一章二話 『探検家アシタバ』

アシタバは転生者である。


彼は2009年の日本にて、道路に飛び出した猫を庇って死亡する。

その後、目を覚ました彼を、この世界で魔女が迎え入れた。


彼は、転生者であることに起因する特別な何かを持っているわけではない。

魔女に何かを齎されたわけでもない。

彼が転生したのは十四歳のことで、元の世界で何らかの技能を有してもいなかった。


だから彼が持っているほとんどは転生した後の七年間で手に入れたもので、幼少期の十四年を過ごした向こうの世界より、青年期の七年を過ごしたこちらの世界に強く影響を受け、人格形成を行った。

つまり、文化的にも倫理的にも彼はこちら側の世界の人間に近い。


ただ1つ。


彼がこの世界に持ち込んだ知識を除いては。









ローレンティア達四人は、とにかく一階を歩き回ることにした。


魔王城の一階は高い天井と質実剛健な造りが目立つ。

大型の魔物の出入りを考えてだろう、普通の城よりも魔王城はスケールが大きい。

外から見たとおり魔王城はかなり大きく、一階だけでも歩き回りきれない広さがあった。


その所々で、戦闘従事者たちがスライムを相手取っている。


「おー、団長様でねぇか!!なんだぁ、またダンジョンにでも行くのかぁ!?」


「お、お疲れ様です!!」


ローレンティアは少なくない頻度で声をかけられ、その度に慌てて手を振っていた。


「人気者だな」


「意外か?」


ツワブキがにやりと笑いかける。


「幸か不幸か、初日に派手なイベント起こしたのがでかかったな。

 誰よりも先に魔王城に切り込んだ団長様ってことで、良い笑い話になっているぜ。

 まぁそういう武勇伝は荒くれ共が好むもんさ。

 別の土地からやってきた団員同士の、最初の話題になることも多い。

 団のトップの笑い話だ、切り出しやすいんだ、初日の転落話は。

 茶目っけもあるし武勇にもなる。今や、あのお姫さんに興味を持たん奴は少ない」


あの落下がそんな風に作用しているのか、とアシタバは少し感心してしまった。

まぁ確かに、お飾りの王族の少女が初日早々ダンジョンに突撃していった、という見方をすればなかなかキャッチーな話題だ。


「ま、専属使用人としちゃ気が気じゃないだろうがな!」


ガハハと笑うツワブキに、エリスは面倒臭そうにため息をついた。


「意外だったな」


一段声を落としたアシタバの呟きを、ローレンティアだけが拾った。


「私も、少し実感が湧いていないのですが……」


「いや、そうじゃなくて。あんたがここの見学をすることについてだ」


ローレンティアの目を見る。驚いた顔だ。


「気に障る言い方なら謝るが……もう少し、内向的な性格だと思っていた」


「いえ、正しいですよ。前まではそうでした」


真面目な顔つきになり、前を向く。地下では見なかった顔だ。


「変わろうと思ったんです。知っていこうと思ったんです」



強く、眩しい。変わっていくのだ。

この最果ての地では、何もかも。








とても体の弱い子供だった。

アシタバが前の世界の自分について思い出すのはそれだ。


満足に登校はできず、少年時代のほとんどは病院のベッドの上だった。

親はたくさん会いに来るわけではなかったが、たくさん本を置いていった。

だから彼は、本を通して世界を知っていく。

物心ついたときからそれは自然なことだった。

恨みはない。悲しみもない。憤りも、何か強く望むこともなかった。


彼が読みふけったのは、生物図鑑だった。

生き物たちがどうやって生きるのか、その知識を、彼は貪欲に貪る。


意味が、理由が知りたかった。


自分が生まれてきた意味が。自分が生きていく理由が。








「しっかし、問題は水だよなぁ。

 肩慣らしに全員参加のスライム掃討は良いとして、その後の武器の手入れがなぁ」


ツワブキが困った、と声を上げる。


「亜水(デミ)では駄目なのですか?」


「亜水(デミ)っていうのは普通の水に魔素(カプ)っつー粒が混じったもんでなぁ。

 まー手入れには向かねーのよ。人体にもよくねぇしな。

 大体こういう土地は雨も汚染されたものが降るから、雨貯めても無理だ」


「水も確保できないうちに武器使わせるべきじゃなかっただろ」


「そこはお前、勢いってモンがあるだろう。各地から曲者が集結しているんだ。

 顔合わせとガス抜きも兼ねて、こういうのは早い方がいいんだよ」


分かってねーな、と呆れ顔をする。

ツワブキのそういう、全体の流れを読む能力の高さは理解していたが、それに傾倒して粗忽になりがちというのがアシタバの評価だった。


「武器に限らず、水は全体の問題ですがね」


エリスが横やりを入れてくる。


「水の現地調達が望めないとなると、各国からの支援物資に頼るわけですが……。

 毎日、大量には運べないでしょう。当然、水の使用に制限を掛けることになります。

 砂漠気候での生活様式を想像して頂ければよろしいかと」


「さ、砂漠………?お風呂は……?」


「かなり間隔を空けてもらわなければなりません。

 いずれにせよ夏、どこかが干ばつにでもなればここも影響を受けます」


夏、風呂なし。ローレンティアの顔はみるみる青ざめていく。


「剣の手入れも、砂などを使ってお願いしたいですね」


「そりゃ無理だ。土も汚染されているからな。

 土っていや、団員には結構農民がいるみたいだが……ここで農業する気なのか?」


「ええ、食糧支援があることにはありますが、食糧自給も銀の団の使命の1つです」


「何も育たないぞ。亜土(ヂードゥ)ばっかりのこの土地じゃ、植物系魔物以外は育たない。

 かといって農業向けの植物系魔物なんて思いつかねぇしな。

 農民の奴ら、浮くぜ。さっさと新しい仕事振らにゃただ飯食いだ」


ツワブキの突き付ける現実に、エリスは閉口してしまう。


ツワブキやアシタバ、ラカンカのような必要に応じて招集された一部の専門家か、自ら立候補した者たちを除いて、銀の団の団員は詰め込まれた寄せ集めだ。

魔王城での仕事が詳細に割り振られているわけではない。

元の国から追い出すということに重点が置かれた。だからこういう事態に行き着く。

余剰な人員。無い仕事。足りない物資。できない自給自足。


そしてそれを捌く最高責任者が、お飾りで据えられた王女ローレンティアなのだ。

杜撰な計画だとしか言えなかった。


事態の重さに言葉を失うエリス。

面倒臭そうにため息をつくツワブキ。

必死に考えようとして、空回っているローレンティア。


「水なら、あるぞ」


と言ったのは、アシタバだった。


「ああ?」


「水ならある。ここに呼ばれたついでに、丁度いいから調達しようと思っていたんだ」


アシタバが前方を指す。その先にはスライムがいた。


「お前、まさか……………」


「スライムの体内は、真水だ」









低く口の広い、大きな壺のようなものが床に置かれた。

次にアシタバが取り出したのは剣だ。腰のベルトと柄が鎖で繋がれている。

アシタバはその鎖を手早くスライムに巻きつけ、壺の上まで引っ張ると、そこでスライムを真っ二つにした。

両断されたスライムから、液体がボタボタとあふれ壺に溜まる。


「これを飲めばいい」


「これを飲めばいい、じゃねーよお前は!!!」


どこまでも淡々とするアシタバに、ツワブキが声を荒げた。


「お前が魔物を喰っているのはそりゃ知ってるが、スライムの体液飲んでるとまでは思わなかったぞ!」


「体液じゃない、水だ。俺はスライムを水筒として使ってる」


「偉そうにいうなよお前はよぉーーーー……」


ツワブキが疲れたと言わんばかりに項垂れる。


「前々から言っているだろ、その変な習性やめとけって。

 お前、探検家仲間からなんて呼ばれているか知っているか?

 【魔物ゲテモノ喰い】のアシタバだぞ!?

 魔物食べすぎて魔物になっちまうんじゃないかって噂だ」


「そんな事例ないだろ」


「距離置かれているって話だ!!

 お前が組合に寄越す情報が有用だからまだいいが、もうちょっと協調性ってもんを持てよ」


「俺は結構、みんなと仲良くしようとしているぞ」


「魔物を喰うなって言っているんだ!!」


探検家でもそんなに魔物を食べたりしないのか、と呆然とするローレンティアを置き去りに、アシタバが説明を始めた。


「スライムっていうのは水風船と似た構造なんだ。あー、丸い革袋みたいなもんだな。

 外側の皮の部分に魔素(カプ)の成分が溜まっていて、内側の水が外に染み出す際に混じって亜水(デミ)になる。

 だから切り開いてやると、中の水が取り出せるってわけだ。

 残った皮の部分は、毒性が強くてちょっと使えないけどな」


「使わんでいい。っていうか、スライムをそこまで調べるのお前ぐらいだぞ」


ツワブキの言葉には答えず、アシタバは壺に溜まった水で布を濡らし、手早く剣を拭いた。


「しかし、スライムを水の供給源にするのは現実的とはいえませんね。

 討伐の手間もですが、水の需要を賄えるほどの個体数がいるようには見えません。

 勿論、魔物の体内にあった水を利用することについて、快く思わない者も多いでしょうし」 


「そりゃそうだ」


「それにしても………どうしてスライムの中に真水があるのでしょうか」


「あ?」


怪訝な顔をするツワブキに構わず、エリスは考えながら言葉を続ける。


「この土地には真水はないはずです。あるのは亜水(デミ)だけ。

 であるなら、スライムの体内にある真水はどこからきたものなのでしょうか」


エリスの疑問に、全員がすぐには答えられなかった。


「………アシタバ?」


「……スライムは魔物向けの環境ではなく、人の環境で生きるよう設計された生物だ。

 水を飲んで亜水(デミ)を出す。

 だからスライムの内部に真水があるのは、別に不思議じゃない……」


アシタバも、話しながら考察を続ける。


「一方で彼らはこの魔王城を始め、魔物向けになった環境下でも生存をしている。

 亜水(デミ)しかない環境で、水を主食とする彼らが生きるために……」


アシタバが、全員がスライムを見た。


「スライムには、亜水(デミ)を水に変える機能が備わっている可能性が高い」




一章二話 『探検家アシタバ』

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