第九章 舞い月序、七草兄弟編
九章一話 『長女セリと始まりの地』
暗い夜だったことを憶えている。
魔物の叫び声、轟々と照る炎、月がいつもより遠く。
よく山菜を取りに来た丘の上から、つい昨日まで自分たちが住んでいた集落を見ていた。
獣のような兵達―――魔王軍が家々に火を放ち、打ち崩しては吠える。
それは、故郷が魔王軍に侵略された記憶だ。
前もって避難できたのは幸運だった。
付近の戦線の劣勢を感じ取り、夜間の見張りを買って出た父の好判断だ。
背後では弟達の、すすり泣く声と言いようのない不安。
「あの村はもう駄目だ。俺達は新しい場所へ行こう。
どこか………どこか、遠くへ」
父が彼らの背中を押すように言う。
けれどそれは責務だけに支えられた、上手く感情の込められていない言葉だ。
生まれ育った家がその波に呑まれていく様を、彼女、セリは、ただただ呆然と眺めていた。
最悪の夢だ。
と、魔王城の3階、自室で目覚めたセリは思った。
四年前、故郷を失った時の夢は度々見たが、銀の団に入り難民でなくなってからは初めてだ。
いつもより重く感じる体をベッドから起こす。部屋に置かれているベッドは3つ――。
彼女の横では、戦闘部隊に所属しているスズナが寝息を立てている。
逆に心配になるぐらいの寝相の良さだ。
その向こう、ベッドに辿りつく前に力尽きたのか、床でナズナがうつ伏せに眠っていた。
工房街で職人に弟子入りしまくっているらしい彼女の忙しさが見て取れる。
「………まったくもう」
ナズナを転がして仰向けにし、軽く布団を被せると、音を立てないよう気をつけながら部屋を後にする。
銀の団において、セリは主婦会に所属していた。
彼女はまだ未婚ではあったが、花嫁修業をしてきてくれという両親の強い要望を受けた形だ。
20代後半、この時代においてはそろそろ結婚しないとマズい年齢の彼女である。
「……だって、戦乱や難民生活で忙しかったんだもの」
という言い訳だけはあった。実際、同じ集落の同年代の男たちは兵士として戦線へ出ていったし。
けれど銀の団に入り、魔王城の生活が落ち着くと、両親からの圧力というものが日に日に重くなってくる。
「はぁ…………」
「セリさん、どうかされたのですか?」
朝食作りの仕事を終えると、主婦会の今日当番の者達は堀に併設された洗濯場に集まり、団員達の衣服を洗っていく。
各団員が自分の衣服をまとめた袋を、洗って乾かし持ち主に返すというのが主婦会の仕事の1つ、洗濯の流れだ。
「いや、親がね、今度見合いをしろってさ」
セリは暗い顔を、横にいた女性――ズミの妻、リリィに向ける。
30代以降の女性が多い主婦会において、二人は20代、かなり若手の部類になる。
だから二人はよく一緒に作業をしていた。
「あらあら、よかったではないですか」
「うーん……いやあ、有難いことだけどねぇ。
正直弟たちで手いっぱいの毎日で、夫なんてなぁ」
「それはよくありませんよ、セリさん」
二人の会話に入ってきたのは、リリィとセリの反対で作業をしていた女性、ビスカリアだ。
「家族を大切にするのも大事でしょうけど、そればかりでいると婚期を逃してしまいます。
ねぇ、レウイシア?」
「そうね~」と、彼女の隣にいたおっとりとした女性も賛同する。
「そ、そういうものですか?」
「そういうものです」
断言するビスカリア。セリはなかなか抗えない。
年上であること以上に、彼女には格というものがある。
英雄の妻の言葉は、それなりの重さがあるからだ。
【黒騎士】ライラック。
五英雄の一人である彼を、魔王軍との戦争が終結した後に襲ったのは大量の見合い話だ。
魔王軍を相手とした武勇伝。人類史に名を残す英雄。
最も誇り高き騎士。それでいて顔つきも悪くない――。
国を問わず、貴族の若き女性たちは彼に熱を上げ、その父親たちは英雄の血を家に取り入れようと躍起になる。
ライラックを謳う詩に、ありもしない熱愛物語が追加され。
真実を言えば。
その中で、数多の仲間の戦死を見届けたばかりのライラックが、どれだけ失望(・・)したかは筆舌に尽くしがたいところがあるが。
ともかく彼は最終的に一人の女性を選ぶ。
彼女より美しい見合い相手はいくらでもいたし、彼女より富んだ家柄の娘もいくらでもいた。
英雄ライラックがどうして彼女を選んだのか。その部分は謎に包まれているものの………。
1つの真実として、彼女という存在の登場はライラックを題材にした宮廷物語を加速させた。
彼女をヒロインとした純愛物語。彼女を当て馬とした不倫物語。
主役(ライラック)の幅を広げる脇役(キャラクター)として彼女はライラックのファン達に受け入れられ。
つまりはそういった軽薄で無責任な恋ばかりが、ライラックに向けられていたものだった。
「あなたはもっと、自分を大事にしなさい」
ビスカリアはセリに訴えかける。濃い栗色をした髪が肩辺りで切りそろえられている。
貴族出身というには行動的な印象を受ける髪型。
英雄の妻、ライラック夫人という肩書に恥じない芯の強い女性だ。
「大事に、ですか」
「そうよ、これからはそういう時代なんだから。ねぇ、レウイシア?」
再び話を振られるおっとりとした女性。白の長い髪、透明感のある容姿をしている。
こちらはビスカリアとは違い、貴族のイメージに合っていた。
もはや説明は省くがトウガ夫人。二人は名前が似ているだけではない。
元
「そうねぇ、でも自分を大事にするっていうなら、セリさんの今は間違っていないと思うわ。
家族の面倒を見るの、好きなんでしょう?」
「好きというか……まぁ、放っておけないもので」
「ですから、セリさんにアドバイスをするというのなら……あなたは出会わなければいけないの」
「出会う?」
「家族の面倒を見ることより、夢中になってしまう相手です。
それに出会ったのなら、あなたはそれにのみ向き合わなくてはなりません」
「義務ですか?」
「権利です。誰もが持つ」
それはつまり、セリが詩とかでしか触れたことのない、恋というものだ。
「………ビスカリアさんやレウイシアさんは、やっぱりそういう経験を経て結婚を?」
セリのその問いに、しかし二人は頬に手を当てて顔を向け合う。
「いやー、私は向こうから交際を申し込まれたから……」
と、ライラック夫人、ビスカリア。
「私も、なんというか、放っておけないと思って?」
と、トウガ夫人、レウイシア。
「な、なんですかそれは……リリィは?」
「わ、私ですか?私は、そのーー…………どうしてでしょうねぇ?」
「どうしてでしょうねぇ!?」
埒の明かない三人に、セリは半ば苛立った声色だ。
「はーい、洗濯終わり!!」
パンパンと手を叩きながら、主婦会会長トレニアが大声を出す。丁度のタイミングだ。
会話が中断された形のセリ達は、洗った衣類をまとめて大きな木製の籠に入れていく。
それは地面と垂直に伸びる鎖と固定されており……その鎖は魔王城屋上まで続いている。
洗濯物の干場まで衣類を運ぶ、ディフェンバキア製のリフトだ。
セリ達はその下部に取り付けられた、地面と水平な歯車へ寄ると、数人がかりでそれを押し回していく。
ぎりぎりと音を立てて鎖が動く。リフトが回り籠が上がっていく。押しながらセリは考える。
魔王城に来て、もはや一家は滅茶苦茶だ。
親の後、農家を継ぐと思われていた長男のゴギョウは、突然戦士になると言いだしライラックの班へ加わっていった。
次男スズシロと次女スズナは、狩りを極めたいと戦闘部隊でダンジョン探索に励みだすし。
三女ナズナは工房街で職人達に弟子入りしまくっているらしい。
無礼を働いていないか、姉としては心配ばかりだ。
三男ハコベラと四女タビラコ。まだ幼いこの二人に農家の後継ぎとして可能性が残った。
両親は気が気じゃなく、二人に畑の楽しさを教え込もうと必死だ。
長女の自分はこれから見合い。
「さっきの話ですけどね、セリ」
歯車を押しながら、隣のビスカリアが訴えてくる。
「本当に好きになったのなら、それに応えることを第一に考えなさい。
それを家族が縛るのなら、家族の方に問題があるんですから」
「…………はい」
セリの不安は、明後日開かれる見合いへと寄せられていく。
舞い月。
山々が紅葉に色づくこの実りの月には、元来各地で祭りが執り行われる。
魔王城も月末の白銀祭を控え、そわそわとした雰囲気が漂っていた。
屋台で展示する作品を作ろうと躍起になる職人達。
視察団の宿泊施設の建築に追われる大工班。
農耕部隊の樹人(トレント)畑はにわかに湧き立ち、そして戦闘部隊も、何やら動き始めていた。
「大変だああああああああああああ!!!!」
魔王城地下一階、樹人(トレント)の畑に戻ってくるなりツワブキは大声を上げた。
下層からの探索の帰りだ。彼の叫びを、整地に取り組んでいたディフェンバキア班、樹人(トレント)の駆除に勤しんでいた戦闘部隊の面々が迎える。
「…………どうかされたんですか?」
その中の一人、ローレンティアが呟くと、ツワブキはぐるりと勢いよく彼女の方を向く。
「出た!出たんだよ!!いやーマジで出ちまった!!!」
「何なんすか?」と、隣のオオバコ。
「いやいや、先日の会議でよ、もっといいモノありませんか?なんてワトソニアがほざきやがるから、ついでと思って探索行ってきたんだ地下三階!そしたらいやがった!!」
「だから、何が」一緒にいたアシタバが苛立つ。
「カルブンコがいたんだよ!!」
なにそれ?
というローレンティアの言葉は、出ることはなかった。
「………それは本当か」
「カルブンコだと?」
「マジででたのか」
「おいおいおいおい」
その名前にざわつき湧き立ち、そしてついにはうぉおおおおおと歓声を上げる男たち。
ツワブキも満面の笑みを見せる。
「そうだ!!どうだい、やったぜお前ら!!
今すぐ地下三階に切り込むぞ!!視察の前に奴らを数匹捕まえよう!!」
「あ、あの…………」
カルブンコって何ですか?と、ローレンティアだけが取り残される。
「カルブンコっていうのはトカゲ型の魔物になる。
古い伝説では彼らは黄金色に輝く脚の生えたトウモロコシ、なんて言われたが、その実態はエリマキトカゲに近い。
めくれたような襟がトウモロコシの皮に見えたんだろう」
急遽執り行われたアシタバ講師の魔物研究会。
集まった一同の誰よりも、その存在を知らなかったローレンティアは熱心に聞き入る。
「体長はトウモロコシよりもずっとデカい。
オオトカゲ科の大きさだな。金色のその体も人気が高いが、何を置いても言うべきは彼らの尻尾だ」
「おいおい、それぐらい知っているぜアシタバ!常識だろうが!!」と、ヤクモが野次を飛ばす。
「まぁ……一応基礎から全部説明する」
と言いながらアシタバはローレンティアを見る。
あ、知らないってバレてるな、とローレンティアは少し恥ずかしさが湧いた。
「彼らはオオトカゲ科のサイズにしては独特な、トカゲの有名な特性を持つ。
自切、つまりトカゲの尻尾切りだ。
捕食者に襲われた際の囮を作る習性だが、カルブンコの場合は尻尾が残れば、探検家たちは決して本体を追わない。
彼らの尻尾は市場で高級素材として取引されるからだ」
「カルブンコの砥石」
ローレンティアの無知を同じく察したのか、キリもアシタバの説明に無表情に手を貸す。
「そう。刃物を扱う者なら誰でも知っているし、魔物産の高級素材の代名詞の1つだ。
もはや一般的とさえ言える。カルブンコの尻尾はとても砥石用途に向いている。
石のように堅く、粒度や結合度の観点から見ても、非常に高性能でかつ対応幅が広い。
粒度が尾の根元から先端まで綺麗なグラデーションを描いているんだ。
剣士や料理人は、彼らの尻尾が喉から手が出るほど欲しい」
だから武器を扱う戦闘部隊の者たちがこれほどいきり立っているのかと、ローレンティアは納得する。
「ツワブキ……!ツワブキ!!」
荒々しく声を上げて、その研究会の部屋に入ってきたのは砥ぎ師のウルシだ。
走ってきたのか肩を上下させる老体を、【道楽王女(ミーハークイーン)】ナズナが脇で支えていた。
「カルブンコを発見したというのは本当か!?」
「ああ、マジだぜウルシのおっさん」
「そうか……。ツワブキ、何としてもカルブンコの生態を保護しろ。尻尾の安定供給だ。
さすれば儂が、お前達の武器手入れの全てを請け負うことを約束しよう」
場の全員が凍りつく。ローレンティアにはすぐに理解はできなかったが、武器を扱うものにとってそれは、一流シェフが高級食材で毎日晩御飯を作ってくれる、という宣言に等しい。
「………このツワブキの、全身全霊を懸けて約束するぜ」
にやけの抑えられない、締まらない顔でツワブキが応える。
「地下三階をカルブンコの牧場にする」
ツワブキは高らかに宣言した。
方針が決まれば戦闘部隊の仕事としては、月末の視察までに出来る限りの形にすること。
「といっても今からじゃあんまりは無理だ。
数匹捕まえた上での生態系の把握。これが今月の目標だ」
カルブンコは存在自体は有名だが、その生態系にまで深く切り込んだ記録はない。
出会えばとりあえず尻尾を奪うという行動が常で、観察に徹する者は皆無だったからだ。
樹人(トレント)のように彼らを残すというのなら、彼らが今棲んでいる地下三階の、何を残すべきで何を削っていいかを見極めなければならない。
何を食べてどこで眠る。天敵はいるのか?危険性の排除とカルブンコ生態系の保護の両立。
アシタバとしては正直、不満と言えば不満だった。
迷宮蜘蛛(ダンジョンスパイダー)やミノタウロスは根絶するとあっさり決めたのに、商業的価値のあるカルブンコは残すと即決。
独善的で不公平。だが文句を言ってもいられない。
樹人(トレント)、人魂(ウィルオ・ウィスプ)に続き三例目の魔物を残そうという動きだ。
こういう例を増やしていくことが自分の目的の助けになる。
地下二階、巨大な迷宮蜘蛛(ダンジョンスパイダー)達に繊細な注意を払いつつ、戦闘部隊の一同はウォーウルフの迂回路から地下三階へ続く洞穴へ素早く入り。
そして下っていく洞穴を抜け地下三階に辿りつく。
地下三階に入って初めて目に入ったのは、左手の湖だ。恐らくフロアの半分ほどを覆っている。
それに接するよう砂浜がフロアを分断する形で広がり、湖の反対側、右手には南国の島のような、海近く特有の小規模の雑木林が広がる。
改めて地下三階に踏みだし、ツワブキが語り始めた。
「今のところ地下三階で確認できた魔物は二種。カルブンコ、そしてウォーウルフだ」
その言葉にアシタバとローレンティアは目線を交わし、そしてまたフロアへと目を向ける。
「ここって――――」
「ああ、俺達が落ちた場所だ」
奇しくも半年の月日を経て、彼らは再び戻ってきた形になる。
咲き月、ローレンティアが魔王城入りした初日。
彼女とアシタバが落下し一夜を過ごした、あの空間が目の前に広がっていた。
九章一話 『長女セリと始まりの地』
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