十章十二話 『二日目:屋上前哨戦(前)』

雲の上の存在だった。


大貴族の一人娘、深層の令嬢。

幼い頃は一緒に遊んでいたはずなのに、今やレインリリィはたまに窓越しで見かけるぐらいだった。


タマモ班ズミは、貴族に仕える使用人の家に生まれる。

彼が青年になる前に死別した父は、モントリオの執事を務めていた。

その縁もあって彼は、モントリオ邸の門番と使用人の仕事を幾つか任せられることとなる。

子女レインリリィとは幼馴染の間柄ではあったが。

貴族に仕える者の暗黙の了解というのか、若い男であるズミは身を引き、邸宅での仕事をこなす日々を送る。


たまに見る彼女はいつもつまらなそうだった。沈んだ目を足元に落とす。

モントリオの言葉に頷きだけを返し、笑った顔など見たことがなかった。

国の王子と婚姻が決まっているらしいぜ。と、門番の先輩が言っていた。

噂の限りでは、女性と立場の下の者に対する荒い扱いが目立つ人物だと聞いている。


「……………………」


正直にいえば、幼い頃の記憶なんてもう遠くて希薄だ。

雲の上の存在で、雲の上の出来事だ。明日雨が降ると言われるのと変わらない。


ただ雨は嫌いだし、あの沈んだ顔は好きじゃなかった。






「んー?オオバコ君よ、本当に知らないのか?今、そこかしこで大騒ぎだ。

 ズミ君の奥さんがモントリオ卿の娘さんで、団長様が昼の会食でモントリオ卿と衝突、モントリオ卿は怒って娘を探してるって話らしい」


魔王城、正面玄関。

オオバコは今日の門番係をしていたストライガ班、ストライガとレオノティスから事情を聞く。

レオノティスが話終えないうちに、オオバコはわなわなと震えだしていた。


「そ、そんなことになってたんすかぁ?

 いやー地下に行こうかと思ってたんで、地上に意識向いてなくて………。

 ズミ?がそんな大変なことに?」

 

「まぁ………卿は洗濯場に向かったところらしい。気になるのか?」


「勿論!ズミは親友ですし、モントリオ卿ってオラージュの雇い主ですよね?」


「そうだ。ふむ、気になるのなら屋上へ行ってみるといい」


「屋上?何でです?モントリオ達が向かったのは洗濯場なんでしょう?」


「そこはほれ、ズミ達もそこに逃げ込んだのでな……。

 あそこにはリフトがあるわけで……後は分かるだろう?」


「………?やー、全然分かんないっすけど………?」


「………まぁ、とにかく心配なら屋上へ行け」






時は少し経ち、オオバコが屋上に上がった後の魔王城四階。

見張り役を続けるライラック班、【鷹の目】のジンダイ、ネジキの頭上で、何やらドタバタと騒がしくなり始める。

屋上、リリィ達を巡るオオバコ達の戦闘だ。


「………ジンダイさん、本当に放っといていいんですかね?」


「放っとけ。俺は知らん。勝手にやってくれ」


【鷹の目】のジンダイは呆れたように言葉を放る。


「この期に及んで俺は、貴族のゴタゴタなんかに振り回されたくなんかねぇよ」


【黒騎士】ライラックと共に黒砦で激戦を駆け抜けた英雄は、擦れた目で地平線を見ていた。







魔王城北西、貴族区の西端には新たに建てられた、本日の晩餐会用の建物がある。

三日目に白銀祭を控えているとはいえ、視察自体は二日目で終わり、帰る者達もいる。

だからその晩餐会は、視察の公的な締め括りという意味を持っていた。


最初に座していたのは、銀の団団長ローレンティアだ。

背後の壁際に立つ護衛役アシタバと共に、集う視察の者達を受け入れる。


次に着いたのは、鉄の国カノン王子レッドモラード。

武勇系武器系の話にはひたすら喰いつくが、それ以外に全く興味を示さない彼の飽きは早かった。


その次は月の国マーテルワイト組、セレスティアル王女と大魔道士メローネ。

こちらは興味が尽きたというよりは、ガリ勉気質のセレスティアルのオーバーワークに配慮したメローネが、早い切り上げを判断した結果だ。


そして橋の国ベルサール王子、セトクレアセア。

変わらぬ仏頂面で、【黒騎士】ライラックを伴い席に着く。

遅いわけではなく定刻通りの到着になる。


最後に河の国マンチェスター貴族、モントリオ卿。

洗濯場まで自分の娘を追いかけた彼だが、姿を消したオラージュを信じて任せ、苛立ちながらも王家達との晩餐会を優先した形になる。


「オラージュさんは?」


「来ない。取り込み中だ」


モントリオはローレンティアを睨み、彼女は毅然とそれを受ける。


「そうですか。それでは始めるといたしましょう。

 皆さま、この度はよく我らが銀の団へとお越し下さり有難うございました。

 視察としての予定はここまでですが、明日は…………」






同刻。

オオバコ。そしてヤクモ、ヨウマ、ズミが、相対する―――。

勇者一行の一人、大司祭オラージュ。


「みんな、ありがたいけどこれは僕達の問題だ。僕一人でやる。

 みんなは下がっていてくれ……なぁんて言わないだろうなズミ?」


斧をオラージュに構えながら、オオバコがズミの真似をする。


「言わないよ。一人じゃ無理だ。申し訳ないけど巻き込む」


同じように剣を構え、ズミはとても静かな振る舞いだ。

騒動の当事者とは思えない、どこか状況から離れた目。


「はは!いい心がけだぜズミ。

 何より、こんな強者を独り占めなんていけねぇや!」


伝説を相手に一太刀目を放ったのは、傭兵ヤクモだ。

性格故の一番槍、守りの意識が薄いのがたまに傷だが、それは彼のすぐ後ろに控える相方のヨウマがフォローする。


ヤクモとヨウマ。

【刻剣】のトウガの、トウガ平原での激戦を二人が生き抜けたのは、彼らがコンビを組み互いにフォローしあって戦い続けたことが大きい。

彼らは単体であっても、ストライガを除けば若手の中で最も強く。

組んで戦いさえすればツワブキとも張りあえる。


「怖い怖い、修道女(シスター)相手に四人がかりか?」


二人の剣を、踊るようにかわしオラージュが笑い。


「修道女らしく、愛し合う二人を祝福でもしてくれりゃあ俺達も紳士に振る舞うがな!!」


オラージュを休ませないよう、ヤクモがより多くの剣を打ち込む。

が、その刃は彼女の掌に受け止められる。


源流魔法(オリジン)、“白掌(シロ)”。


歴史上彼女一人しか使ったことのない2つの魔法のうちの1つ。

オラージュ自身が開発した魔法だ。

掌の面に展開した小さな加護の魔法の盾。魔法自体はそれになる。


オラージュの魔道士としての特異さは、彼女が徒手空拳においても世界レベルの武人である、ということである。

だからこそ彼女は魔法を攻撃ではなく、自分の体を強化することばかりにのみ使う。


オラージュの近接戦闘用魔法、“白掌”は、彼女の掌を刃を受け止める盾と成し。

彼女の掌底は鎧を打ち砕く槌と化す。


「こっわぁ!!」


文字通り、鋼の掌底がヤクモの頬を掠る。


「慈愛はねーのか!!」


「あるぞ。我らが主の元へ送り飛ばしてやる」


四人を倒してオラージュがリリィを連れていくのか。

オラージュを倒して四人がリリィを連れて逃げるのか。

戦いの意味はそれ以上はなく、英雄のオラージュなら手加減はしてくれると踏んでいたが……。

オラージュの刃のような目がそう思わせるのか。

ヤクモ達は死と肉薄している錯覚に襲われる。


バランスがいいな、とオラージュは思う。


強化された、彼女の八方を網羅する超感覚。ナイフよりもリーチの短い武器。

ミノタウロスの群れに潜りこんだストライガ達と同じ、オラージュにとって囲まれることは、効率よく敵を相手取れる形でしかない。

その彼女を以ってして、ヤクモ、ヨウマ、オオバコ、ズミの包囲陣はバランスがいい。


二人合わせれば英雄級、互いを補完し合い、縫い目ない連撃を繰り出し続けるヤクモとヨウマ。

二人を主攻と認め、力量と役割を自覚し、防御重視で介入しながら重い一撃、その瞬間に集中するオオバコ。

そしてこの包囲陣で最も厄介なのが―――。


ズミ。


とにかく、渋い・・。猛々しいが年相応に荒い他三人の隙を埋めるのは、彼の適度な攻撃参加だ。

その働きで彼ら四人が、寄せ集めではなくなる。

体系的に設計された武術だ、とオラージュは思う。

強い一人を生みだすためではなく、集団戦闘で真価を発揮するべく研磨されたそれは、長き伝統と歴史に鍛えられることで生まれる、正しく聡明な騎士団が持ち得る剣術。


ズミの性格と、ともすれば才能にも起因するかもしれない。

後方から彼は戦闘を俯瞰し。味方の武器の可動域外に素早く移動し。

味方の隙を埋める。敵の余裕を潰す。相手を分析する。味方を活かす。


「それがモントリオの兵団の剣か」


オラージュが虎のように目を見開く。

ズミは、そうは思っていない。父に教えられた剣だ。






母は、自分を生んだ時に死んだらしい。

だからズミにとって、親と言えば父だった。

尊敬をしていた。

仕えるモントリオに出来る限りの献身を捧げながら、ズミにとってどこまでも良き親だった。


筆記。史実。経済にマナー。

そして騎士団流の剣術と、父の趣味でもあった地図を使った地理学。

由緒ある使用人一家の末裔として、ズミは必要な教養を教えられる。

嫌なわけではなく、むしろ早く父のようになりたかった。


「ズミ、レインリリィ様とはどうなんだ?」


「ど、どうとはなんですか………?」


「どうとは、どうだ」


ある日、剣術の練習、手合わせの合間に父は、10歳を少し超えたばかりのズミに訊ねる。


「べ、べつになにも………ただなんというか………」


「何というか?」


「気になる……のかな。なんだろう。レインリリィ様は、笑わないから………」


「人形みたいか?」


「う、うん………」


幼いズミの頭を、父はぐりぐりと撫でる。


「はは、確かにお嬢様はな………母さんによく似ている」


「母さんに?母さん、笑わなかったの?」


「いいや、めちゃくちゃ笑ってた。ゲラだった」


「え?え?」


ズミは困惑し、父は楽しそうに笑う。


「だから、というのは少し変だが………ズミ、俺からお願いする。

 もしいつか、お嬢様が何かを望んだなら……その味方になって欲しい」


「…………?勿論だよ。使用人は、主の味方をするんでしょ」


その言葉に父は見守るような、寂しそうな笑顔で応える。






「なかなかの腕だ。裏切り者の使用人・・・・・・・・にしてはやるじゃないか」


それはオラージュにしては、軽口を混ぜた褒め言葉だったのだが。


「――――黙れ」


疾る目。その、ズミが初めて見せる剥き出しの感情に、オラージュ以上にオオバコ達が驚く。

静かな憎悪。


「裏切ったのはお前達の方だ」





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