序章四話 『最果ての地』

ひとたび会話が終わると、アシタバはそれ以上は語らなかった。

ローレンティアは膝を抱えて、彼の話を反芻する。

蚕。野生回帰能力。あれは自分のことを言っていたのだろう。


人の輪から逸れたローレンティアは、外の葉の上に放り出された蚕と同じだったのだろう。

ローレンティアは生きる気力をなくしていた。

どこへ行けばいいのだろう。どうやって生きていけばいいのだろう。

切り捨てられたことに沈み、静かな終わりを望んでいた。


彼は。アシタバは、待っているのかもしれない。

蚕が飛び立つ、その日を。


「…………来たな」


背後でアシタバが呟く。ローレンティアも上を見上げた。

頭上、落ちてきた穴は明るさを増している。

もはや松明だけの明るさではない。そして何やら、耳を澄ませば騒がしく。


「…………?」


ラカンカの顔が一瞬見えたと思えば、穴が布で覆われ、素早くどかされ、その繰り返しだ。

穴の明かりがちかちかと不規則に点滅する。


「ウォーウルフだけなら大声出してもいいとは思うが、念のためだな」


アシタバも立ち上がり、たき火の前で皮袋を上下させ始めた。

確か光の点滅で会話を行う、灯火語りとかいう技術だ。


「お疲れ様だ。出るぞ」


言葉と同時に、穴からするするとロープが降りてくる。

朝だ。引き上げる準備ができたのだ。





「おら、てめーら気合入れろよ!スムーズに!着実にだ。

 声を合わせて縄を引け!せーのォ!!」


頭上から音頭を取っているらしい男の声が聞こえる。

アシタバは手早く自分とローレンティアの体をロープに繋ぎ、片手でローレンティアを支えて引き上げられる態勢を整えた。


「両手でロープをしっかり掴んでいてくれ。

 あんたは落ちても平気みたいだが、色々面倒なんでな」


「は、はい!」


やけに緊張してきた。この暗闇ともお別れだ。

ロープがピンと張り、二人の体が浮き上がる。両手に改めて力を込めた。

ローレンティアは、新しい日常を始めなければならない。


「そういえば、この城が何に見えるかって続きだったな」


頭上の、光る円へと引き上げられる途中、アシタバがぽつりと呟く。


「え?」


「俺は、この城が島に見えるよ。

 この城は、魔物にとって最後に残された孤島なんだ」


「………孤島」


「俺は、知っておきたいんだよ。

 ここに残された魔物たちが、どうやって生きているのか。

 どうやって生きていくのか」


その目は、まっすぐに光の方を見ていた。

ローレンティアも同じ方向を見る。



光が近づく。引き上げられる。








海沿いに領を持つモントリオ卿は、銀の団には3種類の人種が参加している、と評した。


曰く、1つ目は見識のない平民。

新天地での生活という謳い文句に踊らされ、魔王城の危険性を顧みず参加した、愚か者たち。

(尤(もっと)も彼は、参加する以外に選択肢のない戦災難民の事情を無視していたのだが)


2つ目は、良識のない貴族。

祖国で信頼を失い、あるいは役に立つ能を磨かず、切り捨てられた厄介者たち。


そして3つ目が、常識のない専門家。

専門的な何かに精通し、己の腕を振るうために、試すために、あるいは磨くために集まった―――。

そのためなら魔物の危険性も厭わない。そんな、常軌を逸した熟練者たち。






「よーお姫さん。初っ端からダンジョンに踏み込むとは、なかなか果敢じゃねーの」


一番に話しかけてきたのは人一倍背の高い、少し年老いた男性だ。

音頭を取っていた人だと、声で判別できた。


光に目が慣れていく。

穴の側にはそのノッポの男と、ラカンカ、エミリア、エリス。

そしてロープの先に、男達が列を成すように立っていた。

それぞれが使い古された防具や刀剣を身に着けている。

第一陣は一部の重要人物と戦闘従事者と聞いている。

全員が、ローレンティアを見ていた。


やれやれ、と呆れ顔をする者や。

早速問題を起こした王女を面白そうに見る者や。

この団の長を値踏みする者や。


「あー、お姫さんはお疲れだろう。なんせ魔物の巣の中で徹夜だ。

 使用人さん、どこか休めるところに―――」


「あの、いえ、少し待ってください」


話を進めていくノッポをローレンティアが遮った。

なんだろう。彼女はまだ頭が回らない。でも皆が見ている。

そして助けてもらったのだ。何か言わなければならないと思った。


「この度は、私の不注意で皆さんに迷惑をかけてしまいました。

 申し訳ございません。そして、ありがとうございます」


深々と頭を下げる。その王族の所作がどんな意味を持つのか、どれだけ周囲を冷やりとさせたか、彼女はまだ分かっていない。


それでも。


「改めて、私がこの魔王城居住区化を進める銀の団団長、最高責任者ローレンティア・ベルサール・フォレノワールです。

 ………私は残念ながら、武勇に優れているわけではありません。

 貴族界に顔が利くわけでも、物を知っているわけでもない。

 正直なところ、お飾りでここに据えられました」


困惑する者、より意識を向ける者、成り行きを静かに見守る者、口角を吊り上げる者。


これからこの者達と暮らしていくのだ。

生まれ、性格、特技、 好き嫌い。すべて違う。

銀の団には、様々な専門家達が参加している。

探検家。大泥棒。狩人。建築家。商人。鍛冶師。農家。

それらが忙しなく滝のように、雑多に交差する。


「けれど力の限り、役目を全うします。

 及ばない時は、どうか力をお貸しください。

 私も、もっとあなた達のことが知りたい」


銀の団結成初日、彼女が行った演説が、誰に何を与えたのか。動かしたのか。

ローレンティアは、まだ知らない。


それでも。




魔王が勇者に倒されて、世界は平和へと緩やかに歩み始めた。

戦乱とその次に来る時代の、この狭間の時代は日の出前、後に暁の時代と呼ばれた。

勇者の物語のその後の話。後処理のため、最前線で戦った者達の話。


「どうかここで、私と共に生きて下さい」


今のローレンティアには、魔王城が大きな一枚の葉に見えた。

しがみついてやろうと思ったんだ。この最果ての地で。


生きてやろうと、思ったんだ。





序章四話 『最果ての地』

序章 了

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