9.

「……早かったな。もう少し暗くなってからだと思っていたが、」

「……まだ帰ってなかったの、」

 朝、父をこの家に送り届けてからずっと、ここに居たのだろうか。

「ああ、……約束があった、」

「約束?」

 高辻が、布団の上に目をやった。

 父はそこで仰向けになって眠っていた。だが、ぴくりともしない。半開きになった口は、乾いているように見えた。

 投げ出された腕に触れる。


 その瞬間、父の身に何があったのか理解した。


「……何を、」

 お前は何をしたのか。

 すべての言葉は出てこなかったが、高辻には理解ができたようだった。


「……言っただろう。約束を果たしに来たんだ。お前の親父さんを殺しに来たんだよ。」


 高辻が、父を殺した?

 そんなはずはない。


「嘘、」

「ほんとうさ。私の血は人間の身体によく作用する。致死量があると前にも言ったはずだ。」

「だって、」

 理由がなかった。父が死ぬ理由が。

 あるいは高辻が自ら手を下す理由が。


「一方的に殺したわけじゃない。私はちゃんと聞いたよ。病室で、親父さんの望みを。彼は悔いていた。そばにいるだけでお前に迷惑をかけてしまう。死んだほうがお前のためになるとね。私もそう思った。だからそうした。

 圭介、言っただろう。誰かのそばにいるようには作られていない人間もいるんだ。」

 圭介の背筋に、冷たい汗が流れる。

 父は、居なくなればいいと思ってるんだろう、そうやって責めるように何度も圭介にこぼしていた。その問に〈そうだ〉と答えたことなど一度もなかった。そして〈違う〉とも言わなかった。


「私も、彼も、同じだ。誰かのそばにいるように作られていない。そのくせ、誰かがそばにいてほしい――生きるのには向いていないんだ。私達の意見は寸分違わなかった。圭介のそばにいるべきではない。私たちがいる限り、お前は道を踏み外し続ける。」

 高辻はそこまで言うと、静かに息を吸い、

「分かっていた、」

 何かを確認するようにそう呟いた。

「……、」

 声を張り上げようとしたが、震えて声が出ない。

「私たちはお前の前から消えることを約束した。今日がその日だ。」

「……そんなの……、あんたが決めることじゃない……」

 精一杯の声を絞り出す。決して彼には伝わらないような、か細い声だった。


 高辻はゆっくりと立ち上がった。

「私はこれで失礼するよ……、通報しても良いが、毒は出ないぞ。私たちの血はそういうふうにできている」

 そう言って、玄関へと歩いていく。彼の足取りは重く、どこかよろめいているようにも見えた。その背中に、出会ってから数ヶ月の日々が、夢のようだった一週間の日々すべてがのっていた。それはすぐに玄関の向こうに消えた。


 追いかけようとして、父の腕に思いがけず触れる。

 彼の腕はまるで動かないが、温もりはあった。


「親父……、」

 まだ、間に合うかもしれない。

 圭介は携帯を手に取り、一縷の望みをかけて救急車を呼んだ。

 助かったとしてどうする?このあとどうやって暮らしていく?高辻は今どこにいる?彼になんて伝えてやるべきだ?

 考えることが多すぎて、あっという間に思考はぐちゃぐちゃになる。なんの答えも出ないまま、救急隊員を出迎えた。


 処置を施される父を見ている間、高辻の言葉が頭の中でずっと繰り返されていた。

――誰かのそばにいるようには作られていない人間もいるんだ。

 あのとき、違う、と否定してやりたかった。あるいは、それでもいいからそばにいてくれと、直接言ってやればよかった。

 だが自分にはできなかった。怖くて言えなかった。

 圭介は病院についてすぐ、携帯を取り出して高辻に電話をかけた。


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