三章五話 『君が笑えば僕も笑う』
弟がいた。
笑ったときに見せる、欠けた前歯を覚えている。
近所の悪ガキと喧嘩し、殴られて抜けたものだ。
確かあれは、貴族の館から出された残飯を争った時だった。
父や母の顔は知らない。
物心ついた時には幼い弟の手を引っ張り街を彷徨っていた。
だから本当は血が繋がっているかさえ定かじゃなかったけれど。
それにどうこう思う暇もなく、空腹に追われる毎日だった。
雑巾のような、みすぼらしい服しか着せることはできなかった。
隙間風のひどい廃屋で眠りにつかせ。
二人でいつも、食べ物を探して街を巡った。
すまないという兄に、弟はいつも太陽のように笑う。
貧しくて、みじめで、何もない生活だったけれど。
二人でならどこへでもいけると思っていた。
「あの、ラカンカさん、1つよろしいでしょうか」
アシタバ達攻略隊一行は、ラカンカのトラップ解除を待つ。
気まずそうにラカンカに話しかけたのはカシューだ。
「………なんだよ」
「あの、最初の時もそうですが、どうしてトラップがあると分かるんですか?」
「なんだ、こそ泥稼業に興味があるのか?」
ラカンカが自嘲するが、カシューは真面目だ。
「いえ、今後の為に」
「…………」
ラカンカが1つ、ため息をつく。
「ほら、見ろよこれ。最初のやつと同じトラップだ。地面の色を見ろ。
普通の床は表面がすり減っているだろう。だがここのラインだけ………」
「真新しい?」
「そう。ここだけ踏まれていない。すり減っていない。
だけどその前後は摩耗が激しい。
魔王軍の奴らは、ここでだけ同じ歩調になった。
それで、糸か何かが張ってあると分かった」
ラカンカがトラップ用の糸を別の糸と慎重に結び、反対側を柱に固定する。
「基本は多分、待ち狩りの魔物を相手にする探検家達と同じだろうぜ。
常に冷静な観察だ。違和感があれば立ち止まれ。
今もそうだったが、前と同じと決めつけない方がいい」
カシューが真剣な顔で頷いた。
その背後にはライラックが立ち、ラカンカの仕事を見学している。
「ためになるな」
「何であろうと専門家の話は聞いておいた方がいい。
カシューは樹人(トレント)相手に失敗した分、気の入りようが違うんだろうが」
その更に後ろでアシタバとオオバコが話し込む。
「………にしてもこの空気どうすんだ。
いや、別に和気藹々としたダンジョン攻略を想像していたわけじゃないけどよ」
「攻略向けのムードではないな。
そもそもこんな大人数で挑むこと自体がおかしいんだが……。
メンバー間の不和はいざという時に響く」
少し離れ不機嫌そうに会話をする貴族組三人を、アシタバは困ったように見た。
「エミリア。ラカンカのあれはちょくちょくあるのか?」
「………なかった。自分が捕まった時でさえ、あいつはあそこまで不機嫌になっていない」
近くで壁際にもたれかかるエミリアは、少し疲れた顔をしている。
「そりゃあ相当だな。
【月夜】のラカンカは貴族の倉庫に忍び込みまくったって話だが……。
度を超えた貴族嫌いだったってことか……?」
「…………」
魔王軍との戦争は、各地に爪痕を残した。それだけじゃないのだろう。
あの戦争に巻き込まれた人々の中には、まだその傷を抱え続けている人もいる。
その兄弟の所属する国が、魔王軍に苦戦しているという話は耳にしていた。
けれどそれを気にするほど、彼らは生活に余裕がない。
日々、食べ物を探して街を駆け回る。時には盗みもするしゴミ捨て場を漁る。
そして時折、高い柵で仕切られた貴族の館の方を見た。
「……兄ちゃん?」
不思議そうに自分を見る弟に、何でもないと笑う。それを見て弟もニカっと笑った。
どうしようもない。誰に怒ればいいのだろう。
生まれや育ちや、場所や親の責任は誰に問えばいい。
怒鳴って誰に届くわけでもなく、やるせなさに身を落とせば弟は困窮する。
頭を空にして、足を止めないことしかできなかった。
それでも、やっぱり時折それは湧き上がってくる。
彼らの館から出てくる、明らかに余っている食料や。
兄弟達の立つ場所とは明らかに違う、煌びやかな館や。
そこで何も知らず笑う貴族達を見るたびに。
黒い渦が、自分の体を切り刻む。
彼らは知る由もない。
彼らの住む街、その近郊に、スライムが出始めていたことを。
魔王軍が彼らの街に攻め込んできたのは、その二ヶ月後のことだった。
「何を書いているんだよ、カシュー」
ラカンカのトラップ解除を待つ間、紙にペンを走らせるカシューにオオバコが訊ねる。
「マップだよ」
「マップ?」
「この2階の全貌を地図にまとめておこうと思って」
その言葉を聞いて、エミリアやアシタバもその紙を覗き込んだ。
丁寧な見取り図だ。今まで一行が辿ってきた構造が再現されていた。
「へぇ、見事なもんだな」
アシタバも感心した声をあげる。
「ウチのじいちゃんが測量士だったんだ。
商人たちに便利な街道周辺の地図を作ったらしくって。
まだじいちゃんが生きてた頃、地図を色々見せてもらったことがある。
だからここでは俺がやってみようと思って」
「地図か」
それは探検家達にはない概念だった。
ダンジョンによっては、三次元的な構造を有するものも多い。
それに魔王軍健在時は、彼らの領土で測量をしている暇はなかった。
「…………」
アシタバが黙り考え込んだので、エミリアが場をつなぐ羽目になった。
「しかし、銀の団の目的が魔王城の居住区化である以上、地図を作る人材はかなり重要だと思います」
「そーだそーだぁ!
トラップの場所も書いてあるし、後続の団員達も動きやすいぜ、こりゃあ」
褒められてカシューは、恥ずかしそうに頭をかく。
「おーい少年ども。2階最後のトラップが終わったそうだぜ」
ライラックが声をかけ、一同はラカンカの元へと集まった。
見ると床板が外されており、ぽっかりと空いた穴からは針山が突き出ている。
その先には三階へと続く階段があった。
「足場が悪いのは許せ。壁際をすり抜けてくれ」
そういってラカンカが、壁際をずりずりと渡っていく。
アシタバ達がそれに続き、抜け、そしていよいよ三階へと昇る。
「この分だと魔王城は四階建てってところか?」
ライラックにアシタバも同意した。
オオバコが伸びをして、気楽な台詞を口にする。
「カシューの地図を見る限り、東西で左右対称の作りみてぇだな。
建物的に二階と間取りは似てんだろうし、三階もさくっといけるんじゃねぇの」
「お前、さっきの話聞いてたか?前と同じと決めつけない方がいい」
ラカンカは呆れた口調だ。
それでも、三階も二階と同様石造りの廊下が続く。
ラカンカは少し進むと、トラップを見つけ解除に取り掛り。
一同はまたトラップ待ちの時間を過ごすこととなる。
「――ん?」
それに気づいたのは
廊下に面した個室、その一室だ。
「なんだあれ、宝箱……?」
個室の奥にある箱が松明で照らされていた。埃の被った、いわゆる宝箱のデザイン。
誰も探索していないエリアだ、こういうこともあるのか。
ここはゴブリン達のフロア……倉庫としても使われていたのだろう。
そんなことを考えながら、ワトソニアは部屋へ踏み出す。
あまり深慮は出来ていない。貴族の彼らは、現場に対する現実感が希薄だ。
彼は気付かなかった。
部屋の入り口、その上に、戸棚のような大きな箱があったことを。
その蓋がゆっくりと開いていたことを――。
「伏せろ!!!」
叫び声と、箱が砕ける音が響いたのは同時だ。
ワトソニアが驚愕し振り返る。
入り口でアシタバが剣を突き上げ、その箱を貫き………。
箱の残骸と、魔物の血のシャワーを浴びていた。
「ひっ……」
「前!!」
落下物にまみれながら、アシタバは声を張り上げる。
振り返ったワトソニアの前、宝箱は既に開いており、そこから長い蜘蛛のような足が数本伸びていた。
「なっ………」
うろたえるばかりのワトソニアのすぐ横を、何かが素早く通り抜けた――槍だ。
槍の投擲が、その箱を貫通し中の何かに鋭く突き刺さり……。
「どけ」
槍を追ったのはライラック。
複数の黒い足を伸ばし、激痛にもがくそれに刺さった槍を掴み、振るう。
宝箱ごとそれは壁に叩きつけられ………。
「もう1つ!」
そこへ、ライラックが槍の追撃を打ち込む。
ピンと伸びる足は、やがて力を失い床に伸びた。
「大丈夫か!ワトソニア君!!」
血相をかえたウォーターコインとグリーンピースが部屋に駆け込む。
オオバコ、カシュー、エミリアが入り口脇の残骸をどけ、アシタバを引っ張りだした。
「ワトソニア君!怪我はないか!!」
「大丈夫だウォーターコイン。動揺しているだけだ。喋れるか?ワトソニア」
「あ、ああ………」
部屋の中央でワトソニアの無事を確認すると、グリーンピースはライラックに向き直った。
「大義であった。騎士ライラック。ワトソニアに代わって礼を言おう」
「礼ならそいつに言いなよ」
壁際の魔物を見張るライラックは、目線を魔物に落したまま入口脇のアシタバを指した。
箱の残骸による擦り傷と、何より悪かったのは魔物の体液を一身に浴びたことだ。
まるで泥塗れのようなその姿に悪臭に、グリーンピースは顔を歪めながら声をかけた。
「お前もよくやった………褒めて遣わす」
「……どうも」
形式じみたやり取りを終えると、貴族三人は部屋から出ていく。
「お前、大丈夫か!?」
「大丈夫だよ。こういうのは慣れている」
オオバコにアシタバが応える。実際、こういう不幸な事故はたまにある。
「ま、ナツメさんに怒られるのは確実だな」
少し困った顔でアシタバは左手を見た。包帯からは血が滲んでいる。
今日はもう武器を持てそうにない。
「アシタバ。大変なら後でいいが………こいつらはなんなんだ?」
ライラックが壁際の魔物の死骸を突いた。
「
「聞いたことあるぜー、有名な魔物だよな?」
オオバコが入り口脇の死骸を見て顔を歪める。カシューはその足を繁々と見ていた。
「なんだこれ……足?どういう生き物?」
「ミミックは、基本的には陸棲のでかいヤドカリと思ってもらえればいい」
「ヤドカリ?」
「ヤドカリ。貝を住処にする浜辺の生き物だ。
彼らは成長し貝が窮屈になると、新たな貝の死骸を見つけてはそこに移り住む」
「箱を住処にする魔物ってことか?」
ライラックの言葉にアシタバが頷く。
「ミミックは魔王軍に占領され人がいなくなった村の民家に忍び込む。
壺や木箱、宝箱を調達してはそこに入り、住処とする。
自分の成長に合わせて、入る容器をどんどん大きくしていく。
ヤドカリは体を守るためだが、ミミックは擬態するためだ。
ハサミも、ヤドカリは貝に潜りこんだ時の蓋として使うために片方だけが大きいんだが………。
ミミックは蓋としては使わず狩りとして使うから、両方が攻撃用に発達している」
「………人間を殺すための進化か」
「そうだ」
「人間を殺すため?」
ライラックとアシタバの会話を分かりかねたオオバコが割って入る。
「宝箱に擬態して狩りをするっていうのは、明らかに人間を騙し捕食することを目的とした習性だ。
アリクイがアリを食べるべく進化した生物なら、ミミックは人間を騙し狩るべく進化した魔物といえる。
ミミックの存在が人間の間で有名になれば、奴らは協力して狩りを行うようになった。
一匹が目を引き、死角に潜むもう一匹が狩りをする」
入口の真上に潜んでいた、二匹目のミミックをアシタバが指した。
「そんな魔物が………」
「何を驚いている。ゴブリン、オーク、巨人(トロル)………。
人に似た進化をした人型の魔物達はみんな、人間と同じように武器を使い、人間と争うべく進化した魔物だ」
ライラックがオオバコに向き直った。
「魔物は生き物か?私は違うと思う。あいつらは魔王の生み出した兵器だ。
人間を殺すため。今ままでの生態系を壊すため。そのために進化し、猛威を振るう。
地下一階の、樹人(トレント)を活用した農法を提案したのはアシタバ、お前だったな」
「ああ」
「私に円卓会議の席があったら反対していたぞ。あいつらは兵器だ。共存するべきじゃない」
それは淡々とした拒絶だった。彼の渦巻く双眸がアシタバを射抜いている。
少し意外だった。いや、当然なのかもしれない。
最前線で魔王軍と戦い続けた彼こそが、魔物達の、『兵器』の面を誰より見てきたはずだ。
それはきっと、貴族を見るラカンカの目と同じだ。
【黒騎士】ライラックは、魔物に憎しみに近い感情を抱いていた。
街が燃えている。
住み慣れた街が、弟と駆け回った通りが、戦火に包まれ赤く染まっていた。
人々は逃げ惑う。あの兄弟も、手を繋ぎ必死に走っていた。
「兄ちゃん!!もう走れないよ……」
「頑張れ!!魔物達がすぐそこまで来てる!!」
安全な方へ、貴族の館の方角へ走った彼らは、あの高い柵の場所へと行き着き………。
そして、柵の向こうで一列に立つ騎士たちを見つけた。
「助けてくれ!!俺達もこの中に入れてくれ!!」
叫ぶ。けれど騎士たちは動かない。
頭の回る兄は、その様子だけで彼らの事情を幾分か察していた。
「お願いだ!!弟だけでいいんだ!!
こいつを使いっ走りでも何でも!コキ使ってやって構わない!!役に立つ!
今柵のこっち側でして欲しいことがあるんなら、俺があんた達の代わりにやってやる!!」
振り絞った声は、絶叫に近い。
何も持たず生まれてきた自分の、差し出せる全てを差し出した。
「だから頼む!!!」
「………何者も、こちらに通すことはできない」
けれどもそれが、彼らに届くことはなかった。
「我々はここを守る。館の主が避難するまでの時間が必要だ。
柵のそっち側でやって欲しいことがあるか?それじゃあ時間を稼いでくれ」
兜の下の、冷たい目が兄を見ていた。
兄は絶望するだけしかない。この状況に。自分の生まれた境遇に。
「……なんでお前ら、そんなところを守っているんだよ。
俺達の後ろに、防衛線を敷きやがって。
……俺達が、貧困街の住人だからか?金を持っていないから?
………親がいないから?………貴族じゃなかったからか?」
限界だった。今まで自分の中でせき止めていた黒い渦が、溢れだす。
「お前らなんなんだよ!!!
俺らがゴミ山漁って食べ物探してるのに、お前らの館では食べ物が腐っていく!!
お前らが安全に避難している間、俺らは時間稼ぎとして死んでいくのが当然なのかよ!!」
もはや、心配そうに見上げる弟すらも目に入らなかった。
「こんなのおかしい!!間違ってる!!!俺達は、生きたいんだよ!!
こんなクズ切れみたいな服着て、ゴミみたいなモノ喰っても!!
それすらも駄目っていうのかよ!!生まれが悪かったから?
それじゃあ、俺達は………!!!」
口よりも先走る感情に、とうとう言葉が続かなくなる。
叫び声を聞きつけた貧困街の浮浪者達が、同じように柵に群がり助けてくれと叫び騒ぎ立てる。
その喧騒の中で、弟だけが聞いていた。
悔しそうに呟いたその兄――――幼いラカンカの声を。
「俺たちはどうすればいいんだ………。
どこへ行けばいい………こんな、こんなの――――」
目線を上げる。憎悪を灯した、あの目だった。
「こんな世界、間違ってる」
三章五話 『君が笑えば僕も笑う』
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