3.

「ただの噂だろ。」

「けど……、」

 洸太はあたりを見回すと身をかがめ、圭介の耳元で囁いた。


「行かない方がいい。ユウキ先輩のことだから、きっとその責任を笠寺に押し付けるつもりだ。行ったら上の人に何されるかわからないよ。今までだって、上の人達に目をつけられたやつが何人か消えてるって、聞いたことあるだろ」

 洸太の声は真っ直ぐだったが、わずかに怯えが見え隠れしていた。


 上の人。

 噂でしか聞いたことがない。ただ、自分のいるグループが良くない大人とつながっているという話は幾度となく聞いていた。大人たちは数年前に現れ、以降このグループと関係を持っているらしい。

 たまにグループから何人か、大人たちの仕事を手伝うために連れて行かれることがあった。その多くは金を掴んで戻ってくるが、なかにはその後連絡が途絶える少年もいた。


「……どうする。」

「どうするったって、」

 あきらかに危険な話だった。だが、逃げようにも、身を隠す場所はない。

 なにより、逃げ道を見つけることがすでに面倒だった。

 逃げたところで、こんな狭い街でうまく立ち回れなどしない。そのうちどこかで捕まって、更にひどい仕打ちを受けるだけだ。

 抵抗したところでどうにもならない。

「従うしかないだろ。俺は行くよ」

「でも、笠寺、」

 洸太は何か言いたげにして圭介のそばによった。その態度が、圭介には少し鬱陶しかった。

 こいつにはまだ、何かに抵抗しようという気力が残っている。状況を見て、逃げるなら逃げようと、そういう勇気がその身のうちにある。

 圭介はほんの一瞬羨望を感じた。

 その瞬間、尻に敷く屋上のコンクリートが、急にジメジメと気持ち悪いものに変化したように思われた。

 圭介は立ち上がった。

「いいよ。別に。お前が心配する筋合いはないだろ。――もし何かあっても、それは俺の問題だ」


――圭ちゃん。

――強い強い、男の子。

 屋上を出る圭介の脳内に、いつもの呪文が、母の言葉がこだまする。



 指定された工場にいたのは、同じグループの高校生たちだった。

 その中にくだんのユウキ先輩も混じっている。最近彼女と揃いで買ったらしい、トルコ石のピアスが彼の耳で青い光を放っていた。


 廃工場のトタン屋根は煤けていて静かだ。すでに長く稼働していない。少年たちの足音だけが、屋根の下に響いていた。

 少年たちは何も言わないまま圭介を取り囲むと、ひとりがハンカチのようなもので圭介の目を隠した。

 目の前が暗くなる。

 すぐに誰かが圭介の手を取って歩きはじめたので、それについていった。どこをどう歩いたのかわからないが、しばらくしてそのまま車に乗せられたのは分かった。タバコくさい車の中で、両手首を背の後ろで縛られた。


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