二.神様

1.

 廃ホテルの一件のあと、圭介はグループの輪からは外れた。ユウキの姿は、それ以降見ていない。


 晴れて自由の身になったはいいが、相変わらず家にも学校にも居場所がない。ひとりで再び夜の街をふらつくうちに、前のグループにいた洸太たち同級生が合流するようになった。

 洸太たちは幼さも相まって、ユウキの失踪に怯えていた。逆に、何かがあったにせよこうして無事に学校に戻ってきた圭介のことを、「大人に許された」と思っているらしかった。

 いつしか、グループは圭介を中心とした幼い子供のグループと、高校生やOBのしめる一派に分断されていった。


 高辻はというと、あれ以降ほんとうに毎週木曜に圭介を迎えに来た。

 攫われたのと同じ、学校裏の古びた工場の近くで、あの日と同じ車を止めて待っている。行先は、きまって彼の家だった。

 圭介の想像に反し、彼の住むマンションはごく普通の1LDKだった。

 それは雑居ビルが立ち並ぶ繁華街の片隅に、ひっそりと佇んでいた。男の一人暮らしにしては妙に片付いた部屋だった。誰かが出入りしている形跡もない。この家の主人は彼ではなく家具たちのような気がするほどに、静かでもの寂しい空気が漂っていた。

 そのリビングの真ん中、ぽつんと置かれたローデスクの上で、宿題を見てもらう。

 今日で四回目の来訪だった。


 高辻はスーツの上着をラックにかけると、圭介をソファに促した。

「今日は何だ」

「現代文と、地理。」

「地理ねぇ……」

 彼にはいくつか苦手な教科があるらしい。車の中でまるでだめだった英語の他に、地理と情報も駄目だった。

 そういう宿題にぶち当たると、彼は「降参だ」と言って、ソファで本を読み始める。


 その日も、現代文を終えて地理の宿題に入ったとたん、高辻は本棚の方に歩いて行ってしまった。ガラス戸付きの本棚を開け、その中から表紙の折れた文庫本を取り出した。

「……何読むの」

「これか?これは、そうだな、古代人の日記みたいな本だ。」

 圭介の後ろでソファに腰を下ろすと、ポケットから金縁の眼鏡を取り出し、本を開いた。


 彼は宿題を見るときも、時折眼鏡を出すことがあった。普段の冷徹な顔が少しだけ人間らしく見える気がして、圭介はその眼鏡姿が好きだった。

「高辻、目、悪いの」

「お前これは老眼鏡だよ。文庫本の文字がとうとう駄目になったんだ。」

「老眼鏡ってなに、」

 高辻は笑った。

「なんだ。知らないのか。まぁ歳をとれば分かる。ほら、集中、集中。」

 背中をつつかれて、しぶしぶノートに向き直る。


 走らせる鉛筆の音に混じって、高辻がページをめくる音が聞こえた。最初はその静寂が苦手だったが、四回目ともなると、不思議と穏やかな気持ちになる。

――だめだ、

 うっかり気を許しかけるのを、すんでのところで己の良識が引き止める。

――そいつにされたことを忘れるなよ、

「……うん?なんだ、できたのか?」

 高辻は眼鏡を少しだけおろして圭介を見た。

「見せてみろ、」

 ノートを開いて、解いた問題を指差す。彼は首を傾げた。苦手な教科の出来などわかるはずもない。

「まぁ、上出来だな、圭介」

 彼はいつも上出来、上出来と適当に褒めた。


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