第二章 澄み月、迷いの森編
二章一話 『ある澄み月の夜のこと』
最も有名な商人は誰か、と言われれば、分野によって出てくる名前は違うのだが、共通してよく挙がるのは【強欲】のエゴノキという名前である。
彼の腕もさることながら、顕著な特徴は、あらゆる分野・新物資にも商機を見出すその嗅覚だ。
強欲という二つ名は字面から、周囲に迷惑をかけるようなイメージを与えるが、そうではない。
強欲というのはその、彼の嗅覚を。
どんなものにも商機を生みだそうとする、その貪欲さを称賛してつけられた二つ名だった。
澄み月中旬。
銀の団は後続の団員を受け入れ、名簿に登録されている全ての団員は魔王城に揃うこととなった。
魔王城向かって東には既に寄宿舎が立ち並び、人々はそこで生活を始めている。
工匠部隊隊長を務めるエゴノキは忙しさに追われ始めていた。
彼の管轄は大工班や織り子班を始め、鍛治屋や砥ぎ師、医者や薬師、ともかく一芸に秀でた職人達だ。
遅めに魔王城にやってきた彼らは職人道具を持ってはきたものの、やはり仕事を十分にするには環境が要る。
エゴノキとしては工房の設立を急ぎたいところだが、職人一人一人で勝手や好み、要求が違い大工班も大苦戦、そしてその煽りを受けエゴノキ自身も仕事が溜まりつつあった。
魔王城の夜は、独特な雰囲気に包まれる。
日中はそれほど気にならない亜霧(ムドー)が星の光を隠し、魔王城は黒く塗りつぶされ重い存在感を発し始める。
その周囲に松明が絶え間なく据え置かれ、ゆらゆらと地面を照らす。
賑やかじゃないわけではない。
宿舎の脇には屋外飲食用の机が備え付けられ、肉体労働を終えた大工班や戦闘部隊が、豪快な笑い声を上げながら酒を呷って疲れを癒す。
夜の早い時間にはどこの国から来たのか、楽器を持ち寄った男たちが落ち着いた演奏で宵闇の静寂を埋めていた。
エゴノキはそんな中、仕事上がりに大浴場に来ていた。
魔王城の一階南東側を切り崩し建設されたそれは、城に併設したというより、増設したと言った方が近い。
覗き対策を備えつつ、開放的な造り。
露天もあり、浴場内は貴族用としても通じる意匠に凝った装飾だ。
「大工のおっちゃん共、力入れすぎやろ」
風呂は日々の潤いだ。気持ちはわかる。
三日月の湯というこの大浴場の名は、水を濾過する黄色いシートから取られたものらしい。
「スライムの口、なぁ………」
正直なところ、気が滅入るのが本音だ。
肉体労働者を筆頭に、意外にも銀の団の大半は水のない不便さに耐えるより濾過水の使用を選んだ。
だがエゴノキは、スライムの口で濾過された水、と思うだけで拒否感が出る。
円卓会議で賛成を表明したが、あれはその後の展開を、商売応用を考えてのことだった。
銀の団の状況的に見ても賛成はするべき……だがエゴノキ個人の感触でいえば到底受け入れられない。
スライムの涎といったゼブラグラスの感覚は共感できる。
しかし、商人としてその感情を表に出すことはできなかった。
自分が扱う商品に、自分が抵抗を示すわけにはいかない。
だからこうして風呂に入るのだ。
遅い時間であることもあり、湯船はエゴノキの独占状態だった。
いつものように、軽薄な笑顔を浮かべ。
「よっこいしょういち、っと」
湯船に浸かる。いつもの余裕な表情だ。
仮初の人物像を被るのは、エゴノキの癖だった。
商人として、余計な嫌悪感を与えるわけにはいかない。
隙をみせるわけにもいかない。だから本音を隠し、当たり障りのない……。
あるいは自分が強く見えるような反応を選び、演じる。
飄々とした自分の本性が嫌になるくらい打算的なのは、重々承知していた。
「よー大将じゃねえか!」
陽気に声をかけてきたのは、戦闘部隊隊長ツワブキだ。
湯船に入ってくると、無遠慮にエゴノキの横に腰かける。
「やーツワブキはん!この前の会議ではどうも。お仕事、片付いたんで?」
横に並ぶと、体の差が顕著に浮かび上がる。
同年齢のはずなのに、脇腹の贅肉が気になるエゴノキと違い、ツワブキの体は歴戦の傷跡と筋肉に覆われていた。
「おう、武器の支援物資受け入れが終わってな。今、荒くれどもに分配し終わったところだ。
しばらくは大工班を手伝っていたからなぁ。野郎ども、武器も手に入っていよいよ戦闘を求めてる」
「ほー、ということは、いよいよ地下に潜るんで?それとも二階に?」
「ああ、二、三階は少し別件で残しておこうと思っている。
だから地下一階だな。直に選抜隊を編成して行くつもりだ。
そこでな、物は相談なんだが、大将」
ツワブキはニカっと笑い、エゴノキの肩に手を乗せる。
「あんたも、選抜隊に参加してくれねぇかな」
大浴場でエゴノキがツワブキの相談に絶句している時、アシタバは魔王城の周りを巡回していた。
横には狐目の男―――腰に下げた剣とくたびれた服装はアシタバと同じ、探検家の恰好だ。
「しかし、タマモも参加しているとは思わなかった」
「意外かぁ?まー意外だなぁ。
あのツワブキがいるっていうのに、同じポイントを選ぶ探検家なんていねぇ。
お前やディフェンバキアのおっさんみたいな、招集された探検家を除いてな」
二人、別方向を警戒しあい目線を合わせないながら会話をする。
宿舎や大浴場ができたとはいえ、ここは魔王城だ。
夜の闇に乗じた魔物の襲来がないとも限らない。
地下一階と二階への階段。宿舎の玄関。貴族区。そして全体的なパトロール。
ツワブキの指名で戦闘部隊の中から日別に選出された者が、夜通しの警備を行っていた。
今日はアシタバ達の当番だ。
「銀の団にいる探検家は全部で九人だな。
正直魔物の専門家がそんだけってのは不安だが、まぁ本来は群れるのを避ける職だ、多い方か」
自嘲のように、タマモが笑う。
「手柄はほとんどツワブキがかっさらっていくだろうしなぁ。縛りも多いし危険度も高い。
ここを選ぶくらいなら、他所の競争相手のいないダンジョンをじっくり攻略した方が割がいいってもんだ」
「じゃあなんであんたは参加しているんだ?」
アシタバの問いかけに、タマモは顎に手を当てにやにやする。
面白くなさそうに面白がるのが得意な男だった。
「そうさな、強いて挙げるなら転職先の吟味かねぇ」
「転職先?」
「俺ぁもう長いこと探検家やってきたが、魔王が倒れて魔王軍もいなくなったんだ。
これから探検家って職業は、需要が少なくなっていく。
要は斜陽産業なんだよ、探検家っていうのは」
別に需要を考えて探検家をやってきたわけではないが、斜陽産業、というのは寝耳に水だ。
「スライムを利用した亜水(デミ)浄化……あれの発案、お前も関わってたんだって?
亜水(デミ)浄化が1つの産業になるんなら、それも1つの選択肢だな。
とにかく俺は、魔物を利用した新しい仕事に興味がある」
タマモに悪気がないのは知っていたが、魔物を利用するという言葉にアシタバは少し顔をしかめた。
「時代が変わったんだ。需要も変わるし職も変わる。俺は、変化に適応しに来たのさ」
相変わらず独特の視点を持っている男だな、とアシタバは思う。
【狐目】のタマモ。強いとは言い難いが、独特の先見の明と、臆病とさえ揶揄される危険を徹底して避ける仕事っぷりでそれなりの成果を上げる探検家だった。
「そういや、ツワブキが選抜隊を組んでいるって話聞いたか?お前、声かけられたろ」
「…………ああ。なんで分かった?」
「そりゃーお前はツワブキのお気に入りだからなぁ」
「いや、それはない。俺はよく怒られる」
「あのな………ま、その辺は今度でいいや。とにかく、他のメンバーは少し注意しとけ」
「…………?なんでだよ?選抜隊だろ?俺が心配する必要もない実力者揃いだろ」
「お前は、分かってねぇなぁ」
「何をだよ」
「探検家、【凱旋】のツワブキを、だよ」
その言葉の意味を考えようと、アシタバが黙った瞬間。
刃。
を思わせる悪寒が、二人を襲った。
瞬間、二人は素早く戦闘態勢に入っている。驚いた顔だ。
二人の剣の切っ先は、二人から少し離れた場所にある馬小屋に向けられていた。
「……………誰だ」
珍しく、アシタバの頬を冷や汗が伝う。タマモも動揺を隠しきれなかった。
馬達が思い思いの動きをする馬小屋の手前に、切り取られたように少女が立っていた。
探検家二人にとって、これはありえないことだった。
彼らは魔物ひしめくダンジョンに潜る。凶暴な魔物からは息を殺し身を潜め。
目的の魔物が逃げ回るなら、探して仕留める。
だから彼らは、生き物の気配というものに対して常人よりもずっと鋭い。
それは長年魔物と渡り合ってきた、彼らのプロ意識とも言える。
ミミックを始めとする擬態魔物にまで通じるわけではないが、人間相手に後れを取ることはほとんどない。
その彼らが、これほど接近しても全くその存在に気付かなかったのだ。
二人は馬がいる、としか思っていなかった。
向こうがわざと気を発するまで、アシタバもタマモも認識すらできていなかった。
少女。といっても、ローレンティアと同じくらいの年齢だろうか。
黒の短い髪は毛先が刃のように尖っており、彼女の片目を隠していた。
項の上あたりから三つ編みが腰まで伸びている。
民族的な軽装、腰からはナイフが下げられ、季節外れのマフラーが彼女の口元を隠している。
どこまでも色素の薄い少女だ。濃い夜の闇から切り取られたかのように、彼女は希薄で淡く。
その表情は儚くあって、虚ろだった。
「…………………」
彼女は口を開かない。
「………おい、聞こえなかったのかお嬢ちゃん。名前は?」
「キリ」
最低限の労力で義務を果たさんとするような、短く小さな声だった。
非協力的というわけではないがこちらに興味のない様子で、視線はアシタバ達ではなく馬に向けられる。
いや、馬のもっと向こうを見るような目だった。
「キリ?所属は?」
「…………戦闘部隊」
ということはツワブキの部下、アシタバやタマモと同じ所属ということになる。
「こんな時間に、こんなところで何を?」
「夜風に。時間はあまり関係ない。いつものこと」
馬の首筋をぽんぽんと叩くと、彼女はアシタバ達に向き直った。
「治安上問題があるのなら宿舎に戻る」
彼女は機械的に、ぺこりとお辞儀をする。
「まー規律があるわけじゃねぇし、夜出歩いている奴もいるから別に悪いとは言わねぇがな。
女の子一人っていうのは、魔王城じゃなくてもちょっとな」
タマモの言葉に従順に従い、彼女は宿舎の方へ歩いていく。
本来ならばアシタバとタマモが送るべきだったが、彼らはそうはしなかった。
理解をしていた。彼女にそれは必要ないだろうと。
「…………キリ?聞いたことねぇぞ。
武勇持ちの女っていったら、【月落し】のエミリアか【蒼剣】のグラジオラスぐらいだろ」
アシタバも同意見だった。
彼女は、一目置かれていなければおかしいぐらいには実力がある。
全く存在を感じなかった彼女のことは、アシタバの中に強く刻まれることになった。
二章一話 『ある澄み月の夜のこと』
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