4.

 夜の帳が下り、圭介は不毛な時間を過ごしていた。

 リビングのソファの上で眠ろうと、ぎゅっと目を閉じる。

 だがまるで眠気はやってこない。


 まぶたの内側で、今父親はどうしているか、何を考えているか、帰らない自分をどう思っているのかということばかりが思い起こされ、胸の内を不安が食い潰していく。

 加えて、高辻の態度が不穏だった。

 明らかに彼は苛立っていた。

 夕食は普段通り二人で作ったし、片付けも普段通り圭介がしたが、彼の口数は今までと比べてぐっと少なく、顔つきは険しかった。


 あの日と同じだ。

 ひょっとして今夜、もう一度、あの日のようなことをされるのかもしれない。

 苛立ちに任せ、犯される。

 想像したくはない。未だにあの日の記憶は、嫌悪感なしに蘇らせることができなかった。

 何より、断片的とはいえ高辻が圭介に優しくする一面を見てしまった今、あの顔で暴力を振るわれることに耐えられないと思った。

 その感覚を飼いならそうと、寝返りをうつたびに、むしろ不安は増大していく。


 高辻は扉を一つ隔てた寝室にいる。

 雨音の外に聞こえる音はない。

 いつ起きる?

 落ち着かないまま、圭介は立ち上がってベランダに出向いた。


 風のない夜だった。闇に銀色の雨が幾筋も浮かび上がって見える。地面の濡れた匂いは幾分圭介の心を癒やしたが、それでもわだかまりは消えはしなかった。

 何か飲みたい。冷たい炭酸が冷蔵庫に入っていたはずだ。踵を返してキッチンに向かい、明かりをつけた直後、不意に寝室の扉が開いた。


「……圭介か。」


 足元が凍りついたような心地がした。

 高辻はゆっくりとこちらに近づいてくる。

「……ゴソゴソと音がするので不届き者が徘徊しているのかと思ったが、こそ泥はお前か。」

 圭介のすぐ側で立ち止まる。息が止まりそうだ。

「水をくれ」

 圭介は二人分のグラスを取って、一つに水を入れ、高辻に渡した。

 その水を飲む、ゴクリという音が妙に生々しい。傷の入った喉元をじっと見つめる。視線に気づいた高辻が、怪訝な顔をした。

「なんだ。なにか飲むつもりでコップを持ってるんじゃないのか」

 あわてて冷蔵庫に向き直ると、扉の左側に手をかけた。

「反対だ。左開きだぞ、」

 扉は反対から開いた。冷蔵庫と壁に挟まれる形になって使いにくい。確実に家電の選択ミスだと思いながら、奥から葡萄味の炭酸を取り出してコップに注ぐ。綿菓子のような甘い匂いがした。

 思いの外、高辻の顔は穏やかだった。


「眠れないのか」

「……うん、まあ、そう」

「ソファが狭いか。ベッドと交換してやろうか」

「別に。多分、ベッドでも寝れない」

「そうか。」

 すっかり空になったグラスを置く。トン、という音ともに、高辻がこちらを見た。


「私の隣で寝るか」

 それがあまりにも穏和な語調だったので、一瞬素直に受け入れかけたが、すぐに落胆に変わった。

 断る権利はもはや自分にはない。


「わかった、」


 高辻は何故か少し驚いた顔をしたが、すぐに可笑しそうに笑った。ゆっくりと寝室に戻っていく彼の、その背を追いかける。圭介がベッドに入ると、ベッドはギシ、と乾いた音を立てた。


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