四.常世

1.

 放課を告げるチャイムが鳴る。

 昼過ぎまで降っていた雨は止んだばかりで、校舎の影に生える草の葉には、まだ水滴がびっしりとついている。


 今日は数学と地理の宿題が出た。圭介はすっかり数学が好きになっていた。たいして得意ではないのは変わらないが、宿題が出ると高辻がたくさん教えてくれる。

 それが嬉しい。

 今日も彼の家に行く。数学を教えてもらいつつ、地理でひとつからかってやろうと思った。彼は地理がてんで理解できないらしく、先日は四国の位置をすべて間違えて覚えていることがわかった。

 今回の宿題は諸外国の気候についてだが、からかい甲斐がありそうだ――そんなことを考えながら携帯を見ると、普段はない不在着信が入っていた。父からだった。

 高辻との約束の時間まで、もう少しあった。圭介は一度家に帰ることにした。



「誰に会ってんだ。」

 西日のさす台所で、圭介は頬に平手打ちを受けた。続けて胸ぐらを掴まれる。

「おい、知ってんだぞ、圭介。お前最近、木曜日に何処かで飯食って帰ってくんだろう。どこだ?」

「……友達の家……」

「嘘つけ」

 再び頬を打たれる。

 圭介は内心驚いていた。父が自分の動向をそこまで気にしているとは思っていなかったからだ。だが、厄介なことでもあった。


「見たんだよ。先週、黒い車をよ。男が運転していた。誰だ、アレは。どう見たってカタギのやつじゃねぇだろ。やめろ。面倒事に巻き込まれるぞ。そうなりゃ苦しいのはお前だ。今すぐ縁を切れ。」

 圭介が返事をできずにいると、掴んだ胸ぐらに力が込められ、そのまま床に払い落された。

 父はすかさずその上に馬乗りになる。彼の身体は高辻と比べると随分と小さくて、それでも払い除ける勇気は出なかった。


「圭介。お前、騙されてるんだ。なぁ、わかるだろぉ。あんなのろくなやつじゃない。お前みたいなバカはいいカモだ。帰れないところまで来た途端に本性を表すぞ。俺にはわかる。」

 圭介は父の顔を見上げた。憤怒と混乱がその顔に張り付いていた。土気色の頬が不気味だ。

「……ちがう、……」

 弁解しようと言葉を紡ぎかけるのも虚しく、途中で首を掴まれ、そのまま両手で締め上げられた。

 息ができない。

「圭介、言うことをきけ。」

 頭にのぼった血が行き場をなくし、こめかみを強く脈打つ。目の奥がチカチカとし始める。


 もうすぐ高辻と落ち合う時間だ。


「……、」

 意識が途切れそうになる寸前で、父の手が離れた。いつもこのタイミングで手を離される。もう慣れたものだった。大きく咳き込む圭介の手は、すぐに引っ張られて別の場所へ引きずられていく。

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