2.

 部屋を見渡す。

 ソファ、ローテーブル、本棚――家具にはたしかに見覚えがあるが、いつもと違う場所に置かれていて、まるで高辻の部屋には見えなかった。壁には新しい絵画がかけられ、カーテンも変わっている。部屋を間違えたのだろうか。――いや、そんなはずはない。この部屋を、何度も訪れたこの部屋を、間違えるはずがなかった。

 しばらくして、ユウキが冷たい紅茶を持ってソファに戻ってきた。グラスは新しい。


「まず言っておくけどなぁ、俺はただ、組織に言われてここに住んでるだけだからな。部屋が空いたから、ここに住めってよ。高辻の部屋だったってーのは一言も聞いてない。ここ、あいつの部屋だったのかよ」

 圭介は頷いた。

「くそ、どうりで趣味が悪いわけだ。」

「……高辻はどこ。どこに引っ越したの」

「いない」

 部屋にピリリと電流のようなものが流れた気がした。


「死んだ。聞いてねぇんだな」


 圭介の中で時間がパタリと止まる。手足も、息も、心臓も、身体中すべてが氷漬けになったように感じられた。

 ユウキはしばらくこちらの様子をうかがい見ていたが、圭介が何の返事もできる状況でないことを悟ると、頭の後ろをワシワシと搔きながら続きを語りはじめた。


「外で野垂れ死んでた。一週間前だ。すぐに組織が回収したから、ニュースにもなってないのかもな。

 俺もその回収を手伝ったが、見る限りは喧嘩でやりあった訳じゃなさそうだった。

 ただ、静かにそこに横になっていた。

 兄貴が言うには、血がなくなったから死んだ、ってことらしい。

 お前も聞いてるだろうけど、俺たちの血は特別なんだよ。一度流れると回復しない。少しの怪我でも、何度も繰り返すと命に関わる。高辻は、それを知りながら血で薬を作り続けていたらしい。馬鹿なやつだ」

「……回復しない?」

 そんなことを高辻から聞いた覚えはなかった。高辻は自らすすんで血を抜き、薬を作って売り捌いていたはずだ。それを圭介に持たせたこともあるし、父親には致死量を渡していた。

 それが命を削る行為だったとは、一言も言わなかった。


「聞いてなかったのか?みんな知ってんぞ。兄貴たちなんかはさぁ、いつかこういう日が来るんだと思ってたってよ。

 あいつは組に入って長いらしいけどな、ずっと厭世的で、死にたがりだった。隠れて血を抜いて薬を作っていたのも周りにはバレてた。だから怪我の少ない仕事にしてやったのに、自分で自分をどんどん傷つける。いつか死ぬだろうって、みんなそう言ってた。思ったよりも長かったって」

「……うそ。だって高辻、薬は良い金になるって。親父を殺すのにも使ったって、」

「殺した?まじかよ、」

 ユウキは顔をしかめると、グラスから紅茶を飲んだ。

「じゃ完全にそれが原因だな。相手が死ぬ量の血を抜いたんだろ。まぁ一度っきりなら死なねーかもしんねーけどな。あいつ、何度目だよ。なあ、お前の親父はいつ死んだんだ」

「一週間前、」

「ビンゴじゃん。親父さんを殺した直後に高辻も死んだってことだろ。間違いなくそれがとどめだったな。まぁ、それぐらいの覚悟はあったんだろ。」

「……自分が死ぬってわかってて、殺したってこと?」

 ユウキは面倒くさそうに「そうじゃねぇか」と言った。

「まぁ心中みたいなもんだろ。」


 あの日、父を殺して家の外に出たあと、一人であの寂れた住宅街をさまよう高辻の姿が目に浮かぶ。

 あのとき彼は、自分がもうすぐ死ぬとわかっていた。

 死に場所を求めて彷徨っていた。

 どこで?


「……どこで、死んでたの。」

「お前の学校のそばだよ。俺がお前を呼び出した廃工場だ。覚えてるだろ」


 それはたしかに、ユウキに呼び出された場所であり、そしてまた、毎週木曜日の夕暮れ、高辻と待ち合わせていた場所だった。

 高辻はいつもそこで待っていた。黒いスーツを着て、気だるげに、だが確かに自分のことを待っていた。

 その姿を思い起こした瞬間、大粒の涙が圭介の眼からこぼれ落ちた。


「な、なんだよ、」

 ユウキは困ったような顔でしばらくこちらを見ていたが、さすがに良心が痛んだのか、無言で圭介の背を、やや不慣れな手付きで撫でてくれた。


 結局日が暮れるまで、ユウキの部屋で泣き続けていた。ユウキは悪態をつきながらもデリバリーで食事の手配をしてくれた。胃もたれするような中華料理だったが、温かいものは力のない体にはよくしみた。泣くか食べるかどっちかにしろ、そう言われながら圭介は結局両方する他なかった。


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