人形巫女と星の神様

神野咲音

第1話 初めてのお見合い

「結婚相手が君でも、そうでなくても、僕にとってはどうでもいいんだよ。だって僕以外の人間は、すべて平等に無価値なんだから」


「………………うん?」



 お見合いの場でこんなことを言われた女性は、後にも先にも、この斎宮さいみや芽依めいだけなのではないだろうか。

 芽依は見合い相手の顔をまじまじと見つめたが、彼は涼しげに微笑むだけだった。







 ホテルのロビーラウンジは、静かな喧騒に満ちていた。声を上げて騒ぐような人間はここにいない。はっきりとは聞き取れない声の波が、耳朶を撫でていくようだ。


 芽依たち斎宮家はロビーの長椅子に並んで腰かけ、見合い相手を待っていた。


 石の壁も床も顔が映りそうなくらいに磨き上げられ、ロビーの中央に活けられた花は人と同じくらいの高さがある。どこもかしこも煌びやかで、行き交う人々でさえ輝いて見えた。


 芽依は居心地の悪さから、薄桃色のワンピースの裾を軽く引っ張った。細い黒のリボンタイがクラシカルで可愛らしいのだが、どうしても中身と釣り合っていないように思えて仕方がない。


 母の盟子めいこは、今日の見合いのために随分と気合を入れていた。ワンピースも靴もジュエリーも、知らない間に用意されていた。お陰で形の合わない靴は、小指が擦れて少し痛い。


 出掛ける準備をしているときだって、普段は芽依の髪形など見てもいないのに、「こんな地味な髪形、セットしにくくて困るわ」と文句が飛び出すほどだ。肩の辺りでまっすぐ切り揃えた黒髪は、大きなゴールドのバレッタで飾り付けられた。何かの宝石がついているらしい。


 そして、見合い相手と待ち合わせをしている今は、自分の化粧チェックに余念がない。手鏡から視線を外さないまま、盟子は芽依に向かってぴしゃりと言った。



「芽依、もっとシャンとしてちょうだい。お見合いなのよ。みっともない姿勢はやめて」



 芽依は反射的に背中を伸ばした。


 そんなやり取りをしている横で、手鏡ではなくスマホを見ているのは、父の彰斗あきとだ。恐らく仕事の連絡か何かだろうと思うが、芽依はその詳細をほとんど知らない。


 家にいないことが多い父とは、あまり会話をしない。大学を出てすぐに訪問介護の事業を立ち上げて、今では複数の事務所を経営しているとは聞いた。知っているのはその程度だ。


 それぞれの手元ばかり見ている両親の代わりに、芽依はホテルの入り口を見つめた。


 ちょうど、入って来たばかりの三人家族が見えた。


 服装も雰囲気も、それから周囲を見渡す仕草も、芽依たちとは比べ物にならないくらい上品だ。


 両親に挟まれて歩く男の子が、こちらに気付いて目を瞬かせた。隣にいる父親の腕をつついて、こちらを示している。



「あら、いらっしゃったみたいよ」



 母は声を弾ませたが、父の方は名残惜しそうな様子でスマホを仕舞った。


 芽依は、母に背中を押されるがまま立ち上がった。



「こんにちは、斎宮さん」



 見合い相手の男の子は、芽依を見てにこっと笑った。


 彼のことは、知っていた。この見合いが決まる前から。



「……都々理くん」



 都々理つづり瀬央せお。同じ高校の、クラスメートだ。







「ごめんなさい、この子ったら。朝から緊張してるみたいで。本日はよろしくお願いいたします。母の斎宮盟子です」



 何を言えばいいか分からず、芽依が黙りこくっていると、母が前のめりで愛想笑いを振りまいた。



「いいえ、構いませんよ。お人形みたいでとても可愛らしいお嬢さんですね」



 都々理夫人は芽依に微笑みかけてくれる。



「芽依さん、だったわね。今日はありがとう。でも、本当によろしいの? うちの瀬央は、あまり結婚向きの性格ではなくて。駄目だと思ったら、断ってくださっても構わないのよ」


「それこそお気になさらないでください。あの都々理家とご縁があるなんて、光栄なことですもの」



 芽依が返事をする前に、盟子が間に割って入る。都々理夫人がそちらに向き直った。



「長く続く名家だとお聞きしていますわ。不動産業における重鎮で、あらゆる方面に顔が利くのだとか……」



 都々理夫人は曖昧に頷き、助け舟を出すように夫の都々理氏が口を開いた。



「そんな大層なものではありませんよ。先代たちの努力が実り、我々はその恩恵を受けているにすぎませんから」


「伝統を受け継いでいらっしゃるのですから、素晴らしいことですわ」



 盟子の言葉が途切れたのを見計らって、都々理氏は父に声をかける。



「こういった場では、若者だけにするのが定石でしょう。我々はつまらないビジネスの話でもするとしましょうか。もう一つ、席を予約してあります」


「そうですね。それがいい。芽依、二人で話していなさい」



 父の彰斗は意気揚々と頷き、近くのスタッフを呼んだ。


 瀬央が芽依の前まで歩いてきて、優雅な仕草で手を差し出す。



「僕たちは向こうだね。行こうか、斎宮さん」



 ちらりと母を見ると急かすように頷かれた。



「……うん」



 瀬央の手を取ると、一番日当たりの良い窓際の席までエスコートされた。両親たち四人は、少し離れた六人掛けの席に案内されたようだ。


 母の姿を視線で追いかけていると、向かいに座った瀬央が小さく笑った。



「そんなに緊張しなくても。クラスメートでしょ」


「……」



 どう答えればいいのだろう。確かに瀬央は同級生だが、用が無ければ話さない程度には疎遠だ。


 結局芽依は、母に言われていた通りのセリフを告げた。



「今日は、お見合いを受けてくれてありがとうございます」


「はは、どうして敬語なの? まあいいけど」



 水を一口飲んで、瀬央はすらりと足を組んだ。そんな仕草でさえ嫌味に見えないのは、彼の顔がすこぶる良いからだろうか。



「お見合いなんて、今時あると思わなかったから驚いた。君のお母さん、熱意が凄かったって聞いたよ。よっぽど君のことが大切なのかな」



 思わず俯いてしまった。膝の上で指先を擦り合わせる。


 今回の見合いは、すべて母が一人で整えたものだ。知らされたのは昨日の夜。相手の名前もその時に聞いた。父は特に口を挟まなかったが、都々理家との繋がりは仕事上有利に働くから、拒否する理由も無かったのだろう。


 芽依のためではない。母の憧れと見栄、それから父の仕事のため。



「……お見合いだし、一応聞いておくよ。斎宮さんは僕でいいの? クラスメートとはいえ、特に親しいわけでもないし。君が僕を指名したんじゃないんだったら、この話は無かったことにしてもいいんだよ」



 恐らく瀬央は、善意でそう提案してくれているのだろう。だが、芽依にそれを決める権利はないのだ。



「私は……、大丈夫」


「そう? なら、いいんだけど」



 それきり会話は途切れて、気まずい沈黙が降りた。


 見合いというのは、何を話せばいいものなんだろうか。相手が多少なりとも親しい相手なら、それなりに会話を繋ぐこともできるのだろうが。


 沈黙に耐えかね、テーブルに置かれていた水のグラスを両手で持ち上げる。結露したグラス表面の水滴が、手のひらを伝ってワンピースに落ちた。



(汚したら、お母さんに怒られるかも……)



 グラスを置き、バッグからハンカチを出してスカートを拭く。


 それを見た瀬央が小さく笑った。



「几帳面だね、斎宮さん」


「別に……」


「ずぼらな人よりはいいと思うよ」



 瀬央の言葉は、どこか他人事のようだった。穏やかな微笑みの奥に、冷めた瞳が座っている。


 少しだけ意外だった。


 彼は芽依と違って、誰とでも親しくできるクラスの人気者だ。いつも笑みを絶やさず、誰にでも手を差し伸べる。「平等で、優しい」。皆が彼のことを、そう評する。


 友人もいない芽依にとっては、正面から話しかけてくれる数少ない人だった。彼だけは、芽依に向かって笑いかけてくれた。



「……都々理くんは、」



 そんな人でも、結婚を前提にすれば平等ではいられないのだろう。瀬央にとって、都々理家にとって、斎宮芽依という人間が利になるかどうか。恋愛を介さない見合いならば、重視されるのはそこだ。



「私でいいの……?」



 芽依を求めてくれる人などいない。そんなことは重々承知だ。


 だって、ここに座っているのは芽依でなくていい。代わりに人形が座っていたとしても、誰も困らない。


 母は見合いがしたいだけ。父はビジネスが上手くいけばそれでいい。


 そのための道具で、身代わり。


 だからきっと、瀬央にとっても。



「うーん……。勘違いしないで欲しいんだけどね」



 瀬央は顎に指の背を添えて、首を傾げた。



「結婚相手が君でも、そうでなくても、僕にとってはどうでもいいんだよ。だって僕以外の人間は、すべて平等に無価値なんだから」


「………………うん?」



 聞き返してしまった。


 悲観的に傾いていた気分が、一瞬で吹き飛んだ気がする。



(いつも優しくて、誰にでも平等な都々理くん。……のはず)



 少なくとも、遠くから見ている彼はそうだった。


 瀬央の整った顔に、にっこりと甘い笑みが広がる。いつも学校で見ているのと同じ、優しい笑顔。



「だって、そうだろう? 僕にとって、一番大切なのは僕自身だよ。それ以外は全部、有象無象だ」



 とてつもない極論だ。


 芽依はポカンと瀬央を見返した。



「それは……、そうかも、だけど」


「だからね、僕からすれば君も、君の両親も、同じくらい無価値なんだよ」



 とてつもない、極論、だけれど。



(私も、お母さんたちも。……同じくらいに、無価値)



 その言葉は、芽依の凪いだ心にすとんと落ちて、小さく波を立てた。


 小さい波は、いくつも生まれては広がり、芽依の心を揺らす。小さく、優しく、けれど、確かに。



「そっか」



 瀬央の目には、芽依も母も、同じような有象無象としか映らないのだ。


 人形扱いされるよりも、ずっと気が楽だった。



「……僕はこんな性格だから、さっき母さんが言った通り、結婚には向いてない。それでも気にしない?」



 芽依は瀬央の顔を見返して、そして、離れた席にいる両親を見た。


 都々理氏と熱心に話し込んでいる芽依の父は、家では見たことがないほど輝いた顔をしている。一方母は、ちらちらとこちらのことを気にしていた。


 芽依は姿勢を正して、瀬央に向き直った。



「気にしない。私は構わないよ」


「じゃあ、そういうことで」



 差し出された手を握ると、予想に反してほんのりと暖かかった。



「よろしくね」


「よろしくお願いします」

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