7.

 目を覚ますと真っ暗闇の只中だった。


 遠くに白い、硬質な明かりが見える。

 見覚えのある光だ。オレンジや緑の文字が見える。学校のそばにある、コンビニの看板。


「ここがどこかわかるか?」


 あの男だ。彼は運転席から後ろを振り返っていた。車の中らしい。

 革張りのソファが頬にじっとりと張り付いている。

 どうやって車に乗ったのか、そもそもさっきの場所で何が起こったのか判然としない。

 夢だったのか?


「歩いて帰りなさい。できるね、」

 促されて体を起こす。

 腕を拘束していた紐がない。だが、圭介の両手首には、赤い紐の跡がくっきりと残っていた。

 手首だけではない。自分が見える範囲だけでも、様々な場所に赤い跡がついていた。制服の釦は全てきれいに閉じられているが、圭介は普段、一番上の釦を開けている。

 たぶん一度、着替えさせられている。

 体が鉛のように重い。

 あれは夢ではない。


 男は指でコツコツとハンドルを叩きながら、圭介のいる後部座席を見ている。早く帰れ、ということなのだろう。

 圭介としても、一刻も早くここを出たかった。だが身体は木偶も同然で、動かない。時間をかけてなんとかその手足を動かし、車の扉に手をかけるも、まるで力が入らない――その時ふと、自分が何も持っていないことに気づいた。


「……鞄。」

「ん?」

「鞄がない、」

 にわかに男の眉間にしわが寄る。

「……なんだ。忘れ物か。後で誰かに取りに行かせよう。財布も携帯も服のポケットにちゃんと入ってるだろう?鞄くらい、今日でなくても――」

「宿題が入ってる」


 その瞬間、ふっと時間が止まり、一呼吸おいたあとの爆発するような男の笑い声であたりはビリビリと揺れた。男は心底おかしそうにひとしきり笑ったあと、わざとらしく呼吸を整えた。

「宿題だって?君、本気かい?――いや、馬鹿にしているんじゃないんだよ。ただ、まさかそんな返事が帰ってくるとは思わなくてね。そんなに大事な宿題なのかい、」

「……言われたことはやる。」

「それだけ?」

 男は小馬鹿にするような声で言った。

「お前そうやって、言われたことにずっと従ってるのか?やれと言われたら宿題をやるし、先輩に来いと言われたら廃ホテルにでも行くし、父親に殴らせろと言われたら殴らせてやるのか?」

 ぎくりとした。

「なんで親父のことを知ってるんだ」

「さっきホテルで、お前の身体に痣があるのを見たのさ。いつも殴られているだろう。」

 みるみるうちに、顔に血がのぼっていく。脱がされていた上に、見られたくないものを見られていた。

「……あんたには関係ない。いいから戻ってくれ」

「ふん。まぁそうしたいならそうしてやろう。手間は大目に見てやる。くそ真面目な君のためにね」


 男は車のエンジンをかけた。

 コンビニの駐車場を脱し、そのまま元来たであろう道を戻り始める。街の明かりは遠くなり、いよいよ夜より深い山中へと入っていく。

 ぽつぽつと点状に立つ街路灯の硬質な光が、男の頬をよぎった。

「今日はなんの宿題なんだ」

「数学と、英語。」

「数学なら得意だ。見てやろうか」

「……別にいい」

 それを聞いて男が忍び笑いをした。笑うと眉間にしわが寄るタイプらしい。圭介はバックミラー越しに男の表情をじっと見つめた。

 意地の悪い笑顔だった。こんな笑顔の男を、誰も信頼しないだろう。

「真面目くんは大変だな。同情してしまう」



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