさらないでください」

「……いや、あの、口調」


 前までより殊更丁寧なのが余計怖い。

 ……これ絶対怒ってるだろ……。


「と、冗談はここまでにしておきます」


 そう言って、椿姫は雰囲気を和らげる。


「心配をお掛けしました。私はもう大丈夫です、一愛様」


 椿姫は顔を綻ばせ、片膝を付く一愛の手を握った。


「今なら分かります。あの時の私がどれほど無茶なことをしようとしていたのか。獅子の咆哮を間近で受け、肌で感じたのです。一愛様のお陰で私は命を落とさずに済んだのだと」

「獅子の咆哮を間近で……そうか」

「はい。新しいスキルが生まれました」


 椿姫はステータスを表示させ、一愛に手渡した。


【スキル】 スタンス(SP1/sec)10等級D 

      居合一閃(SP3)10等級E

      ブレイブ(パッシブ)10等級C NEW


 ブレイブ:精神に起因する全ての状態異常を無効。


 椿姫の新しいスキルを見て、一愛は驚きに目を瞠った。


「この土壇場でこのスキル……凄いな」

「はい。レベルも上がってないのに現状で最も必要なスキルが生まれたのは凄く運が良かったと思います」

「そうじゃない」


 一愛は椿姫の言葉を否定した。


「スキルってのはレベルが上がらなくても生えるもの、と言われてる。実際俺も生えたしな。けどそれには経験、そして物凄く強い想いが無いと芽生えないんだ。だから凄いのは椿姫、お前だよ」

「い、一愛様っ」


 椿姫の頬が紅潮した。手を握る椿姫の力が一層増した気がする。

 ……あれ、なんだこの空気。


「あの、ウチを忘れてラブコメしないでもらえます?」

「――いろはす!」


 椿姫は一愛の手をぱっと離すと、今生の別れとなった親友と再会したかのように駆けだした。


 ……まぁこの程度の扱いなのは分かってたけど。


 一愛は嘆息し、感動の再会を微笑ましい思いで眺め――パンッ、と椿姫が色蓮に平手打ちした。


「うぇ⁉ ちょ、姫っ」


 色蓮もびっくり。一愛もびっくり。椿姫以外がみんなびっくりである。


「これでさっきの一発はチャラです。いいですよね」

「えぇ……先輩にはお礼を言ったのにウチにはこれぇ……?」

「一愛様といろはすじゃ立場が違います!」


「友達と年上!」と椿姫がよくわからない価値観を持ち出した。

 しかしそれで納得したのか色蓮が苦笑する。


「そっか、そうだね。ごめん」

「いいえ、こちらこそ。助けられたのは分かっています」

「ありがとう姫。じゃあ一緒に戦ってくれる?」


 色蓮の真剣な眼差しに、椿姫は凛として答えた。


「当然です。むしろ今度置いてったらこの程度では済みませんよ」

 

 確固とした戦いへの決意。

 スキルが芽生えるほどの強い想いからくる感情に、色蓮と一愛も戦いへの意気を強くした。

 

 ……これで三人揃ったな。


 色蓮をリーダーとした一愛達のパーティー。これで現時点での完成形である。

 三人での初戦がとんだイレギュラーで始まってしまったが、それも勝てばいつかは笑い話にすることができる。そして一愛は絶対に笑い話にしてやるつもりだ。

 つまり、絶対に勝つ。

 


「行こう。獅子退治だ」


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