第19話 一の試練①


招かれざる化物イレギュラーモンスター


 極、極々稀にダンジョンに現れる奴らは各階層のエリアボスに受肉し自由気ままに殺戮を行う。直近に確認された個体は【不思議の国のアリス】。探索者第一位であるアレキサンドリア大将のパーティーリーダーを屠った個体である。

 確認された個体は20に満たないが実際はもっと多くのイレギュラーモンスターが存在すると言われていた。

 情報が少ない理由は偏に一つ。出会えば“死”であるからだ。

 其の別名は【死を齎すもの】。

 イレギュラーモンスター自体が災禍の如き存在であるにも関わらず、奴らは必ずと言ってもいいほど特殊な能力を持っている。その最たるものにして最も有名なのが“空間の隔絶”である。

 ダンジョンの中でありダンジョンの中ではない。どことも知れない幽世に囚われた哀れな探索者は、緊急脱出用のマジックアイテムが使えない事に必ず絶望する。使えないのも道理である。ダンジョンから脱出するアイテムはダンジョン以外では意味をなさない。

 故に、出会えば“必死”。


「……」


 一愛は悠々と、泰然自若に歩く大男を仰ぎ見る。

 身の丈は2m超。背中に矢筒と大弓を背負い、片手で特大剣を無造作に持つ。脚の太さが一愛の胴体よりも太い屈強で強靭な体は外気に晒され、雑な腰布だけが急所を隠していた。

 精悍で、雄々しい。獅子を思わせる赤い鬣のような髪が印象的で、瞳は碧眼。強さの内に意外にも優しさを内包している。

 大男は地鳴りのようなよく通る低い声で、


「オレは【ヘラクレス】。十二の試練を越えし民の英雄、半神半人のヘラクレスだ」

 

 そうイレギュラーモンスター――ヘラクレスは名乗った。

 その名乗りに一愛達は少なくない衝撃と絶望を受ける。特に椿姫の憔悴が酷い。

 ヘラクレスというギリシャ神話の大英雄があまりにも有名だから、というのもあるだろう。

 一般的な知名度とイレギュラーモンスターの強さは比例するとも言われている。真偽は定かではないがヘラクレスが弱い筈がない。その名前には、名前だけで畏怖が宿っている。本当に強さが比例するのであればこれほど強いイレギュラーモンスターは類を見ない。それだけで絶望するには十分過ぎる。

 なにより“未確認”であることが大きい。

 それ即ち、過去にヘラクレスと出会って生き延びた探索者がいないということの証明なのだから。


「少年達よ。名乗れ」

「……」


 怖い。

 睨まれている訳ではない。むしろ優しさを思わせる瞳は人によっては安心感さえ覚えるだろう。その大きな背中を前にすれば全てを任せたくなり、丸太のような腕に抱かれれば安堵から眠りにつく。そう思わせるだけのカリスマが目の前のモンスターにはあった。

 だが怖いのだ。気付いてしまったのだ。

 先ほどから感じる心胆を寒からしめる殺気は、この男から常に発せられていることに。

 そしてそれは、意識せずともただ漏れ出ているだけの殺気に過ぎないことに。


「……俺は、一愛」


 だが退けない。

 退けば死ぬ。退かずとも恐らく死ぬ。

 事ここに至れば一愛達がイレギュラーモンスターに遭遇したことは疑いようがない。生還する道は目の前のヘラクレスを倒すことのみ。それが土台無理な話であることは戦わずとも理解できる。つまりもう一愛達は死ぬしかない。

 

「性は二ツ橋。名は一愛。一つの愛と書いて、一愛だ」


 それでも、その恐怖を圧してでも聞きたいことが一愛にはあった。


「一つ聞きたい、ヘラクレス。お前の左手に持っているその“三つの塊”、それはなんだ」

「ほぉ、これが気になるか」


 意外そうにヘラクレスが目を細め、熊のように大きな左手を掲げては無造作に放った。

 それは、その三つの塊は、人の生首だった。

 そして、そして……見覚えのある顔を……していた。

 

「……ひっ」


 後ろで椿姫が小さく悲鳴を上げる。無理もない。

 生首はどれも涙で顔が濡れている。口を開き舌がだらんと伸びていた。苦痛によるものか、恐怖によるものか。願わくばせめて後者であってくれと思わずにはいられない。


 ……竜之介。お前何やってんだよ……っ。


「こ奴らはオレが受肉した際に近くにいてな。悪の臭いを嗅ぎ取った故、標的でないがついでに刈ったのよ。オレの問いに素直に答えた少年、一愛よ。お主の友人か?」

「友達じゃねーよ。気に入らない奴だった。俺を殺すかそれに近いことをしようとした奴だしな」

「ではなぜ震えている。なぜ涙を流す」


 震えている。そう、一愛は震え、泣いている。

 恐怖? 違う。確かに死ぬほど怖い。目の前に立っているだけで同じ目に遭いそうで目が霞む。気を抜けば足腰が使いものにならなくなると分かっている。明確な死が間近にあるのに恐怖しない人間などいやしない。

 だが、これは、この震えは、決して恐怖を由来としたものではない。

 そう、この震えは、間違いなく、


「――お前に対して、怒っているから震えてるんだッ!」


 乾坤一擲。

 足元の地面が抉れるほどの速度で前進した一愛は、勢いを利用した最大最速の一撃を叩き込む。スキルを使用しない攻撃であるにも関わらず、その振り下ろしはグレートクラブを受け止めたヘラクレスごと地面に沈ませる威力を誇っていた。

 

「……分からんな。友人ではない悪の為に怒り、涙を流すとは。理解できない感情だ」

「理解できなくて結構! 確かにこいつは悪だろうよ、それも小心者の子悪党だろうよ! だがな、それでも死んでいいとまでは思ってねーんだよ! それくらいの情は俺にも残ってたんだよ!」


 ヘラクレスの左腕がグレートクラブを押し返す。片腕だけで軽々と。

 力比べでは完全に負けていた。


「だから俺くらいは、幼馴染だった俺くらいは怒ってやるんだよ! 泣いてやるんだよ! そして、お前を殺して仇を討ってやるんだよッ!」

「――は。ハハハハハハハハハッ!」


 一愛の心からの叫びにヘラクレスが破顔した。

 楽しそうに哄笑を上げ野性味溢れる顔で歯をむき出しにして笑う。


「良い。良いぞ一愛! オレを前にしても怯えぬ胆力、啖呵を切る度胸も良い、それも本心からだ! まこと正しき英傑の相よ! 詰まらぬ出会いと枯れていた過去のオレを恥じよう!」

 

 ヘラクレスは大音声でそう叫び、


「武器の扱いがなっておらん!」


 グレートクラブを押し返すのを止め、一気に引いた。

 勢いよく前につんのめった一愛にヘラクレスは頭突きを喰らわせ、特大剣を持つ右拳で重戦車のような一撃を叩きこんだ。

 咄嗟に受け身を取るもまともに喰らい、一愛はサッカーボールのように派手に飛ぶ。


「っが、り、【リジェネレーション】ッ!」


 生きているのが不思議な重体の中、一愛は治癒魔法を使って体を癒す。

 追撃に警戒してヘラクレスを見れば一愛を殴った左腕から矢が生えていた。


「……ほぉ」


 ヘラクレスは矢が生えた自らの腕を眺め感心したように息を吐いた。

 視線の先には色蓮が特大弓を構え、第二射を放とうと弦を番えている。

 ……恐らく色蓮の一撃が無ければ一愛はもうこの世にいない。


「お主か小娘。やるな。最初からオレを射貫こうと狙っていたようだが、最も効果的な瞬間を的確に突くとは。しかも浅い階層での受肉とはいえ、オレの肉体を貫く剛力。賞賛に値する」


「だが」とヘラクレスは背中の大弓を抜き放ち、


「真の剛力とはこういうのだ!」


 大弓とは思えない速度で矢を放つ。音速を越えた音がした。

 ヘラクレスが放った矢は色蓮の腋を抜け背後の大岩に直撃する。それでも尚止まらずに大岩を粉々に粉砕し、ダンジョンの壁に破壊の渦を残して突き刺さった。

 空気を切り裂く静寂。

 圧倒的な破壊の象徴。

 格の差、という単語が脳裏を過る。


「――お、オォオオオオオッ!」


 だが諦めるわけにはいかない。


「先輩! さっきと同じ動きでは通じません! 無茶苦茶でもいいのでスキルを使って何とか隙を!」

「ああ! 援護は任せた!」

「ハハ、ハハハ、ハハハハハハハッ!」


 ヘラクレスが大声で笑い、右手の特大剣を地面に突き刺した。

 たったそれだけで広範囲に衝撃がまき散らされる。今まさに突撃していた一愛の足が止まった。


「――気に入った! オレはお主らを気に入ったぞ、一愛よ!」

「……なんだとっ」

「オレの一撃を喰らい、オレの力を肌で感じ、それでも尚諦めなかった者は過去にいない。お主らはオレが認める強者である! よくぞオレに武勇を示した! 英傑である証をその身に宿す者達よ!」


 ……こいつは何を言っている。

 戦闘を中断してまで告げられた称賛に、一愛達は警戒を強くする。

 ヘラクレスは歯を見せて豪快に笑い、告げた。


「故に、選別だ! お主らにはオレの試練を受ける権利がある! 見事生き延びて見せるがいい!」


 瞬間、視界が暗転した。

 その刹那、確かにヘラクレスの声が聞こえた気がする。


 ――【一の試練】……と。





 

 意識を取り戻した時、一愛達は深い谷の中心に揃って立っていた。

 典型的なV字谷。目の前には轟音を鳴らす大きな滝壺。耳を澄ませば鳥の羽ばたく音に木々のざわめき、小動物が草木を搔き分ける音も聞こえてきた。

 中天には燦々と輝く太陽。雲一つない青空である。


「……ここは」

「どうやらヘラクレスの【固有戦域】のようっスね。脳筋の見た目してる癖にこういう絡め手もできるとは。さすがはポピュラーな大英雄といった所っスか」


 色蓮が舌打ちでもしそうな勢いで皮肉混じりに賞賛した。

 ……【固有戦域】。

 それはイレギュラーモンスターが持つ特殊な能力の一つである。

 自身に有利なフィールドに強制的に引き摺り込む力。アレキサンドリア大将が打倒した【不思議の国のアリス】は典型的なこのタイプであり、大抵はアリスのような実戦能力の無い存在が謎かけ染みた罠を張って探索者を殺す為の舞台装置として用いるとも言われている。

 決してヘラクレスのようなバリバリの武闘派が使用する力ではないはずなのだが……。


「しかしこれはある意味チャンスでもあります」

「チャンスか。俺もそう思う」


 ヘラクレスは【一の試練】と言った。一ということは二、三が続くという意味でもある。ヘラクレスの十二の試練はあまりに有名で、では十二まであると思われるが、そうはならないという確信にも似た思いを一愛は抱いていた。

 なぜなら、


「奴は尋常ではなく弱体しています。一愛先輩が殴られて“その程度”で済んでいることがその証拠です。ウチの矢も通りましたし、伝説通り十二の試練を続ける力はまず無いと言っていいでしょう」

「同感だ。だがどこまで続くと思う」

「ウチの予想では、これで終わりです」


 キッパリと色蓮は言い切った。


「というよりウチ達に試練を続ける余力はありません。これで最後という意識を以て死力を尽くし、それでようやく突破できるかと言った所でしょうか。それでも無理な可能性の方がはるかに高いっスけど」

「賭けに出るってことか」

「賭けではありません。元よりイレギュラーモンスターと遭遇した時点で死んだも同然なんスよ。なら初っ端の試練如き、突破してから死にたいでしょう」

「はっ。いいなそれ。奴が悔しがる顔が見れるかもしれない」


「むしろ喜びそうっスけど」と色蓮は笑った。


「雑談してる時間が惜しいです。まずはSPMPの回復、あとは先輩も上級ポーションを使って傷を完全に癒して下さい。これがヘラクレスの一の試練なら、すぐに……姫?」


 これまで身動ぎ一つせずにずっと黙っていた椿姫がその場に蹲った。

 

「……ご、ごめんなさいっ」

「姫、どうして謝るの。姫が謝ることなんか一つも、」

「――わ、私! こ、怖くて、何も、できませんでした……っ」

 

 そう椿姫は自責の念が溢れ出たような泣き声を漏らす。


「い、一愛様といろはすが死ぬ覚悟で戦っている時に、わ、わたし、わたしは、このままで、このまま二人が勝ってくれればって、そんな最低なことを思ってっ」

「姫……」


 色蓮が蹲る椿姫の背を慈しむように撫でる。

 椿姫のその告白に一愛は雷が落ちたような衝撃を受けた。


 ……当たり前だ。


 椿姫はレベル2。色蓮と一愛はレベル3である。一つのレベル差が生死を分けるダンジョンにおいてこの差は明確な優劣となる。特に1階層という低階層ではそれが顕著だ。三人がかりで襲ってきたレベル2の竜之介達を楽々と撃退できたことからもそれが分かる。

 それに色蓮と一愛は恐怖、威圧耐性のスキルを持っている。特に色蓮は“無効”持ちだ。普通の……そう、普通の女子中学生が恐怖で何もできなくても、責められる謂れは一切、絶対にない。

 そのことに一愛は今更のように思い至った。


「椿姫、怖いなら隠れていろ。俺は絶対にお前を責めない」

「い、いちかさまっ」


 涙で目元が赤く腫れた椿姫に、一愛は目線を合わせて見つめる。


「大丈夫だ。この試練は俺と色蓮できっと突破できる。そしたら無事に帰って、ゆっくりお前のレベルを上げればいい。戻ってから頑張ればいいんだ」

「いちか様、わ、私は、私もっ」

「いいんだ。むしろ悪かった、こんなことに巻き込んで」


 椿姫の頬を流れる涙を指で拭う。

 許しを乞うように頭を垂れていた椿姫がそれでもと立ち上がろうとした。


「私も、私も二人のように戦いたいんですっ! 二人の仲間だと、胸を張って言えるように、私もっ!」


 椿姫は恐怖で足が竦み、満足に立ち上がれないながらも戦おうとしていた。

 気持ちは嬉しい。一緒に戦ってくれたらどれだけ心強いだろうか。

 だがやはりこの状態の椿姫を戦わせるわけにはいかない。


「……姫。本当にごめんね」

いろはす――ぅ」


 色蓮が椿姫の鳩尾を強く打ち、その意識を刈り取った。

 くたりと意識の無い人形のように重力に従って椿姫の体が倒れる。

 ……考えることは同じか。


「先輩、姫は隠します。それでいいっスよね」

「当然だ」


 色蓮が椿姫を横抱きに抱え、深い谷の端の端の端に体を横たえさせる。草木に岩で何重にも椿姫を覆い隠し、絶対に見つけられないよう臭い消しの人工魔道具まで振りまいた。

 これでも絶対に安全とは言えない。何せ敵はイレギュラーモンスターである。


「すみませんでした、先輩。ウチの我儘に付き合わせて、戦力を減らしてしまって」

「なにが。椿姫の事を言っているならお門違いにも程があるぞ。さっき言ったことは嘘じゃない。椿姫にはこれから頑張ってもらえばいい。ここで無理をする必要はどこにもないんだ」

「……ここ、結構無理をする必要がある場面だと思うっスよ」

「はは。違いないな。でも気持ちは変わらないよ」


 それに、と一愛は続けた。


「俺とお前なら試練を突破できると本気で思っているし、絶対にそうする。二人で十分なのに椿姫まで駆り出す必要はないだろうよ」

「……先輩、さっきから恰好付け過ぎじゃないっスか。普通の思春期の少女なら絶対落ちてますよ」

「お前は普通じゃないから大丈夫だな」

「いやウチじゃなくて……なんでもありません」

「なんだよ。言いたいことがあるならハッキリ言え」

「女に背中を刺されそうだと言ったんスよ」

「ひでーなおい」


 一愛は笑い、上級ポーションを一息に呷った。

 リジェネレーションでは回復しきれなかった傷が癒えるのを感じる。ついでに体力と疲弊した精神に気力が満ちていく。さすがは一本二千万もする高級品である。

 

「第一の試練、内容はなんだと思う」

「ヘラクレスが成した一番最初の功業で、しかも戦域が深い谷となれば予想は付いています。ウチもギリシャ神話に詳しいわけではないのでうろ覚えなのが残念極まりますけど。先輩は詳しいっスか?」

「俺が知ってるわけないだろ」

「わけないんスか。まぁヘラクレス自体は誰もが知ってる大英雄ですが、十二の試練の内容までは興味を持って調べないと知る機会はないっスからね。一愛先輩が知らなくても仕方ありません」


 なぜか“先輩”の部分を強調されたが一愛は軽くスルーする。

 確かに【固有戦域】内は元になった伝説をどれだけ知っているかで生死を分ける場合があるが、知らないものは知らないのだ。なのでそんな蔑むような目をしないでほしい。

 

「脳筋なヘラクレスは試練の大半を筋肉で解決します。なので伝説を知らない脳筋、失礼、一愛先輩でも十分対処は可能でしょう。先輩にも分かりやすく言えば、今回は現れる敵を倒せば終わりっスよ。ウチの予想では」

「……なぁ怒ってる?」

「怒ってませんよ、いえ真面目に。ちょっと、ウチ的に情けなさを強調してバランスを取る必要があったので。本当に先輩は見た目にそぐわぬ脳筋スね!」


 そこまで言う……?


「ともかく、気を引き締めましょう」


 色蓮は「ふぅ」と気を整え、バチン! と自らの頬を強く張った。


「深い森のV字谷。一の試練。そこから導き出される敵の正体は――ああ。来たようですよ」


 色蓮が彼方に視線を向ける。一愛も釣られて追随した。

 瀑布のような水が落ちる滝の上。そこからそいつは一愛達を見下ろしていた。


 其れは全身が金色に光っていた。

 其れは四足歩行の獣であった。

 其れは天を衝くように逆立つ鬣を誇っていた。

 其れは――王者の如き獅子であった。


「【ネメアの獅子】。見ての通り、ちょっと大きいライオンです」



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