八章五話 『レベル:中級者』
アシタバ・タマモ班側。
現れたミノタウロスの、三頭のうち一頭が突進をしかけてくる。
アシタバ班側の先鋒を務めるのはキリだ。
ミノタウロスの顔面目掛けナイフを投げ、相手がそれを棍棒で払う――――。
瞬間、相手の足元へ素早く潜り込む。突進とすれ違う一瞬で相手の腱を裂き。
足がもつれ倒れ込むミノタウロスの頭部へ、アシタバが止めを刺す。
ナイフ使い、キリ。
班で一番どころか、英雄達にさえ引けを取らない高い戦闘能力。
銀の団全体を通しても素早い身のこなしという点では一番である。
残った二体が怒声を上げキリに殴りかかるが、屈み、跳ね、棍棒二撃を交わすとキリはミノタウロス達の背後へ回り込む。挟み撃ちの形だ。
「オオバコ、向こう側からはキリが一人で相手取る。
俺達の仕事はこっちから挟み撃ちにしつつ、できるだけこっちを向かせ続けることだ」
オオバコの肩を叩きながら、アシタバの目線はミノタウロスに一直線だ。
「一頭。できるか?」
「おおよ!」
ハルピュイア迎撃戦が実戦初舞台。
その後アシタバとの鍛練、迷宮蜘蛛(ダンジョンスパイダー)との訓練を重ねてきた、これがオオバコのソロデビュー戦と言える。
アシタバとオオバコは横並び、一人一頭のミノタウロスを相手取る。
溌剌、恐れよりも勇猛さが滲むオオバコを、アシタバ、ローレンティア、キリ、グロリオーサがフォロー厚めの眼差しで見守る。
駆けだしは静かだ。
今やキリの方を向くミノタウロス二頭へ、背面攻撃(バックアタック)を仕掛けるべくアシタバとオオバコが駆ける。
「今!」
が、完全に攻撃を仕掛けはしない。
適切な距離で二人が踏みとどまり、後方へ仰け反ると刹那、その場所へ棍棒が振り下ろされる。
ミノタウロスの単眼視野の広さ。彼らに不意打ちは通じない。
その挙動を見て、背後となったキリが素早くナイフを投擲、二頭に二本ずつヒットさせる。
これがミノタウロス戦の基本。リーチを的確に把握した牽制し合いの削り合い。
ミノタウロスがキリの方へ向いた瞬間、アシタバは手早く近づき切りつけ、即座に撤退する。
が、オオバコは見送る。アシタバのやり方を観察する。好判断だ。
やれないことを判断できる味方というのは頼もしい。
オオバコに心配を寄せていた面々が少し安心したところで………。
「―――なんだ?」
彼らはまだ知らない。
ホリーホックの兵器論に則るのなら、魔王城という世界最大の洞窟ダンジョンは兵士育成の総本山であり最先端だ。
大蜘蛛(ビッグスパイダー)が新種、迷宮蜘蛛(ダンジョンスパイダー)へと進化していたように、見慣れた、戦い慣れた魔物だとしてもここでは決して油断をするべきではない。
「
傭兵が戦場でよく取る、お互いの死角を潰す戦闘態勢。
それを知性魔物でないミノタウロスが取ってきたことに、場の誰よりもアシタバが呆然としてしまった。
「アシタバ君!前、前!!」
見かねたモロコシの声で我に帰る。
元よりミノタウロスに死角はないが、持つ棍棒は1つだ。
だから前か後ろ、どちらかしか相手取ることはできず、挟み撃ちが有効だとされてきた。
だがこれでは。
「正面切って戦うしかねぇ。そうだな?」
呆けるアシタバの前に出る形でオオバコが進言した。
「そしてやり合うにはパワーがいる、と」
決意を固めたような彼の眼をアシタバが受け止める。
蹴落とせる内に千尋の谷に蹴落としておく、というツワブキの言葉を思い出す。
「………分かった、任せる」
「任された!」
アシタバの声を受けて声を張り上げる。オオバコの判断は正しい。
ミノタウロスと正面から戦うという話になるのなら、求められるのは相手の攻撃をいなすパワーだ。
アシタバ班で最もタフかつ、戦闘部隊で五指の力持ちに数えられるオオバコは適任と言える。
戦闘練度が十分であれば。
「――――探検家オオバコ、推して参るぜ」
自らの背丈を大きく超えるミノタウロス。
両手斧を再度構え、オオバコがそれに向き合う。
「ユズリハ!ユズリハ!!!」
怪訝な顔を見せる同級生達に構わず、探す相手の名を叫び廊下を早歩くのは一年前のシキミだ。
やがて数ある資料室の一つで生物学を記した文献に目を落とすユズリハを見つけると、荒々しく本を取り上げ視線を自分へと向けさせる。
「聞いたわ…………銀の団志願?」
「あら、シキミ。こんにちは、今日はいい天気ね?」
「答えて!!」
相も変わらず清廉、という佇まいのユズリハだが、この時ばかりは何か陰があったことを憶えている。
否、彼女が陰を隠すことを止めていた。
「………ええ。私から志願したの。
ちょうど団の秘書業務をこなせる文官を探していたようだから、そこに当ててもらえるみたい。
私の歳にしては責任の重い、やりがいのある職を頂けたわ」
「そんなことは聞いていない。どうして?」
「………………………」
あの、世界中から頭脳明晰の天才たちが集う王立学院で、学年二位のユズリハだ。
尖った思想を持っておらず、また王立学院の生徒にしては珍しく人当たりのいい性格で、礼節も染みついており、品行方正を地で行く彼女だ。
性格と祖父に難ありの学年三位(シキミ)や、身分に難ありの学年一位よりも彼女の価値は高い。
彼女がその気になればどこへだって仕事に就けるだろう。
それがどうして
「………あなたのおじい様の論文、私は予てより興味があったのよ。
魔物を仲間として迎え入れるべき。
私は賛同や共感とは言い難いのだけれど、無視すべきではない可能性と考える。
……だから、私以外の誰かがやりそうにないのなら私がやりたいの」
にこりと、笑いながらユズリハがそう告げ。
「嘘」
真顔でシキミが断じる。シキミには分かっていた。
動物愛護や自然保護や、未来の可能性という大義や、ましてや命を惜しんでいるわけではない。
ユズリハには尖った思想はない。
猫を被って隔てた現実、本を漁って膨らんだ視野。
彼女にとって現実は希薄、強い思想を持つには
良い仕事も、成績も、夕食も、伝統も戦争も学友とのお喋りも。
彼女の前ではおしなべて公平だ。
追及するシキミに、ユズリハは悪戯を咎められる子供のように笑う。
性質というものを彼女に押し当てるのなら、悪というよりは純粋だ。
「………感銘を受けたのは本当よ。私はただ、知りたいの」
知りたい。それがユズリハを動かす唯一のものだ。
人を見下すことも嫌うことも決してしない。
彼女はどこまでも純粋に、それにのみ忠実だ。
未知を未知のまま残しておくなど。
「あなたはどうなの?シキミ」
「………私?」
「私は参加するべきだと思うけど。
あなたのおじい様の論文の、真否を確かめる良い機会なんだから」
2.8メートルほどの巨体が、その棍棒を大きく振り被る。
振り下ろされるそれに対し、オオバコは斧を斜めに構え受け流す。
斧の柄を削り滑る棍棒。受け流すといえど相応の重圧がオオバコを襲う。
「ッ――――!!」
受け流され、地面に着弾した棍棒はしかし既に返しを終えている。
水平な薙ぎ払い――を、強く上に跳ねのけて下を潜る。絶え間ない重傷級の連撃だ。
人を超えるパワーと人を超えるリーチ。
その差を埋めるには、人が彼らより上回る知性、それに基づく武術を身につけていることが必須条件と言える。
かわして近づくか、受け流して近づくか。パワー型のオオバコが採るのは後者だ。
何度目かの振り降ろしを受け流し、隙をついてようやく斧の一撃を喰らわせる。
長い、長い対ミノタウロスの消耗戦の、これが一撃目だ。
「オオバコには、重量系の相手を主に任せることになると思う」
以前の記憶。組み手鍛錬の休憩時、ふとアシタバが呟いたことがあった。
「アシタバ班にはキリがいるし、絶対防御持ちのティアもいる。
なかなか戦闘で困ることはないパーティなんだが、1つ課題があるとすれば攻撃力だ」
「攻撃力」
アシタバにのされ、地面に大の字になるオオバコは息を整えながら話に集中する。
「キリは手数の多さで攻撃を賄うスタイルだからな。一撃一撃は軽い。
俺達の班ではどうにも、堅い、耐久力のある魔物は相手しづらい」
「そこで俺の筋肉ってわけか」
「そういうことになる。ただ、そういう奴らは概して一撃が重い。
基本はキリが囮の形になるとは思うが………。
正直、危ない役回りなのは確かだ。当分は俺が――――」
「アシタバ、アシタバ、俺は強くなりてぇんだ。
班長としての、探検家としてのお前の判断を尊重はするが、過保護すぎるんなら一言申すぜ」
寝転ぶオオバコと、立つアシタバの視線が合う。
「頼む。早く、強くなりてぇんだ」
焦り、とまでは言えない。
冷静さと滾る熱意を併せ持ったそれは、戦士の精神の理想形だ。
―――生きて帰る。
故郷の、妹のツクシが歪に笑ったあの夕焼けを思い出す。
ミノタウロスの攻撃は絶対に喰らってやらない。
一度でも勇み足の出過ぎをしたら、自分が自分を許さない。
重い、喰らえば重傷必至の一撃を渾身の力で受け流す。
―――守れるくらいに強くなる。
鳥王ジズの尾に脇腹を貫かれたカシューの姿を思い出す。
あの時、自分にもっと力があればと、オオバコはずっと悔んでいた。
だからアシタバに鍛錬を頼んだ。臆しすぎては駄目だ。何も守れない。
隙を見逃さず、時に大きく前に出て、ミノタウロスの体に傷をつけていく。
勇者。兄の親友と言われた男は鳥王ジズを呆気なく切り伏せた。
兄貴であればもっとうまくやったんだろうか。
自分は早くそうなりたい。焦ってはいけない。できないことはやれない。
できるようになるための階段を、一歩でも早く。
情熱と冷静の間。死への恐怖と蛮勇の境目。
妹との約束と親友の死を経た悔恨が、刃の上の精神性と呼ばれる、戦士が在るべき境地にオオバコを立たせていた。
「
もはや、オオバコ対ミノタウロスの情勢は歴然だった。
オオバコは棍棒の攻撃を一度も喰らわず、ミノタウロスの体は今や幾重もの切り傷が刻まれている。
力のなくなりつつある振り降ろしを同じように受け流すと、オオバコは今までにも増して強く、前に出た。
「終わりだ!!」
叫び、斧を振り被るオオバコの目が見開かれる。
対面するミノタウロスが後ろに下がったからだ。後退?背中合わせなのに?
というオオバコの疑問は、すぐに吹き飛ぶ。
後退ではなく回転。
対面していたミノタウロスは向こうへ周り、交代する形で背後のミノタウロスが出てくる。
「
二度目の予想外に驚愕するモロコシの声も、オオバコには届かない。
彼に新しく対面したミノタウロスは、既に棍棒を振るい始めていたからだ。
止めを刺すべく、無防備に前に出ていたオオバコを、それは的確に捉えていた。
「ッ………!!」
「十分だ」
声と、過ぎる影。重い衝撃はオオバコの隣を掠めていった。
庇ったのはアシタバだ。斜めに構えた剣で棍棒を弾いていた。
「アシ―――」
安堵に破顔しかけたオオバコが固まる。アシタバの右腕だ。
助けに入り、不完全な体勢で重い一撃を受けたそれは、不自然な角度に折れていた。
「おい、お前………」
「オオバコ!!何よりも前に脅威の排除だ!!!」
タマモの怒声。アシタバが受け流した棍棒は、返しを終えて二人に狙いを定める。
アシタバが剣を持ち上げ―――そして握り損ねて、落とした。
「重量軽減
薙ぎ払われる寸前の棍棒に黒い蝶が付着する。
直後ミノタウロスは棍棒を振り、それは明後日の方向へすっぽ抜ける。
「………軽くしておいたわ」
声の主は後方、魔道士グロリオーサだ。
「オオバコ!!!」
タマモの叫びに、応えるより優先すべきこと。
オオバコは斧を構えなおすと、獣のような叫び声をあげて武器を喪失したミノタウロスに振り下ろす。
渾身の一撃。首元に深く斧が突きささり。吹き出る血と、崩れ落ちるミノタウロス。
一目で斧が簡単に引き抜けないと判断すると、オオバコはアシタバが落とした剣を拾い構える。
もう一体のミノタウロスがこちらを向いていたからだ。
―――――が。
ミノタウロスが視線を反らした刹那、キリが肩に飛び乗り、その首をナイフで掻っ切った。
「遅くなってごめん」
全く呼吸の乱れない氷のような表情だ。同様に崩れる二体目のミノタウロス。
「いや、そんなことは………そうだ、アシタバ!」
「オオバコ君、ミノタウロスの警戒!
キリ君は脈の確認!!アシタバ君は僕達で見る!!」
戦闘を見守っていたモロコシが矢継ぎ早に指示を出す。
いつものんびりとした彼の、気迫ある声にオオバコは思わず背筋を伸ばした。
「グーちゃん!アシタバ君に治癒(ヒール)を!!」
「……そりゃあ私がしてもいいけど。アシタバ班にはいるでしょうよ、回復役が」
グロリオーサの呟きやモロコシの指示を待たずして彼女、ローレンティアは既に飛び出していた。澄んだ顔だ。
土壇場で自分のすべき事を見極めるという点において、ローレンティアは高い素質を持っている。
「オオバコ、キリ、怪我はない!?耐えられる!!?」
「お、俺は大丈夫だ!」
「同じく。アシタバを優先で」
二人の返事を受けるとローレンティアは、右腕を抑え蹲るアシタバに駆け寄る。
「腕が折れているの?……どうしよう、出血じゃないと効果は薄いかも」
「添え木の固定は自分でできる」
「分かった。じゃあ、私は痛みを」
腕に掌を添え、柔らかな光を発し、患部に当てる。
治癒魔法(ヒール)。全ての魔道士が最初に習得する始まりの魔法だ。
初めてのことだった。
ローレンティアにとっては初めて人に施す魔法だ。
自分が持って生まれた呪いを忌み嫌われない形で、人を助ける形で使えた瞬間。
そしてアシタバにとっては、今まで一人で潜ってきたダンジョンで初めて人に助けられた瞬間だ。
今まで怪我をしたのなら、一人で応急処置をして一人で警戒をしながら地上へ帰る。それだけだった。
アシタバは自分の折れた腕に集中し、魔法をかけるローレンティアの姿を見入るように眺めていた。
「………ま、最後は危なかったけど実際のところ大金星だよ。
咲き月から半年でミノタウロス討伐なんて、探検家界を探してもなかなかいないんじゃないかな。
流石にもう初心者や見習いは卒業だね」
再び爆弾岩探しに取り組むタマモを背後に、モロコシはオオバコを労う。
「はぁ、どうも。でもアシタバに庇われて怪我までさせちまったし………」
「背中合わせの陣形をしてきたミノタウロス相手にお前を当てたのは俺の判断で、カバーも俺の役目だった。
どっちかっていうと俺の判断ミスかカバーし損ねだ」
包帯で巻かれた右腕を布で下げ、アシタバが何でもないようにフォローする。
「そういうことだね。
キリ君も有効打が出せず苦労していた相手を、先に崩したことで突破口を開いたわけだし。
僕が怒るとしたらアシタバ君が怪我した後の対応だ」
「………はい」
それはオオバコも反省をしていた。
あの一瞬、曲がったアシタバの腕を見てオオバコは硬直してしまった。
心配。後悔。自責の念。それらに支配されて目の前の敵への対応が遅れた。
グロリオーサの援護が遅れていたら、二人とも棍棒で薙ぎ払われていたかもしれない。
「味方の死地より脅威の排除、だよ。
非情に聞こえるかもしれないけど、咄嗟の判断を間違えないためにも、これはよく探検家の間で言い聞かされる」
その言葉はオオバコだけでなく、キリも、ローレンティアも、グロリオーサも、そしてズミも神妙に受け止めた。
「ま、撃退できたようでなによりだぜ。後続もこねぇみたいだしなぁ」
床に伏せながらタマモが呟くように言うと、一同はようやくそれに気付く。
「そういえば全然こないですね、ミノタウロス………」
呟くズミに、アシタバは少し顔を曇らせる。
背中合わせに
「多分、頭数のかけ方を知っているんだろうなぁ」
アシタバが感じている不安をタマモが口にする。
「頭数のかけ方?」
「戦力分配。傭兵の考え方だ」
タマモの答えに、一同がはてなを浮かべたところでそれは起こった。
地響きと、遠方からの爆音。
「な………?」
「………始まったか。ストライガの戦陣が」
まるでその場が見えているかのように、アシタバが音の方向を睨んでいた。
八章五話 『レベル:中級者』
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