九章十話 『四女タビラコと回る日常(後)』

夜になる。

騒乱の静まった地下三階、その入り口近くで焚き火がぱちぱちと燃える。

それを囲むように、今日の見張り番、四人が座していた。

アシタバ、キリ、スズナ、スズシロ。


「お前、よく戦車蟹(タンククラブ)を逃がさなかったな」


隙間を埋めるように、アシタバはスズシロに問いかけた。


「囮を使うかもっていう相手の思考を追ったのか?」


「………思考を追うのは狩りの定石だ。特に俺みたいな罠使いにはな。場所は幸運だった。

 砂浜の岩の位置を見つつ、ツワブキさん達とは離れたところに張ったんだが、丁度来てくれた」


スズシロは林の方へ、視線を固定したままだ。

いつも気だるそうな彼だが、どこか、いつもと違う、擦り切れたような倦怠感があった。


しばらくは無言が続いた。元より、口数は多くないメンバーだ。

火精霊(サラマンダー)が模した星明かり、焚き火の音と、僅かな波の音と。


「俺の故郷があれにやられたんだ」


ぽつりと、スズシロが呟く。


「赤い津波が、育った家を吹き飛ばしていった。その時は何も考えられなかったけどさ。

 難民生活の中で、何か、膨らんでいったんだよ。止められなかった。恨み、っていうのかな」


スズナが気まずそうに、自分の足元に視線を降ろす。


「どうして俺達が。あいつらに権利があったのか?

 流れ着いた先でまたあいつらの話を聞いて。大行進の後の土地を見た。

 俺達が苦しんでいる間にあいつらは、平気で他所の土地で同じように不幸を撒き散らして。

 どうしても、どうしても許せなかったんだ。俺は待っていたのかもしれない。

 この手で奴らを叩きのめす機会があるのなら、その時は必ず――――」


その執着が、最後の一匹を刈り取った。結果はいい。だが内情は。

昂った気を外に出すように、スズシロは深い息を吐く。


「…………うちの姉貴がさ、前に言っていたんだ。積み上げることをしなさいって。

 俺がやろうとしていたことより、姉貴は正反対のことを見ていた。

 ………アシタバ、実はさ、今だから言えるんだが、俺とスズナは魔王城に来る前に魔物を食ったことがあるんだ」


「魔物を」と呟いたのは、キリの方だ。

アシタバはそれが?と特別な反応は示さない。


「はは、お前はそういう反応だろうなぁ……。でも当時の俺達は違った。

 あん時は、難民になりたての頃でさ。俺達の狩りは上手くいかなかった。

 妹達は、毎日お腹をすかせるような有様で。

 兎を一匹仕留めたんだが、それじゃ家族九人分には足りない。

 そこで、オークの死体を見つけたんだ」


「それで、食べたのか」


「ああ。親には、山で山菜を見つけたって言ってな。

 二人で、解体して、焼いて………。酷い気分だった。人間でも食べているような。

 アシタバ、お前には理解できないかもしれないが、俺達はその時、もう家族の元にはいられないと思ったんだ」


「なんで?」


純粋に不思議がるアシタバを、スズシロはどこか安心した目で見る。


「魔物を食べた奴なんて、人の暮らしの中にいちゃいけないと思っていたからさ。

 今考えればかなり思い詰めていたけど……当時はそれくらい、俺達にとって深刻な決断だった。

 どこか、土地を見つけて、難民時代が終わって、家族が安定した暮らしができるようになったら……。

 俺達は、家族の元を去ろうと思っていたんだ。

 銀の団で戦闘部隊に入って探検家を目指したのも、実はその辺が理由だったりする」


魔物を食べた者は異質で、異質は人々の輪の中にいるべきではない。

魔物を食べてきた習慣からも、誰にも生きる権利があるという考え方からも、アシタバはスズシロ達のそれを理解できなかったが、彼らの真剣さは受け止める。


「そしたらさ………笑っちゃうんだけど、銀の団の生活が始まったばかりの咲き月に、スライムの口で濾した水を使おう、なんて言いだした馬鹿がいたんだ。

 そいつは次の月には、魔物に野菜を育てさせようなんて言うもんだから、俺もスズナもなんかおかしくてさ」


スズシロが笑い、怒ったようなスズナも、ここで初めて困り顔の笑顔を見せる。


「俺達のそんな悩みなんか蹴飛ばす勢いで、そいつは魔物と食を絡めていくんだ。

 周りの人達も俺達の想像とは違って、それを受け入れようって方向に動き始めてさ。

 それが俺達にとって、どれだけ救いだったか分かるか?アシタバ」


スズシロが、アシタバを真っ直ぐに見る。ズミと同じく。

これも、若手の会だけでは知りえなかった、スズシロという人物。


「許されたと、思えたんだよ。

 お前は終いには、ミノタウロスで焼き肉パーティなんか始めてよ。

 なんかもう、悩んでいたことが馬鹿らしくなったんだ。

 俺はさ、戦車蟹(タンククラブ)を殺してやりたいって、ずっとずっと思っていた。

 地下三階でようやく俺は、それを曲がりなりにも果たせたんだけど――」


少し、スズシロが言葉を切る。


「なんかさ、何もないんだよ。心が何も動かなかった。砂漠みたいだ。

 姉貴の言っていた通りなんだって、俺は思ったんだ。こっち・・・は全然、面白くない。

 お前がやってきた、スライムや樹人(トレント)や焼き肉パーティの方が、俺はずっと愉快で好きだ。

 アシタバ、俺はそっち側がいいんだ。お前や姉貴の側でいたい。

 魔王城(ここ)で俺は、積み上げることをしたいんだ」


それはきっと、家族の中にあっても拭えなかった孤独だ。

魔物を食べたという事実が、彼らを家族と切り離し、どこまでも孤立させた。 

貧しく目まぐるしい難民生活の中で、彼らは不確かな泥の上に自分達を置き続け。

帰れないと思いこんだ家族達の為に、山に籠って狩りをし続けた。

けれどこれからは。


「アシタバ、これからも俺とこうして話してくれないか。

 お前の考えを、色々聞いておきたいんだ」


「………あぁ。俺もだ。よろしく頼むよ」


地下三階の夜。

アシタバとスズシロは静かに、拳をぶつけ合う。







夢を見た。というか、この間の再現だ。

地下一階に続く大階段、その上で、ツバキは真っ直ぐこっちを見て言った。

もっときみのことが知りたい。


「……………」


セリは慌てて起きる。

あいも変わらずスズナは行儀のいい寝相で、いつもと同じくナズナは床に突っ伏している。

違うのは、紅潮する自分の頬だ。


「………ま、悪くない目覚めね」





「姉貴には、悪いと思っているんだ。

 一家が大変な時に俺は戦場から戻れずに、負担を全部姉貴に押し付けちまった」


ライラック班の朝は早く、それを見送るセリに、長男ゴギョウは靴ひもを結びながら呟いた。


「だからここじゃ姉貴は、もう少し自由でいられたらいいって思うんだ。

 お見合いの話は本当によかった。相手も、いい人みたいだし」


紐を結び直し立ち上がる。いつもと違う真剣な目がこちらに向けられていた。 


「だから俺は、それを守りたいんだ。悪い、結局これは俺のエゴだ。

 けど嫌なんだよ。もう目の前で壊されるのはごめんなんだ」


「……………あたしもあんたも、もう大人ってことよ。

 あんたが決めたんなら、それは遠慮しなくていいの。応援するわ。家族として」


笑う。ゴギョウも笑った。


「そうか。俺も、応援してる」





次に朝が早いのは、職人に弟子入りをしている三女ナズナ。

最近は銀細工職人、スズランに弟子入りをしているらしい。

髪の手入れも中途半端に、ばたばたと支度を済ませる。


「あんたもいい加減女の子なんだから、髪の手入れぐらいしっかりしなさいな」


「はいはい、そのうち!!そうだ姉貴、ツバキさんとの進捗は?ひどいことされてない!?

 嫌な思いしているなら言ってくれ!あたしが一発殴りに行ってくる!!」


「その発想のバイオレンスっぷりも何とかしなくちゃね……」


姉の、どうやら大丈夫そうな様子を見届けるとナズナはニカッと笑う。


「ま、幸せそうでよかった!結婚が決まったら言ってくれよ!

 指輪、それまでに作れるようにしとくから!」


バッ、とセリが怒る前に、ナズナは素早く部屋を出ていく。






三番目はスズナとスズシロ、戦闘部隊所属の二人。


「まだ忙しいの?視察もあるんだし、そろそろペース落とす時期じゃない?」


「もうちょっと、カルブンコを捕まえたいって話で。

 私とスズシロは特に、捕獲特化だから」


「ん、頼りにされているのね」


いつも怒ったような顔のスズナと、いつものんびりした風なスズシロを、実はセリは結構心配していた。

二人とも何かを隠し黙っていることが多く、それを見逃しては彼らを孤立させてしまう。

慌ただしい難民時代、それをちゃんと果たせたか、セリは未だに自信が持てないのだが。


「じゃ、セリ姉、いってくる」

「姉さん、いってきます」


今の二人の姿を見ると、セリは少し、安心するのだった。


「いってらっしゃい」







「リンゴの奴、全然農業知らないんだ!筋肉は凄いあるのになー……。

 きっと親に捨てられて畑仕事を教えてもらえなかった、可哀そうなやつなんだ。

 俺がちゃんと面倒見ないと!!」


いきり立つのは三男ハコベラ。

その相手が魔王を打ち倒した勇者だということは、セリはあえて黙って苦笑いをする。


「父ちゃん達手伝ってくる!」


というなり、部屋を出ていった。

農耕部隊の大人たちに混じりながら、ハコベラは畑仕事を学んでいく。

ゴギョウやスズシロの背中を見て、早く仕事のできる大人になりたいという考えだ。



「お兄ちゃんいっちゃったのー?」


末っ子、四女のタビラコが、眠たい目をこすりながら寄ってきた。

セリは屈んで目線を合わせる。


「いっちゃった。お姉ちゃんも主婦会に行ってくるから、タビラコ、お留守番お願いね」


「うん………」


と言いながら手を伸ばしてくる。セリは自然と、その手を掌で受け止めた。


「おねーちゃん」


「んー?」


「わたしもはやく大きくなる。大きくなって、おねーちゃんを手伝う。

 そうしたら、二度寝とか、していいからね?」


ふ、と笑ってしまった。


「うん、待ってる」






「ツバキ君とお付き合いすることにしたんですって」

「ツバキ君?クレソンさんとこの?」

「お見合いはうまくいったと……」

「きた、とうとうセリちゃんも来たのね」

「主婦会の最終兵器(リーサルウェポン)が動き始めたわ」

「でも、お似合いじゃない!」

「頑張んなさいよ、セリちゃん!!」


などと、主婦会の先輩方は、好奇の目線や激励を飛ばしてくる。

毎回どこから仕入れてくるのか、情報は当然のように筒抜けだ。

セリははいはいと、困り顔で対応する。



主婦会、今日のセリの当番は干し係だ。

屋上に待機し、下から洗われた洗濯物がリフトで上がってくると、それを順に干していく。


「………相手の方を、好きになったんですか?」


ズミの妻、リリィが服を干しながら訊ねてくる。


「んー?いやぁ、それはこれからかな。私はさ、知りたいって思ったんだ」


「………知りたい」


「そう。そう………だからまだ、好きとまでは…………」


そこで言葉を切らすセリを、リリィは不思議そうに見つめる。


「と、とにかくこれからってことよ!!」


無理やり打ち切り、洗濯物に向き直った。

物干し竿から少し目をそらせば、そこには魔王城屋上からの絶景が広がる。

紅葉に色づく遠い山々。灰色と枯れ木林の魔王城圏を抜け……。


今や城の周りは、にわかに湧き立っていた。


北側、九つの豪華な館が立ち並ぶ貴族区。

北西では、視察団の宿泊施設を完成させるべく今日も元気に大工班が金槌を振るい。

西側には工房街が広がり、多様な職人たちが自分の腕を振るい犇めく。

足元の魔王城内では、主婦会、戦闘部隊、農耕部隊、数多くの団員達がせわしなく、動く、動く。


魔王城の日常が、回っていく。


戦争の最中で打ち壊された住処が、奪われた故郷が、踏み躙られた生活が。

ゆっくりと立ち上がり、育って、広がっていく。

ここは魔王城銀の団、復興の時代の最前線。


「んー、良い日さね!」


晴天の下、セリはけらけらと笑いながら、洗濯物を干していく。



舞い月も終盤に差し掛かった、視察団来訪、その五日前のことだった。





九章十話 『四女タビラコと回る日常(後)』

第九章 了

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