二章三話 『待ち狩りの魔物』

一番の盗賊は誰かと問われれば、過去多様な賊が名を挙げたが、当代でいえば大泥棒と呼ばれる【月夜】のラカンカに落ち着くだろう。


彼の生まれた、鉄の国カノンの貧困街は酷い場所だった。

鉄の国カノン全体を見渡しても、そこはあくどい領主の治める区画だった。


魔王軍の侵攻に対しては、貧困街の民は盾にされた。

領主は彼らを人として見ず、魔王軍を計る試験紙として活用した。

騎士団は貧困街の後方に防衛線を敷き、物資の流れも断たれ、貧困街は孤立した。


だから、多くの者が魔物に襲われ命を落とした。

だから、多くの者が飢えに耐えられず衰弱死した。

老人は蹴落とされ、子供は捨てられ泣き喚き、女は鬱憤の捌けに使われた。


やがて大泥棒と呼ばれる英雄の類は、そんな場所で生まれることとなる。






「なん………じゃありゃあ………」


ロープで壁からぶら下がりつつ、ラカンカが呆然と呟く。彼に掴まるエミリアも同様だ。


落ちる瞬間、ラカンカはとっさにローレンティアの方へロープを投げたのだが、彼女は無視してツワブキの方へ向かっていった。

あの瞬間はなんだこの自殺志願者、と思ったが、これを見越しての行動だったのか。

つまり、これはローレンティアが引き起こしたものなのか。

眼下では、黒い塊がうねうねと蠢いていた。


――――と。その黒い塊を、白いもやが包み始める。


「今度はなんだぁ?」


「ラカンカ!!」


戸惑うラカンカに、アシタバが叫び、呼びかけた。

声の方へ目をやると、ラカンカ達より上、少し離れた大階段の側壁にアシタバ、ディルとエゴノキが鎖でぶら下がっている。


「アシタバ、無事か!!」


「何とか!ラカンカ、キリを見たか!?」


「何言っているんだ、お前らの上にいるじゃねぇか!!」


アシタバが見上げると、そこには何食わぬ顔で壁に張り付くキリの姿があった。

流石のアシタバも、怪訝な顔を隠さない。


「それよりアシタバ、下のあれはなんだ?どうなってる?」


「………………」


少し間があった。どこまで言っていいものか、と迷っているのは泥棒稼業、対人観察能力の高いラカンカには筒抜けだったが、彼は深追いをせず言葉を待つ。


「………ツワブキとローレンティアは大丈夫だ。

 ただ落ちた場所がまずかった。落下の衝撃で胞子がまき散らされたな」


あの白いもやは胞子なのか、と納得する。


「あれは眠りを誘う。大茸(マタンゴ)のものだ。ツワブキ達が上に落ちたんだろう。

 大茸(マタンゴ)が天敵に襲われた時、逃げるために使うものだから、二人がすぐに危ないってわけじゃないが………多分、眠ってはいる」


「どうすりゃいい」


「胞子の中に行っては俺たちも眠ってしまう。あれが晴れるまでここで待機だ」


「宙ぶらりんなんだが?」


「晴れ次第、下に降りる。ツワブキ達が起きるまで、動かず周辺の下調べに徹する。

 睡眠時間は大体半日弱ってところだ」


「夜になるんだが?」


「ツワブキ達が起きたら一階へ帰還する」


「階段が崩れているんだが?」


アシタバは答えない。待機のために少しでもましな窪みを探し始めた。

まったく、とラカンカは毒づく。彼の持論に基づけば、探検家は総じてマゾヒストだ。

泥に潜り、草を喰らい、化け物達との戦場へ身を投げる。

問題なのは、それを無自覚に同伴者に強いている点だ。


ロープにぶら下がったまま待機、半日も魔物の巣の中で過ごすなど――。

大泥棒の自分以外には、キツすぎるスケジュールだ。

狩人のエミリアや商人のエゴノキには同情する。

一方で、一分の隙もない壁張り付きを見せるあの、キリという少女は。


問題ないだろう、と感じていた。







ローレンティアが起きたのは日が沈み、夜になってからのことだ。


彼女がいたのは、地下一階全てを包んでいたように見えた森から少し離れた、草原のようになっているスペースだった。

そうだ、私たちはここに落ちたんだと思い出す。

すぐそばに焚き火があった。焚き火の向こう、前方には鬱蒼と茂る森。

そしてこちら側の平原には、ところどころ大きな赤斑のキノコが生えていた。


「起きられましたか」


声は、焚き火に枝をくべていたエミリアのものだった。

隣にはつまらなそうにぼうっと火を見つめるキリがいる。


「不思議だったんです。

 初日、あれ程深くに落ちた貴女方がどうして無傷だったのだろうと。

 ようやく納得がいきました」


エミリアが笑う。その笑顔には少し硬さがあった。

以前のローレンティアなら、ここで棘に怯えて蹲っただろう。


「……驚きましたか」


ローレンティアも硬く笑ってみせた。

不思議だ。以前は追い詰められて、鼓動が高鳴っていた。

足の踏み場を探して、目を必死に動かしていた。

今は静かだ。暗い周囲と燃える焚き火は、あの日のアシタバとの風景を思い出す。


「さて、合図をしなければ」


そう言うと彼女は矢筒から矢を取り出し、何やら液体の入った瓶に入れると、その先端を焚き火に突っ込んだ。

火矢だ。彼女はそれを高く、森とは反対側の岩壁へ高く打ち上げた。


「いよいよ、地下一階の探索が始ります」


未だ実態の見えぬ迷いの森。そして身内から発露した、黒い異形の何か。

その両方の不安に挟まれながら、エミリアはそう宣言をした。







【月夜】のラカンカの名は、貴族からは疎まれ、平民からは面白がられ、貧困層からは熱烈な支持を受ける。

彼は人類と魔王軍との戦いの時代、明日の食糧にも困る人達のために貧富と、人と戦った。


彼が努めたのは富の再配布だ。

先行きの見えない際限無い戦乱の時代において、貴族たちは食料の貯蔵に勤しんだ。

農民には重い税が課せられ、貴族は余り、腐った食料を廃棄した。

【月夜】のラカンカはそんな食糧庫に潜入し、食糧を奪っては貧しい者たちに配った。


ラカンカは、自分の行いが正しかったとは思っていない。

それしか方法がなかった。他にいい方法は思いつかなかった。

どれだけ口では軽々に物を言っても、彼は自分の行いを振り返る時、釣りの方法を教えられず魚を渡すことしかできなかった自分を誇れはしなかった。


【月落し】のエミリアに捕まっていた彼が銀の団参加に意欲を示したのはその辺りに起因する。

戦争難民に自活をさせるという銀の団の使命を、彼は存外かなり真面目に考えていた。






「いやぁ、悪かったな。

 大茸(マタンゴ)の方は不慮の事故としても、鬼蜻蛉(ドラゴンフライ)は完全な俺の予測ミスだ。

 地下一階であんな好戦的な、しかも飛行型の魔物がいるとは思わなかった」


がははとツワブキが笑う。

エミリアの火矢を合図に再び集まった先遣隊の八人が焚き火を囲んでいた。

ラカンカは不満げな顔をするが、そこはアシタバが補足を入れる。


「あれの予測は無理だな。おそらくずっと下の、どこかの階層から紛れ込んだんだろう。

 鬼蜻蛉(ドラゴンフライ)っていうのはそもそも、砂漠気候でよく姿を現す魔物だ。

 この森林地帯にいることが異常。魔王城だから、では説明がつかない」


「そうだそうだ、いいぞアシタバ君。ディルからも何か言ってやってくれ」


この事態にそぐわない能天気さだが、それがツワブキという人物だ。

そして長年彼の相棒を務めてきたディルは動じない。


「………少なくとも俺とツワブキ、アシタバは、この階層にいるのは待ち狩りの魔物だと予想していた。十中八九、な」


「待ち狩り?」


「待って狩る。相手が近づくのを待って、最小限の動きで獲物を捕食する……大半は擬態魔物だ」


「それはちゃんとした根拠があるのか?」


ツワブキよりは話が通じそうなディルに、ラカンカは説明を求める。


「ダンジョンの出入り口にはそういう待ち狩りの魔物が多いんだ。

 環境と環境の境目……家で例えるならドアだな。

 変化に鈍感になる節目に、奴らは網を張ることが多い。

 ダンジョンに入ったら、それまでの環境とは雰囲気が違うんだから、その違いに擬態の違和感を被せるわけだ」


「木を隠すなら森の中、ということですか」


迷いの森を背にして、エミリアが冗談なのか真剣なのか分からない言葉を口にする。

 

「待ち狩りの魔物の縄張りには、暴れん坊はいないのさ。

 だから豹みたいな素早い魔物や、熊みたいな力のある魔物はいない、と俺たちは踏んでいた。

 いるのは待ち狩りの魔物で、彼らの攻撃圏内に入らなければ地下一階は比較的安全に探索ができると。

 これが、ツワブキがエゴノキさんや団長様を誘った理由の1つになる」


「ん」


ツワブキが最小限の肯定をする。


「つまり、空を飛んで向こうから近づき、攻撃を仕掛けてくる鬼蜻蛉(ドラゴンフライ)の登場は運が悪かった。

 あの瞬間で、ツワブキはできる限りの最善をしたと思うが、さすがに階段の脆さまでは計算に入れられない」


「へいへい、分かった分かった別にいーよ。

 俺だって本格的に責めようってわけじゃねーんだ」


ラカンカは面倒臭そうにツワブキ達の説明を打ち切る。

ツワブキ達の考えについては興味があったが、もう起きてしまったことはどうでもいいのが本音だ。

ラカンカが見ていたのはどちらかというと、選抜隊としてのまとまりだった。


彼は人というものを良く見る。

不測の事態、後手に回りダンジョンに叩き落とされ、そこには不和が生まれやすい。

リーダーが信頼を失った集団ほどやりにくいものはない。

面子の中で心配なのはエゴノキだ。

だから通過儀礼として弁明の場が必要だ、とラカンカは判断していた。


「これからの話をしようぜ。問題は、どうやって――」


「あの、少しよろしいですか!!」


またもや、ラカンカは面倒臭そうな顔をする。

彼の切り出しを遮ったのはローレンティアだった。


「あの……あのですね!

 落下した、ということは、みなさん既にご覧になったと思いますが……」


「ああ、あれについては俺からもう説明してある」


そのローレンティアの話を、今度はアシタバが遮る。


「……え?」


「もう皆、飲み込んだ後だ。だからまぁ、その話は後にしてくれると助かる」


アシタバという男はたまにこういった、人の感情に疎い面を見せるな、とラカンカは気付き始めていた。

見かねてツワブキがフォローを入れる。


「ま、少なくとも探検家でお姫さんを怖がる奴はいねーと思うがな。

 悪い言い方だが、ああいう系は見慣れている。

 それにお姫さんがいた貴族界じゃ腫れもの扱いだったかもしれんが、この土地ではあれは少し違う意味を持つ」


「は、はぁ……」


「1つ聞いときたいんだが………お姫さんを団長に推薦したのは誰だ?」


「す、推薦………?それはきっと、母が…………。

 いえ、私は詳しく知っているわけではないんですが……」


恐らく、彼女にとって黒いあれは相当なコンプレックスなのだろう。

それをツワブキになんともなしに扱われ、彼女は少し戸惑っていた。


ラカンカは、はっきり言えば受け入れられない側の人間だ。

あれは率直に気味が悪いと感じた。

だがあれと、目の前の少女を切り離せる感性をラカンカは持っていたし、ラカンカもツワブキや、恐らく彼女を団長に推薦した誰かと同様に、あれに意味を……価値を見出していた。


それはきっと、商人であるエゴノキも同じだっただろう。

彼も個人には受け入れられないが、それは別として価値がある、という考え。

エミリアは、気味悪く感じてはいけないという使命感―――正直、これが一番酷に感じる。

キリはここまできても一貫してどうでもいい、といった様子だ。

だがローレンティアを見る時だけ、彼女の目が鋭くなるのをラカンカはしっかり把握していた。


「ま、ともあれ今後だ。団長様が眠っている間に、様子を見に降りてきた団員と灯火語りをしたんだ」


ディルが話を切り替え、そして頭上、大階段を指さす。


地下一階を横断するように置かれている大階段は鬼蜻蛉(ドラゴンフライ)によって、上の方で全体の二割ほどが崩壊しており、地下一階の床から伸びる側が七、一階に続く穴の付近に残った側が一、といった割合だ。

その残った一側は今や松明が多めに置かれ、何名かの男たちが作業をしているように見えた。


「今、上の団員達には階段の復旧に取り組んでもらっている。

 始めはあそこから縄梯子でも下ろすかと考えたんだが、ここは本来の目的に立ち返ろうという話になった」


「本来の目的?」


「地下一階の探索だな。だからこれからの流れとしては、迷いの森を抜けてあの大階段の根元を目指し、そこから昇って上に帰る」


「迷いの森を、抜ける……?」



ローレンティアは呆然と、目の前の森を見た。

王女ローレンティアはこれから、初めてダンジョンというものを体験する。





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