二章六話 『迷いの森の決着』
母親の葬式は、ひどく寂しいものだった。
父はおろか、親族は誰も顔を見せず、出席者はキリと役割がある数人だった。
最期まで一族に逆らった母親だった。
攫われる前、騎馬の世話係を務めていた彼女は命というものに繊細だった。
だから彼女は人殺しに、自分の娘が殺しの道具になることに最期まで反対していた。
斑の一族は、そんな彼女を鬱陶しく思い。
確証はないが彼女はただの病死ではないのだろうと、幼いキリはなんとなく感じていた。
「あなたは自由に生きていいの」
ベッドに横たわる彼女は、よくキリにそう呟いた。
任務の後の、形式的な報告の際だ。
彼女は大抵服を返り血で染め、機械的な表情でその言葉を聞いていた。
葬式に参加しても、キリには最期まで分からなかった。
彼女が、母親を疎ましく思う斑の一族側の人間なのか。
それとも、気弱に笑っていた彼女の側なのか。
知らない。
道具として生きろ、と言われてきた。
好きなことを見つけなさい、と母親は言った。
無用な感情は仕事のブレを生む、と言われてきた。
一族に従う必要はない、と母親は言った。
任務の為に生き一族の為に死ね、と言われてきた。
あなたはあなたの為に生きなさい、と母親は言った。
キリは流れに身を任せ続けた。より強い流れに、斑の一族の流れに。
仕事を続け、殺しを遂行し、寝床については機械のように眠る。
たまに母親の言葉を思い出しては。
目を閉じ、すぐに目の前の現実に焦点を合わせた。
アシタバとキリの切り合いは、いよいよ佳境に入る。
アシタバの傷は増え少なくない量の血が流れた。動きは鈍り、息も荒い。
対するキリは無傷だ。汗1つも流していない。
しかし時間を使い過ぎていた。ツワブキ達に合流されると厄介だ。
見えない時間制限に、彼女も余裕があるとは言えない状況だった。
体力と時間。お互いにお互いの限界を見据え。
そしてすぐそこまで来ている決着に備えていた。
最初に動いたのはキリだ。
彼女はナイフを明後日の方へ投げ、それは近場の……樹の幹に突き刺さった。
「………そうだろうなぁ」
悔しそうなアシタバの呟きと時を同じくして、その樹が、樹人(トレント)がうねり、ツルが二人に襲いかかる。
アシタバもキリもツルを切り捨て……そしてアシタバの肩に初めて、深々とナイフが突き刺さる。
「終わりよ」
襲いかかるツルをすり抜け、キリがアシタバにナイフを振るい。
そしてそれを、アシタバが掌で受け止める。
「―――?」
もう片方の手で止めを刺そうとしたキリの手が止まる。
アシタバの掌は貫いた。決着を確信した。だが何か感触が違う――。
赤い何かがナイフと掌の間に挟まれていた。
「大茸(マタンゴ)の…………傘?」
気付いた時にはもやが漂い。すぐに口を覆い距離を取るが、遅かった。
力が抜ける。視界が揺らぐ。
「何故、あなたがそれを………?」
キリと同様に、アシタバも胞子を吸っていた。
「1つ、観察が足りなかったな」
刺し傷を負う左の掌を抑え胞子に抗いながら、苦しそうに、しかし笑ってアシタバが応える。
「ティア達の落下した大茸(マタンゴ)達の縄張り……。
迷いの森が届いていなかっただろう。
不思議には思わなかったか?どうしてあそこだけ樹がないのかって」
思わなかった。恐らくそれに気づくのが、探検家という者達だ。
「樹人(トレント)っていうのは大茸(マタンゴ)の胞子を嫌うんだ。胞子を嗅げば彼らも眠ってしまう。
だから迷いの森に踏み入る探検者は、大茸(マタンゴ)の傘が調達できるなら持ち込む。
いざという時の防衛手段にできるからな」
気づけばキリのナイフに反応した樹人(トレント)も、胞子の気配に気づき元の擬態に戻っていた。
「あんたも大茸(マタンゴ)の傘を持ち込んでいるとは気付かなかったし、俺も人に使うために持ち込んだわけじゃないが………これで引き分けだ、悪いな」
先に体力のないアシタバが倒れ、キリも抗えずそれに続いた。
少しの静寂。ローレンティアも含め地面に倒れる三人。
「おー、いたいた、いやー無事でよかった」
三人を見つけたのは、草をかき分けて出てきたツワブキだ。
口に布を巻いた完全な胞子対策、片手には赤い大茸(マタンゴ)の傘を持っている。
「もう大茸(マタンゴ)使っちまったし、このまま担いで行くかぁ」
夢を見た。久しぶりの、深い眠りだったからだろうか。
依頼の対象は、そうだ、奇遇だが
「私を殺すのかね」
ベッドに抑えつけられ、ナイフを首筋に当てられた男が言う。
怯えた口調だ。死の際は人間というものが露呈する。
大抵は怯える。命乞いをする。現実逃避。虚勢を張る。
ずっと死を考えてきた、と言ったあのローレンティアの顔が思い出される。
眠りにつく時でさえも彼女はその表情を崩さなかった。
澄んだ水のような表情だった。死に直面した顔とは、正反対の。
あの顔はキリに母親を思い起こさせた。
あれに自分が抱いている、この感情は何だろう。
まどろみが晴れていく。目が覚める。
「起きたか」
目の前には迷いの森。そして足元は石畳だ。
後ろを振り返ると、そこには大階段が上へと伸びている。
どうやら選抜隊は無事階段へと辿り着いたらしい。
声をかけたのはアシタバだ。隣にはローレンティアがいた。
キリが貫いたはずの左の掌は包帯が巻かれ、血が滲んでいる。
不十分な応急処置、といった様相だった。
キリの両手は後ろに回され、腕ごと体がロープで縛られている。
彼女の暗殺が失敗したのは明らかだ。
「………私を殺すの?」
呟く。私はどんな顔をしているんだろう。
きっといつもと変わらない、無感動で人形のような顔なのだろう。
キリの言葉に、ローレンティアとアシタバは目線を交わす。
先に口を開いたのはローレンティアだ。
「私の暗殺に関して、あなたを特に罪には問いません。
その代わりあなたには、
は?、というキリの目を、ローレンティアはあの表情で受け止める。
「今、
一つ質問なのですが………あなたが失敗したとして、このまま帰ったらどうなるのですか?」
「一族は失敗を許さないわ。私は殺される」
再びローレンティアとアシタバが目を交わす。今度はアシタバが口を開いた。
「樹人(トレント)について、あんたにまだ説明してないことがあった」
は?、というキリの目を、アシタバの考えの読めない表情が受け止める。
「ツワブキは樹人(トレント)がオリジナルの樹を周囲に据え置くって表現したが、あれは厳密には違う。
樹人(トレント)はオリジナルを育てるんだ。周囲の植物は生きていて、成長をしている」
「………だから?」
「俺は色んな魔物を、色んなダンジョンを見てきた。
その中で1つだけ、ただ1つだけなんだ。
樹人(トレント)だけが、亜土(ヂードゥ)の環境下で普通の植物を育てている」
今度はだから、とは言えなかった。
アシタバが次に口にする、その大きな可能性をキリも理解したのだ。
「俺はこの地下一階、浅い階層で樹人(トレント)に会えたのは幸運だったと思っている。
俺たちはこれを機に、樹人(トレント)について徹底的に調べるべきだ。
彼らがこの地での農業の実現、その可能性を体現している」
どこまでも。どこまでも先を見ていた。
キリが魔王城の構造を調べ、夜間の人の動きを観察し、人殺しの算段をつけている間。
アシタバは水事情の救済に一役買い、そして今度は食料事情の解決に向け動き始めていた。
「分かるか?キリ。
迷い込んだ者を逃さないよう進化を続けてきた、樹に擬態する待ち狩りの魔物。
オリジナルの植物を育てるのは、擬態と防衛のために身に付けた習性だ」
眩しい。母親やローレンティアと同じ表情だ。
それに自分が抱く感情が、キリには分からない。
「魔王がいなくなり、魔物の残党狩りは続いている。
こいつらもこのままいけば焼き払われるだろう。
俺は意味を見つけてやりたいんだ。
これから始まる時代に、こいつらがいてもいい意味を。
別の生き方があるって見つけてやりたいんだ。
そしてそれはあんたに対しても変わらない」
アシタバがキリに手を差し伸べる。その手をキリは見つめる。
「岩壁を伝う移動術。ティアの呪いの弱点を見抜く観察眼。
大茸(マタンゴ)を暗殺に組み込む応用力。樹人(トレント)をツワブキの足止めに使う判断力。
切り合いで俺を上回る戦闘能力。
探検家っていうのは、実は二人一組で行動するのが基本なんだ。
ツワブキとディルはコンビだし、タマモっていう奴にはモロコシって相棒が、ディフェンバキアのおっさんにはゴーツルーって弟子がいる。
俺は一人でやってきたんだが、この魔王城の地で、これから始まる時代を見てやり方を変えてみようと思う。変化に適応しようと思うんだ。
あんたの強さは、暗殺家として鍛え上げられたものかもしれない。
でも、これからの力の使い方を少し、考えてみてくれないか」
ローレンティアとアシタバが、キリを真っ直ぐに見る。
「キリ、俺の助手になってみる気はないか」
二章五話 『迷いの森の決着』
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