七章九話 『雨の日も風の日も』

翌日。

工房街の北側、ゴジカの人魂(ウィルオ・ウィスプ)実験用の工房で、アシタバとゴジカは炉を観察していた。


「…………多分空気、だな」


「空気?」


アセロラに呼ばれ、ゴジカの工房にやってきたアシタバは来るなり核心を突く。

部屋の後ろではゴジカの妻ヨモギと、ローレンティア、ナズナ、ナナミ、アセロラが事の成り行きを見守っていた。


「火ってのは空気を使って燃えるんだろう。特に鍛冶じゃ、その辺にあえて制限をかけるとか……」


「よくご存じっすね!その火炉は鉄鉱石を加工するためのものですが、空気の供給を絶妙に抑えて燃やすことで純度の高い鉄を得てるんすよ!!この塩梅がまた職人技で!!」


ゴジカの技を何故かナズナが自慢げに解説する。

炉内を酸素不足にして酸化鉄を還元、酸素を取り出す……アシタバでも少し背伸びして知っていたような知識だ。


「つまり……こんな取り囲まれたような炉の中じゃ人魂(ウィルオ・ウィスプ)達は酸欠になってしまうわけだ。だから火を弱める」


「ふいごで空気は送ってるぜ?」


「違うよ、ゴジカさん。

 酸欠っていう俺の表現が悪かったが、こいつらに送るべきは酸素じゃない」


「……亜霧(ムドー)」


アセロラの言葉に、アシタバが頷いた。


「その辺のこと、分かりきっているわけじゃないんだが……。

 魔物は空気でも呼吸は賄えるが、恐らく空気だけじゃずっとは無理なんだ。

 僅かでもいいから亜霧(ムドー)は含まれてなきゃいけない。

 それで多分、ゴジカが上手くっていないっていうんなら……。

 高温下、酸欠気味の炉内じゃ、高濃度の亜霧(ムドー)が必要なんじゃないかな」


「………なるほど。空気、空気か!盲点だった!流石だぜアシタバ!」


長かった手詰まりに一縷の望みが見えたことに、ゴジカは破顔した。


「ついでに、参考として聞きたいんだがアシタバ。

 お前ならその亜霧(ムドー)の問題をどうやって解決する?」


「………とりあえず手っ取り早く試せそうなのは、スライムシートの再利用かな。

 亜水(デミ)を濾過し続けて、魔素(カプ)が溜まったスライムシートをふいごの先につける。

 うまくいけばそれで亜霧(ムドー)が送れるかも。

 ただ亜霧(ムドー)は体にいいモンじゃないから注意はしないとだな」


「よしよし、早速試してみるぜ!

 はは、やっぱりお前はいい奴だなぁアシタバ!!」


背中に張り手を受けるアシタバを、昨晩の話を聞いていたアセロラは優しい眼差しで見守っていた。





「なんにしても助かったわ。

 これであの人の実験が進めば、もう少し休息を取ってくれるだろうし」


地下にある鍛冶場から上がって一階。

用事を済ませたアシタバと、スライムシートを譲って貰いに出掛けたゴジカを見送った後。

ゴジカの妻であるヨモギは安堵に胸を撫で下ろす。


「休息。そんなに切羽詰まっていたんすか?」と、ナズナ。


「そりゃあもう。朝早くから深夜遅くまで工房に籠ることもざらでー。

 しまいには炉の傍で仮眠を取ろうとするものだから、危ないって引っ張りだしたり大変だったのよ」


「うひゃー、しかしその熱意、ゴジカさんっぽいすよねぇ」


「でも駄目なものは駄目なのよ。

 普段は工房街のまとめ役なんて言われている癖に、自分のこととなるとズボラというかなんというか。駄目なことが分からなくなるの」


その台詞に、ローレンティアは反応する。


「………そういう時はどうされるんですか?」


「んー、だから側にいる私が言ってあげないとね。

 それは駄目なんだって。力づくで引っ張りだしたりしてさ。

 誰もが、自分じゃ自分のことを分からなかったりするものよ」


年長者、そして熟練のゴジカの妻であるヨモギの言葉を、ローレンティアは素直に敬意を持って受け止める。






貴族区、ローレンティアの館。

椅子に腰かけるローレンティアを前に、エリスは困ったような苛立ちを隠さない。


「四人の専属服飾士スタイリストと契約してきましたと。本国に断りもなく?」


「ごめんなさい」


というローレンティアは全く悪びれる様子はない。エリスは諦めたように溜息をついた。

元からそのつもりだったのだろう。

本国に相談すれば、橋の国ベルサール出身の職人を宛がうに決まっている。

そしてその職人はローレンティアの悪評もあり、橋の国ベルサール内での仕事は難しくなるだろう。

橋の国ベルサール出身で王家が声をかける位置におり、魔王城行きに好意的な者などいないと言い切ってさえいいだろう。

これはそれを見越したローレンティアの独断専行だ。間違ってはいない。


「………いいでしょう。ですが出身はともかく、腕と人格は基準以上でなければ私が認めません。

 後日、私の方で彼女達の工房を見学し、審査をさせて頂きますがよろしいですね?」


「そうね、しょうがないわ」


カンザシさん大丈夫かなと思いつつも、そのエリスの権利は認めざるを得ない。


「それで、どうだったんですか?」


「え?」


「ナズナ達の案内は」


「あー」


キリとユズリハにも同じことを聞かれ、つまりはどの子が一番なのかを迫られたわけだが。


「良い子だったよ。みんな。エリスが褒めるのも分かる」


「では、三人の中で一番は―――」


「エリス、エリス。ごめん、それより1つお願いがあるんだけど……」


何とかエリスの追及を避けつつ。

ローレンティアはヨモギの話を聞いて決心した、それの準備を始める。







日は沈み、夜になる。


夕食を食べ終えたキリは普段と同じく、ローレンティアの館の屋根の上に上がった。

用事がなければここで鍛錬をしつつ護衛、深夜を過ぎれば寝つつ護衛がキリの日常だ。

まずは座禅を組み、精神統一をする。


「……………………………………………」


だが今日は、いつもより手間取っていた。

昨日の、斑の一族イブキとの会話が彼女の体内に反響する。

白銀祭に合わせたローレンティア暗殺計画。


どのくらいの規模で?何人で?どうやって?分からない。

けれど対処をしなければならない。珍しい不安がキリの心を覆う。

世界最強の暗殺集団。その強さは嫌という程知っている。

結果至上主義で、冷淡で機械的で。

何も考えずその一部として生きてきたが、いざ戦うことを考えると、どこまでも続く暗闇に身を落とされるかのようだ。


――――――と。



んっしょ、んっしょ。という声が、微かにキリの耳に届いた。

瞬間、戦闘態勢―――が、それはすぐに解かれた。

梯子が屋根に立てかけられている。

それを昇ってくるのは明らかな素人……ローレンティアだ。


「………ティア?」


「うわ、本当にいた!キリ、いつもここに?」


「………あなたが寝ている間は」


「雨の日も?」


「風の日も」


何でもないように応えるキリに、ローレンティアは少し呆れた顔をする。


「キリ、ちょっと下に降りてきて?」


「下?私は別に………」


「いいから、来て」


珍しく有無を言わさない圧力を出してきたティアに、キリは素直に従った。

下、ローレンティアの寝室に降りると、数種類の布団が置かれている。


「………………?」


「とりあえず何種類か用意してもらったから好きに選んで?

 そしたらエリスにメイキングしてもらうから」


「何を?」


「あなた用のベッドよ」


はあ、とキリは戸惑うことしかできない。


「単刀直入に言うわ。

 キリ、私の館の一室をあなたに使ってもらうことにしたの。

 今度から、夜の護衛の時はそこで寝て?」


「私なら大丈夫。どこでも寝られるように訓練されているし、全然平気よ」


「これは大丈夫とか平気とか、そういう話じゃないの。

 十割私のわがままよ。それで願いでもある。

 キリ、あなたは今までそう生きてきたかもしれないけど、ここで、これからはそう生きて欲しくはないの」


キリは黙ってローレンティアを見つめた。

意外そうな、驚いたような……初めてのものを見る目だ。

まぁ、ローレンティアという奴は屋上に護衛を待機させ続ける、という悪評が立つのではないかと心配はかねてよりしていた。


「1つ、要望が」


「なに?」


「屋上じゃなくて室内にいろというのなら、視認性が下がる。

 どうしても室内にこだわるのなら、同じ部屋で寝させて」


ローレンティアは少し驚く。

が、それが自分の望む方向へ、キリを歩ませるきっかけになるのなら………。


「分かった。エリスに準備してもらうね」





こうして呆れ果てたエリスにメイキングをしてもらうと、ローレンティアの部屋にはベッドが2つ並ぶこととなった。


「ふふ、こういうのはじめて」


「私もよ」


初めてだった。今まで殺しの道具であれと育てられ、任務と鍛錬の日々を生きてきた。

母親以来の、自分を人間として扱おうとしてくれる人。


「……………ティア、大事な話があるの」


「ん、なに?」


「来月、斑の一族が動くわ。あなたのお母さんがまた手を打ってくる」


それが亡きものにされようとしている。

ローレンティアは、彼女が死に直面した時に見せるあの静かな表情でキリの言葉を受け止めた。


「今まで引き延ばしにしてきたけれど、もう駄目みたい。

 白銀祭で、彼らはあなたの命を狙ってくる」


「…………うん」


「どれくらいの規模か分からない。

 でも殺しのプロの彼らが、確実と思える計画を敷いてくる」


「分かったわ、キリ」


フウリン達を勧誘する際にもハゴロモを勧誘する際にも、ローレンティアは彼女達のこれからを案じ離れるべきかどうかを考えた。

ナナミやアセロラは彼女のその悪癖を見抜いていたが、ローレンティアはそれをキリにも適用することはない。

既に認めているからだ。


「共に、戦いましょう」


「…………ええ」


浮き月中旬の夜、彼女達は誓い合う。単に護り、護られるだけではない――――。



共に生きる、ということを。







一週間後。

緊急の班長会議が開かれることとなり、戦闘部隊の九人の班長達が集まる。

何かあったのかと不思議そうな顔をするアシタバ達に、ツワブキは神妙な顔をして説明を始めた。


「…………掘り当てちまったんだよなぁ」


「何を?」


「ディフェンバキアのおっさん達が、ウォーウルフの迂回路の整備中にさ。新しい空間をだ」


その言葉に、全員がディフェンバキアの方を見る。

 

「………あの迷宮蜘蛛(ダンジョンスパイダー)達の空間は、地下二階の一部のようじゃな。

 あの周囲に、縦横無尽に洞窟が広がっておる」


ツワブキ班おれたちの調査の結果―――そりゃあ迷宮だった。

 今度は魔物の擬態品なんかじゃねぇ。モノホンの、天然ものの迷宮だ」


天然の、洞窟の迷宮。


「ってことはつまり――――」


「ああ、いるぜ。あいつらがよ」



浮き月。薄い雲が月にかかる、暑さの散った秋の月。

彼ら、戦闘部隊はこうして対峙することとなった。

迷宮の主と呼ばれる、入り組んだ洞窟に巣食う魔物。


ミノタウロスに。




七章九話 『雨の日も風の日も』

第七章 了

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