第十章 舞い月、白銀祭編

十章一話 『一日目:緩やかに幕は上がる』


舞い月も、終盤に差し掛かる。

紅葉に色づいていた山々を枯葉が埋め尽くし、近づく冬を感じさせる。


視察団来訪、前日。

銀の団内の把握のため、ローレンティアは不安と緊張で凝り固まった顔を引きずり、最後である主婦会の働きを見学させてもらっていた。

堀の側の洗濯場、主婦達が仕事に駆けまわる中、彼女は端っこで佇み、溜息をつく。


「はぁ……………」


「………浮かない顔ですねぇ」


主婦会所属、ズミの妻リリィは、洗濯板に衣服をこすりつけながら不思議そうに言う。


「そーですよ、団長さんともあろう方が」


隣のセリも同調する。言葉はローレンティアの中まで響かない。

視察前の重圧の日々の中、銀の団の人達を見学して回る時だけ、ローレンティアは緊張から解放される。

鱗雲の秋空の下、ローレンティアは自分のこれまでを思い出していた。

銀の髪と黒き呪いを持って生まれた、呪われた王女としての過去を。



とにかく、居場所のない毎日だった。


狭い、狭い、茨の小道を往く日常。

彼女の銀色の髪が、父、国王と母、女王の不和を生んだ。

父は汚らわしいものを見る目で。母は恨みの籠った目で。

兄弟達は嘲笑うかのような目で、ローレンティアを、見下す。

とにかく目立たないよう、いつも屈んで。音を立てないよう、息を殺した。

体に重く圧し掛かる。ローレンティアから何かを奪っていくあれが、もうすぐそこまで来ている。



「ご見学、ということでしたね。さぁさぁ、たっぷりとご覧なさって下さい。

 これが銀の団の生活を下支えする主婦会のお仕事ですのよ!」


リリィが腕まくりをして、いっそう洗濯に力を入れ………。


「ああ、リリィちゃんがまた桶引っ繰り返したわ!!」


「リリィちゃん、服は混ぜちゃだめよ、持ち主が分からなくなっちゃう!!」


「その服に力入れ過ぎちゃ駄目よ!!あぁ、破けちゃった!!」


と、各所で主婦達の悲鳴を生んでいく。



「………ぶ、不器用?」


「というより、不慣れだねぇあれは。今日は一段と気合が入ってる」


なははと、セリが呑気に笑う。

パワフルな女性だな、というのが、ローレンティアのリリィに対する印象だ。

周囲に怯えていたあの頃の自分とは違う。

そこかしこで失敗を撒き散らしても、喜々として次の仕事へ向かっていく。


「邪魔だから服濯いでてって言われました!」


「おかえり~」


ぐるりと一騒動巻き起こしたリリィは、まるで凱旋のようにセリとローレンティアの元へ戻ってくる。

年配の主婦達はやれやれと彼女のフォローに回りながらも、それでも何か、楽しそうだった。


「娘をね、失った人達もいるんだよ」


リリィに聞こえない声量で、セリが呟く。それだけでローレンティアも、何となく察した。


「さぁさ、セリさん、とっとと片づけましょう。お夕食の準備もしなくては」


「また鍋焦がさないようにね?あとニンジンは皮剥かなきゃ駄目だよ?」


「わ、分かってます!」


少し顔を赤らめ、リリィは真面目に洗濯物へと向き直る。

拙いけれど、ひたむきで。足りないけれど、がむしゃらな―――――。


「どうしてあなたは、そこまで?」


その質問に、リリィやセリどころか、ローレンティアまできょとんとしてしまう。


「そこまで?」


「い、いや!!こう………慣れてないのに、とことん前向きと言うか……」


「団長様が、見上げた下手の横好きねってさ」


「そんなことはっ!!」


セリのからかいに、慌てるローレンティア。

リリィは動じず真顔で、ローレンティアのその問いに応える。


「何を仰っているのです―――」






夜。

ローレンティアの部屋に並んだ2つのベッド。

視察前夜、ローレンティアとキリが静かに向き合う。


「………いよいよね」


視察団。初めて評価される銀の団。そして、蠢く斑の一族。

ローレンティアとキリの、戦いと呼べるものが迫っている。


「キリ、もう一度聞くけど本当に――――」


「加勢は要らない。斑の一族については、出来る限り私単独で担当する」


キリは、ローレンティアを真っ直ぐ見てそう言った。

そこについての協議は、アシタバも含めて以前から繰り返し行っていた。

結論からいえば、人殺しのエキスパートである斑の一族を相手に、下手な加勢は危険と言える。

英雄【凱旋】のツワブキや【黒騎士】ライラック、【刻剣】のトウガは魔物相手に歴戦を重ねた者たちだ。

人相手の殺し合いに熟練しているというわけではない。

斑の一族かれらの戦い方も知っているという点を加味すれば、キリほどに斑の一族を相手取れる人材は銀の団にはいない。

冷徹な人殺し集団相手に、足手纏いは致命的だ。

それが分かるからローレンティアは、キリのその決断を否定できなかった。


「死んでやるつもりはない。危なくなったら離脱する」


「ええ、無理しないで。私だって、何人か相手取れるんだから」


ガッツポーズをしてみせる。


「うん……ティア、ありがとう」


「ありがとう?」


「ええ。あなたのおかげで、私は――――」








翌日。つまりは、視察初日。


「背中を曲げないのー!整えにくくなっちゃうでしょうが」


理容師マダム・カンザシの言葉に、ローレンティアはピシっと背筋を伸ばす。

彼女の頭周りを、鋏と櫛が踊るように行き来する。

お腹に鉛でも入っているんじゃないか、という気分だった。

ローレンティアの館の応接室で、彼女は専属服飾士スタイリストの四人に囲まれている。


理容師、マダム・カンザシ。

仕立て人、ハゴロモ。

装飾職人、フウリン。

銀細工職人、スズラン。


夕方からやってくるらしい来客を出迎えるため、ローレンティアは久しい正装というものに身を包む。


「服の方はいかがですか?」


「ええ、大丈夫ですハゴロモさん。着心地がいいのね、これ」


「ハゴロモ、で構いません」


「………ハゴロモさん」


仕立て人ハゴロモは歳に関わらず王としての物言いを求めてくるが、ローレンティアはなんとか避けていた。

以前見たグレーのドレス。ローレンティアがそわそわしない程度に落ち着いた雰囲気なのが助かる。


「ふむ………そのドレスに合わせる、となると……」


装飾職人フウリンとスズランが、彼女達の持ち込んだ木製のケースの中を漁る。

取り出したのは、ハープをイメージさせる銀色の髪飾り。

緩やかな曲線を描く銀細工から琴線のような銀糸が幕のように下げられ、動きに伴って揺れる。

それをフウリンが丁寧な手つきで、ローレンティアの頭左側、耳の上へとつけていく。


「綺麗」


「ああん、身に余る光栄ですね」


「要望はないか?何でも言ってくれ」


「………要望。今日は休みたい」


「「駄目」」


四人全員に却下され、ローレンティアは肩を落とす。

不安だ。魔王城に来て忘れていた、過去の悪評が這い寄ってくる。

緊張する。初めての公職だ。銀の団の代表。ちゃんとできるのだろうか。


「……私が魔王城(ここ)で噂に聞くあなたはですね、ローレンティア様」


ハゴロモが椅子に座るローレンティアの前で屈み、彼女と目線を合わせ微笑む。

丸眼鏡と、ふわふわとした髪。

穏やかな彼女の雰囲気が、ローレンティアを包む。


「初日にダンジョンに突撃したと思えば、男達相手に堂々と演説を始め。

 地下一階の探索へ向かったと思えば、スライムや樹人(トレント)を利用しようと訴えだす。

 ハルピュイアの群れが来た時には自ら最前線を務め上げ。

 かつて忌み嫌われた魔法を自主的に学ぼうとし。

 戦闘部隊にも入って、ダンジョン探索に積極的に参加する」


柔らかい風が、固まったローレンティアの心を撫でるようだ。


「あなたは、どうしてそうなさったのです?」


ローレンティアは緊張を忘れ、その問いに向き合う。


「それは―――応えようと思ったから」


「何に?」


何に。何だろう。





リリィは、あなたが始めたのですよ、と言った。

あなたの姿を見たから私は。


キリは、あなたが手を差し伸べてくれたからここにいる、と言った。

その手を取って、今日まで来た。


全部は知らない。でもきっと在るのだ。

ローレンティアがこの魔王城で半年間、向き合ってきた何かが。

掲げようとしてきた、何かが。

そして誰かに伝播した、あの重苦しい陰りに負けない、何かが。


それが彼女、ローレンティアを立たせる。



「ありがとう、ハゴロモさん。フウリン、スズラン、マダム。いってきます」


「頑張ってください!」と、スズラン。


「自然体でいれば大丈夫ですよ」と、フウリン。


「ご健闘を、お祈りしています」と、ハゴロモ。


「そして――――」と、マダム・カンザシが微笑む。


「良い祭りを、ね?」


「………ええ」


穏やかに。朗らかに。優しく、そして少女らしく。


ローレンティアが、笑った。




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