三章六話 『英雄不在』

鉄の国カノンという国は、武勇、強さをこの世で最上のものとする武力国家だ。


国内は常に内乱が絶えず、屈強な兵士の上で、王族や貴族は強くあるべしと鍛えられる。

だから彼らは、弱い者に対して冷徹だった。

できない者は怠け者。貧弱な者は失敗作。そして、貧しい者は不要物。



タルマの悲劇、と呼ばれる事件がこの国で起こった。

魔王軍と人類との戦いの中、とある貴族領での話だ。

その北西で魔王軍に敗北した国王軍は戦線を下げ、そしてその街タルマは魔王軍の襲撃を受けることとなる。


貧困街の者たちは、立ち向かうことを選んだ。

どこかへ逃げるか?行く当ても食い扶持もない。

この戦争時代、どこも余裕はなく、貧困街から来た流れ者を受け入れはしないだろう。

そもそも他の場所が安全かどうかも分からない。

手に棍棒を、鉄パイプを、思い思いの武器を持ち、彼らは自分達の住処を守るべく、魔物達と戦った。


最初の内は貧困街の優勢だった。


スライムは難なく倒せ、続くゴブリン達も集団で向かえば怖くない。

オークは地の利を生かし消耗したところを叩く。

侵攻を受けながらも、貧困街の住民たちは掴んだ勝利に高揚した。

貧しくみじめな生活を続けてきた彼らにとって、初めてに近い経験だ。


だが、そんな雰囲気はすぐに霧散していった。

空からは怪鳥(ハルピュイア)が、そして地上の戦線には巨人(トロル)達が姿を見せ始めた。

3メートルを超す巨体に、住民たちがなす術はなかった。

薄氷の上に保たれていた貧困街の戦線は、呆気なく崩壊する。


彼らの抵抗の間、悠々と自らの領地から脱出した貴族と騎士団は、隣の貴族領で新たな戦線の準備に勤しんでいた。

王国軍も彼らと準備を共にし、タルマの戦闘のことは度外視だ。

彼らは貧困街の住民を試験紙として使った。

どれほどの魔物が投入されるのか。どれほどの戦力が必要なのか。

貧困街の悲鳴には誰も耳を傾けなかった。


それがその国の風土だ。


虐げられる奴が悪い。弱いのがいけなかった。

貧しい奴らがどうなろうと、それは彼らの自業自得だ。

むなしい抵抗を続けつつも、タルマはじわじわと侵略され、緩やかに滅びていく。


あの兄弟も、戦火の中で1つの終わりを迎えることとなる。







ミミックの件を除けば、3階も2階と同様に進んでいった。

ラカンカが罠を見つけ、それを解除するまで全員が待つ。


「左手、大丈夫か?」


「ん?ああ」


罠の解除作業をしながらラカンカがアシタバに声をかける。


「災難だったな。別に、庇わなくってもよかったんじゃねぇの」


「それはワトソニアのことを言っているのか?」


名前を言うのも嫌なのか、ラカンカは答えない。


「お前、貴族嫌いなのか?ティアにはそういう風じゃなかったと思うが」


「貴族が嫌いなんじゃない。

 安全圏から虐げることが当然だと思っている奴らが嫌いなんだ」


目が黒く、黒く沈んでいく。過去に何かあったことぐらいは分かった。


「変われないのか?別に仲良くしろって言うわけじゃない。

 折り合いをつけることは」


「………あいつらと握手するぐらいなら、俺は腕を切り落とす」


沈んだ目と、倦怠感に包まれている体。

しかしどこからか、黒い感情が流れ出ている。

こいつは本当にするんだろうな、と思わせる気迫だ。


「分かった。ただ、トラップ解除に私情は挟むなよ。

 団でお前を信用する奴がいなくなる」


分かってるよ、と呟くラカンカから少し離れる。



角を曲がると、廊下に面した個室の中を繁々と覗くエミリア、オオバコ、カシューの姿があった。


「……何やっているんだ?」


「お、アシタバ!ちょうど聞きたいことがあったんだ」


と、オオバコは相変わらずの明るさだ。


「あれ、気になっていたんだよ」


オオバコが指さした先には、個室の壁に備え付けられている松明があった。

その松明には火が灯っており、ゆらゆらと不規則に揺れている。


「ミミックの時もそうだったけど、なんで松明が燃えているんだ?

 2階には誰も立ち入ってないって話だっただろ」


「ああ」


ようやくアシタバもその疑問を理解した。


「あれは人魂(ウィルオ・ウィスプ)だな」


「ウィルオウィスプ?」


それに答える前にアシタバは個室に入る。

懐から透明な瓶を取り出しつつ、剣で松明の先を切り落とし、そして燃え尽きた松明の先から何かを瓶に入れた。


「こいつだ」


オオバコ達三人が瓶を覗き込む。

オレンジ色のプルプルとした……団子ほどの大きさの何かがいた。


「小さなスライム………みたいな………」


「魔物なのですか?」


「そう。人魂(ウィルオ・ウィスプ)。こいつらは熱をエネルギー源とする魔物だ。

 だから燃えやすいものに点火して、それを末永く管理する習性を持つ。

 発火する時に火花を散らすから、昔は人魂だと恐れられたらしい。

 地上や一階の松明は先遣隊が立てていったものだが、ここや地下の松明はこいつらが灯しているんだろう」


「害はないのか?」


「……敵意、という意味であればない。

 エネルギーを得るために物を燃やし、目の前の火が長く燃えるよう努め、ある程度エネルギーが溜まると分裂するというだけの習性魔物だ。

 亜霧(ムドー)から得た魔素(カプ)を燃料に使っているのか、その辺の化学的なことはいまいち分かっていないが……」


「カガクテキ?」


「……敵意と言う意味でなければ?」


カシューの質問に、アシタバは少し困ったような顔を見せた。


「害は、ある。人魂(ウィルオ・ウィスプ)は単体の戦闘力で見れば、スライムよりも弱いだろう。

 でも最弱の魔物とは呼ばれない。

 何故なら、彼らがスライムよりも直接的な大災害を引き起こすからだ」


「それは?」


「山火事だ」


ああ、と三人が、少し気まずい納得をする。


「ここの松明もそうだが、ゴブリンは人魂(ウィルオ・ウィスプ)を道具的に使用していた節があるな。

 魔王軍との戦いの際に引き起こされた火災は、大体が人魂(ウィルオ・ウィスプ)が原因だ。

 彼らは熱をエネルギー源とする体質上、火や十分な気温なしに長距離を移動できないが、山や食糧庫、燃えやすいものがたくさん集まった場所に一旦行き着くと、小さな発火から大火災へと火を成長させる」


「こえーな………」


「………そうだな。弱い魔物だが、彼らを野放しにはできない」


アシタバは少し憂鬱そうに、瓶の中の魔物を見ていた。









ローレンティアの祖国、橋の国ベルサールは腕のいい建築家を多く抱える建築大国だ。


国土には河が多く、昔から橋を作り保全と修理を繰り返してきた結果、彼らの建築技術は世界一を誇ることとなる。

他国の橋や街道のみならず、神殿のような神聖な建物も取り扱うほどだ。

だから、銀の団設立に際して橋の国ベルサールは何人かの優秀な建築家を派遣し。

つまり、大工班の多くは橋の国ベルサール出身の者で構成されていた。



「こちらが大工班所属の建築家の方々です。

 宿舎、大浴場、工房とここ二カ月は獅子奮迅の大活躍でしたね」


ローレンティア達が訪れたのは、工房街の端にある大工班の詰め所だった。

木材を始めとした建築資材用の倉庫の隣、木造の二階建ての建物で、ピロティの形式の一階は室内ではなく吹きさらしで、班員の休憩用に机と椅子が並べたてられ、そしてユズリハに紹介された建築家の男たちが腰かけていた。


「よせやい、照れるじゃねぇか」


気前よく煙管をふかすのは、白い髭を山羊のように蓄えた老人だ。

黒いニット帽を被り、体格は熊のようなディフェンバキアに負けず劣らず大きい。


「私ぁシラヒゲと申す者です。一応、大工班の班長をやらせてもらっています。

 既に建てたもので、何か不具合があればいつでもお申し付け下せぇ」


「親方、なんすかぁ?その言葉づかい」


後ろに腰かける建築家たちがガハハと豪快な笑い声をあげる。


「うるせぇ、てめらはもっと自国の王族に対する礼儀ってモンを知りやがれ!!」


「ああ、そう言えばシラヒゲさん方はローレンティア様と同じ橋の国ベルサール出身でしたね」


「……………」


キリはそこでようやく、ローレンティアの顔色が悪いことに気づく。

ユズリハも不思議そうだ。エリスだけが事態を見通して面倒臭そうな顔をしていた。


「い、いえ、不具合なんて滅相も……むしろ早急なご対応、感謝しています」


「……シラヒゲさん、何か大工班でお困りのことはないでしょうか?」


様子のおかしいローレンティアの前に出るよう、ユズリハが話を切り出す。


「ん?ああ……立ち上げのここ数カ月は厚めに支援を貰っておるから、不自由はしとらんが……やっぱり欲しいのは休暇じゃな」


後ろの建築家たちが今日一の真剣な顔で頷く。


「まぁ急務だったのは分かっとるが………。

 この二カ月は、デスマーチに次ぐデスマーチで……」


「それは本当に申し訳ありませんでした。

 工房街も建て終わったとのことで、しばらくは余暇を満喫していただけるかと」


「そりゃあ良かった」


後ろの建築家たちが今日一の笑顔を見せた。

 

「ま、依頼の情報を早めに回して、建築材の支給だけしっかりしてもらえりゃ後は何とかするさ。

 ユズリハさんはしっかり仕事をしてくれとる」


「ありがとうございます。

 では後日、来月分の資材搬入の確認に伺いますので、またよろしくお願いします」


ユズリハが意図的に話を切り上げ、この場所を去ろうとする。

ローレンティアの異変を感じ取っての行動だ。


「ああ、王女様」


だが、去ろうとするローレンティアにシラヒゲが声をかけた。


「は、はい……」


顔面蒼白、挙動不審。まるで怒られた犬のように、ローレンティアはシラヒゲに向き直る。

俯き地面を見るローレンティアを、シラヒゲは静かに眺めていた。


「………私達は初日から魔王城にいたんです。

 王女様を地下から引っ張り上げる綱引きにも参加した。

 だから聞いたんですよ。あなたのあの演説を」


驚き、ローレンティアが顔を上げる。顔色が少し戻っていた。


「あなたが今、不安に思っているのは祖国での評判でしょう。

 これでも私は王宮から仕事を賜ったこともありましてね。

 王位第八位、王都不在のローレンティア王女の噂を聞いておらんわけじゃないんです」


キリは黙り、ユズリハはある程度噂を知っているようだった。

エリスも厳しい表情だ。


王族にして呪いを受け、銀の髪を持って生まれ。

両親の不和を誘い、そして辺境の古城に幽閉され。

最初からいないかのように扱われた――。


“呪われた王女”ローレンティアも真剣な顔つきになる。


「それでもね、貴族や騎士たちと私達の考えは違う。

 勿論、呪いに関して抵抗を感じる者は多いでしょうが………。

 私はあの日、初対面の大勢を前に勇気を出して演説をした方を信じてみようと思ったんです。

 あなたの昔の噂を知っている人は、私達以外にもいるでしょうが……。

 あなたはどうか胸を張ってください。背を丸める必要なんかないんです」


「そーだぜ団長さん!!地下一階の攻略!先陣切るなんて大したもんさ!」


「風呂や水も団長さんのおかげなんだろ?

 あんたのこと好意的に話す団員は多いんだぜ?親方なんかもうファンだ、ファン」


「お前らはちょっと黙らんか!!」


怒るシラヒゲに、後ろの若い建築家たちは照れてる照れてる、と笑う。


「………おほん。あなたの住んでおられたのはフォレノワール領でしたかな?

 いい樫の木が取れる緑の豊かな地だ。

 名物の川魚の料理はお食べになったことがおありで?

 今度、クロサンドラさんに頼んで作ってもらいましょう」


にこりと笑うシラヒゲに、屈託のない笑顔を見せる建築家たちに、ローレンティアは返す言葉をしばらく探した。


「―――ありがとう、ございます。その折には是非、ご一緒させてください」

 



変わろうと思った。過去を切り捨てようと思った。

でもどこかで、昔のことは私の足を掴んでくる……。

またあの日陰へ引きずり込まれると思ってしまったんだ。


「エリス」


「はい」


大工班と分かれ次に向かう道中、ローレンティアはエリスに話しかける。


「私、自分のことを話されるのが嫌いだったの。

 どこか、私の知らないところで私が勝手に作られて。

 品定めされて………そして、きっと悪く言われる。

 影口ばかりだったから。でも、違うんだね」


エリスはローレンティアの顔を観察する。

ずっとローレンティアの専属を務めてきた彼女でも、その顔は見ておかなければならないと思った。


「素直にうれしい。期待されること。認められること」


「…………」


彼女、エリスは口を噤み………。

その時の思いや、彼女が僅かに感じた不安も外に出ることはなかった。


ともかく一行は、最後の目的地へと向かうことにする。

再びスタート地点へ。すなわち、地下一階だ。









あの兄弟の、終わりの話をしよう。


貧困街の大人達が魔物へ立ち向かう中、彼らはただ惑うばかりだった。

どこかへ行けるような伝手のある歳でもなかった。

大人達に混ざり、魔物と戦うような歳でもなかった。


弟の発熱が、治まらない。

食事を探して戦闘の合間を駆け抜けている時に、ゴブリンの矢があたったのだ。

衛生環境も悪く、医学的な知識は彼らにはなかった。

あるいは、ゴブリンが矢に何か塗っていたかもしれないが。


症状の悪化を抑えられず。助けを請うても、大人たちは戦闘で忙しい。

むしろ戦闘に参加しないことを怒鳴られる。

兄は、食欲のわかない弟に汚れた食事しか用意できない。



何も。

何も、できなかった。






魔王軍の侵攻を止めきれなくなると、貧困街の住人達は本性を現し始める。


死ぬならせめて、と女を無理やり襲い。

今まで戦闘に参加しなかったような老人や子供を、最前線に押し出しては盾にする。

自暴自棄と、暴力と、狂騒と、死への恐怖。

仲間内で切り合うことさえ少なくなかった。


彼らもまた終わりを迎える。


やがて魔物に完全に制圧された貧困街から、一人の少年が逃げ果せたことは誰も知らない。

駆けて。駆けて。駆けて。駆けて。



少年は独り、月を見上げる。

その眼は黒い渦に支配されていた。


やがて英雄と呼ばれる類。

彼に会ったことのない人々が、そうやって彼を讃えても。

誰も、その眼を。


世界に向けられた否定を知らない。



【月夜】のラカンカの噂は、その三年後から流れ始めることとなる。




三章六話 『英雄不在』

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