8.
車を打つ雨は激しく、フロントガラスの向こう側はすっかり見えなくなっていた。
二人の長い口づけは雨に隠される。
「……ずいぶん遠くまで来た。今夜はどこか近くに泊まっていくか」
それがどういうことか分かっていた。分かっていて、圭介は小さく頷いた。
海辺にある、寂れたホテルに部屋をとった。
清潔で、陰気な部屋だった。その空気が今の自分たちの肌にしっくりと馴染むように感じられた。
深くなる夜の中、圭介は高辻と情を交わした。初めて会った日以来のことだった。
寝室は藍色の闇に染まり、むき出しの臆病さで触れ合う二人を静かな雨音が包み込んだ。
「圭介、」
耳元で吐息混じりに囁かれる名前が、高辻の体温と重なって、確かな温感をもって頭の奥へ染み込んでいく。直前に与えられた薬のおかげで苦痛はなかった。重なり合う肌は溶けだし、その感触に夜が満たされていく。
「すまない、」
強い力で抱きしめられながら、彼が小さくそう呟くのを聞いた。聞いたそばから切なくなるような響きだった。
何に謝っているのだろう。
続きを考えるより先に深く潜られ、あえかにくちびるを震わせる。
二人の影はひとつになり、夜の間解けることはなかった。
翌朝、ホテルから直接病院へ向かった。暗い小雨の日だった。
父は相当気が滅入っているように見えた。すっかり痩せこけ、顔色はまだ悪い。やられたのが心臓だったことが、精神的にもこたえているらしい。
細く小さな身体は、自分に散々なことをした人間だということを差し引いても憐れに見えた。
圭介は高辻とともに医者からの説明を聞いた。途中、一度だけ父と高辻の視線がかち合ったような気がした。父は強く睨んでいた。高辻の顔は分からない。
父を家に運び、午後から学校に行った。
一週間ぶりの登校に、クラスメイトは幽霊にでも会ったかのような顔をしていたが、誰も話しかけてはこなかった。
以前よりずっと疎外感が増した。だが、かえってよかったのかもしれない。
圭介は存外に晴れやかな気持ちで授業を受けた。
午後の授業は短い。あっという間に放課になり、圭介は父親の様子を見に早めに帰ることにした。途中、高辻からもらった小遣いで、いくつか父の好物を買って帰った。
「ただいま、」
玄関を開ける。返事はない。玄関の敷石にはまだ、あの日の灰皿が残っていた。
「親父、」
居間の向こう、寝室の襖が開け放たれていた。奥に人影が見える。
父ではない。黒いスーツを着て箪笥に背中を預け、項垂れている。
高辻。
彼の足元には布団が敷かれ、そこで眠っているらしい父親の腕が投げ出されているのが見えた。
冷房は切れていて、むっとした湿気と臭気が部屋に立ち込めている。
部屋に上がり、高辻のそばにしゃがんで肩に手をかける。彼の顔が、ゆっくりとこちらを向いた。
「圭介か……、」
高辻の顔は青ざめている。口の端が、力なく上がった。
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