3.

――私があれを見たのは十七の時。


 当時私は組の下っ端だった。

 十五で家を出て組に拾われたあと、しばらくは盃もかわさず、ただ掃除や炊事なんかをさせられていた。

 未熟で役に立たないから、と言われたがね、他にも理由があったことはあの夜に知ったよ。


 虫の声のする、肌寒い秋の夜だった。珍しく親分に声をかけられて、普段は使わない、親分の部屋のその向こうに連れて行かれた。

 八畳ほどの小さな和室だった。

 煌々と明かりのつく部屋の中で、親分をはじめ、重役たちが揃ってそこに跪坐していた。その中に、私より三つと違わないうら若い兄貴分が混じっていた。よく私の世話を焼いてくれた兄貴だ。今日は彼の盃の日だということだった。


 親分たちの奥には小さな祭壇が用意され、その前に、人の首が一つ収まるくらいの箱が見える。黒く錆びた鉄の箱で、蓋は固く閉じられていた。

 箱の前に、盃を受ける彼が座り、祝詞がはじまる。手順らしき手順を踏んだあと、親分が祭壇の前の箱に深く礼をしてから蓋を取り外した。


 生臭い匂いがあたりに立ち込め、箱の方から何かが滴るような音がした。

 ぴちゃ、ぴちゃというその音は次第に無数に聞こえるようになり、中からゆっくりと小さな人の形をしたものが――黒壇の仏像のような、美しい何かがゆっくりと姿を表した。禍々しい赤い液体を滴らせながらも、無数に生えた細い腕が千手観音のようで――明らかにこの世のものではない美しさに圧倒された。


 その神の前に、盃を受ける兄貴が、ゆっくりとにじり寄る。

 仏像は腕の一本を横にフッと薙いだ。

 と同時に、壁や祭壇、障子、周りのものすべてに赤い線が描かれた。

 何が起こったのか一瞬分からなかった。が、すぐに、それが血飛沫だということを理解した。

 あの仏像は、兄貴の喉笛を切り裂いたんだ。

 兄貴はその場に崩れ落ちたが、誰も助けようとはしなかった。みんなじっと、仏像の方を見ている。血を流しながら横たわる兄貴でなく、真っ黒な仏像の方を、じっと。


 氷みたいに静かな時間だった。やがて仏像は溶けるように形を失って箱の中に沈んでいき、またもとの液体に戻ってしまった。

「だめか、」

 親分は箱を閉じたあと、残念そうに言った。

 兄貴は死に、一同は解散した。


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